128 謀主
【それ】に気づいたのは、その日の深更のこと。
亡命の夢やぶれ、ヘロヘロ状態におちいった俺は、新旧小姓頭コンビにささえられ、居室に連れもどされた。
すっかりヌケガラになった主君に、近習たちは茶や菓子を供し、必死になぐさめようとしたが、俺は寝台のうえで壁にむかって体育ずわりをしたままフリーズ。
そうこうしている間に、冬のみじかい陽は没し……。
(―― ! ――)
ふと、ある考えが脳裡をよぎり、膝に伏せていた顔を上げる。
その反動で肩に掛けられていた毛布がすべり落ち、腰のまわりにたぐまった。
知らぬまに周囲は闇と化し、館内の静けさからかなり遅い時間だということがわかった。
「「殿?」」
背後から湧く男たちの声。
わずかに半身をよじると、か細い灯火のうす明かりに大野と浅田のシルエットがうかんでいる。
「「どうなさいました?」」
「……いや……」
近づこうとするふたりを片手で制し、ふたたび壁に向きなおる。
と、主君の意向を無視した不届き者が近づいてきて、俺の背を毛布で包み、しずかに退いていった。
どうやらふたりは不寝番をしているらしい。
おそらく、俺が失意のあまり、発作的に自傷行為におよばないよう、見張っているのだろう。
だが、俺はそんなことをするつもりはない。
なにしろ、松平容保の身になにかあったら、オッサンたち全員ハラキリ必至。
断腸の思いで、亡命をあきらめた意味がなくなる。
俺に唯一残されたミッションは、【無事に】江戸に帰ることなのだから。
そして、俺の脳裏に引っかかったのも、まさに【それ】。
つまり、「阿部はこうなることを想定して、俺たちを送り出したのではないか?」という疑惑。
いまにして思えば、出発当初から漠然とした違和感があった気がする。
なぜならば、目下、幕府は、家定の幕政改革で多忙をきわめている。
そんなとき、使節団ツートップの小栗・岩瀬はだれもが認める能吏中の能吏。
そのふたりを数か月も第一線からはずし、海難事故や暴動に巻きこまれるリスクがある国外に派遣するのは不自然だ。
たしかに、難しい外交交渉をフォローさせるため、有能な幕臣をつけたという点は否定できないが……はたして本当にそれだけか?
俺を捕獲したとき、大野は、
『すべては阿部伊勢守さまの御指図によるもの。伊勢守さまは殿のごようすに不穏なものを感じられ、御用繁多な小栗さま岩瀬さまをあえて随員に加え、一挙手一投足を注視するよう厳命された』と言った。
この言葉はウソではないだろう。
ひと一倍明敏なふたりを、俺の監視役にした理由づけとしてはもっともらしく聞こえる。
だが、腹を切るという流れになったとき、栗本はなんと言った?
『随員一同、もとよりその覚悟でございます』
じつは、これこそが阿部の真の狙いだったんじゃないか?
俺の逃走が成功しそうになったら、ギリギリのところで随員が切腹をチラつかせ、足止めすることを期待 ―― いや、予期していたんじゃ……?
とはいうものの、阿部も幕府直参相手にそこまで明確に命じることはできない。
幕臣は、将軍の家来。
大名と幕臣はある意味対等の立ち場だ。
いくら老中といえども、
「肥後守が逃げたら、おまえら全員責任をとって切腹しろ」などという命令は下せない。
一方で、切腹が狂言だったら説得力に欠ける。
しかも、プライドの高い小栗たちが、そんな安っぽいパフォーマンスをするはずはない。
だからこの計画には、サックリ腹を切ってしまう、一本気なサムライが必要だった。
そこへいくとこいつらは、いまどきめずらしい古武士キャラ。
なにかあったとき、この顔ぶれなら躊躇なく切腹すると阿部は読んでいたんじゃないか?
そのうえ塩大福は、俺の性格もよく把握している。
俺が他人を犠牲にしてまで逃げるはずがないと踏んだんだろう。
さらに、随行メンバーはみな逸材ばかり。
あいつは、俺が賢侯サロンやCRCを主催して、熱心に人財発掘をしていると思いこんでいる。
そんな会津侯なら、優秀な官僚候補を死なせることなどありえないと……。
つまり阿部は、最初からこうなることを見越して ―― 早い話、【人命を盾にして】、俺の逃亡を阻止する手立てを講じたうえで、セッティングしたんじゃないか!?
(……やられた……)
嗚咽がもれた。
一月の寒気で冷やされた流涙が、膝につめたいシミを作りはじめる。
「「……殿……」」
背後から心配そうなつぶやきがこぼれる。
(信じていたのに……)
ずっと信じて……感謝さえしていたのに……。
家定からのムチャブリに同情して、俺だけに負担をかけないように、幕政に支障をきたすレベルの優秀な随員をつけてくれたとばかり……。
能吏や昌平黌の才子をそろえてくれたのは、善意によるバックアップだと……。
でも真実は、俺の弱点も随員の行動パターンも全部計算しつくし、俺がどう足掻こうが、絶対に逃さない罠をしかけて……。
人非人っ!
信じた俺がバカだったよ!
地獄に落ちやがれ、腹黒オヤジー!
―― そして、いま ――
その憎き腹黒オヤジが、俺の眼前に。
日本屈指の人形の街・岩槻産最高級七段飾りのお内裏さま然とした和風イケメンが、悪辣な笑みをたたえ、俺の対面に立っている。
「もう気は済みましたか?」
色白ぽちゃぽちゃが挑むように言い放つ。
「いつまでもオコチャマにつき合っている暇はないのです。そろそろ評議を再開したいのですが」
「おのれ……よくも……よくも……」
「はて、なんのことやら」
ニヤニヤ笑いながら、うそぶく閣老。
「だまれっ!」
俺の咆哮に静まりかえる上御用部屋。
「もうがまんならん! 表に出ろ!」
「ふふふ、それがし、武芸はひと通りたしなんでおりますが、それでもよろしいか?」
「上等だ!」
「「「おふたりとも、おやめください!」」」
部外者たちは全員蒼白。
「ならば、お相手つかまつりましょう。得物は侯のお望みのものでかまいませぬぞ?」
余裕綽綽で、さらにあおってくる大福。
「武器だと? 野蛮人めが! 武器は不要! たがいに身ひとつで勝負しようではないか!」
「身ひとつ? 相撲ですか」
メタボ体型の老中首座は上品に嘲笑をつづける。
「その痩躯でそれがしに挑まれるおつもりですか? よい度胸ですな~」
「ちがう! 遠足だ! 御城外一周約五キロ×四周、ハーフマラソン勝負だっ!」
「「「は、はーふ?」」」
目をシロクロさせるオッサンども。
「と、遠足……それはいささか……」
急に怯みだすメタボオヤジ。
「得物はわたしの望みのままと申したではないか! 武士に二言はないはず!」
「なれど……遠足だけは……」
困惑顔にうかぶ玉の汗。
と、そのとき、
「い、因幡守と、安芸守をお呼びいたせ!」
阿部ちゃんのオトモダチ、越後長岡藩主・牧野備前守忠雅が御用部屋坊主に命じる。
「「はっ、ただいま」」
事態を呆然と見守っていた坊主どもは、はじかれたように飛び出していった。




