115 バーミンガム
このころ上海では、開港されたばかりの市内に外国人貿易商の居住地――俗に租界といわれるもの――ができつつあった。
1848年
清より土地を租借したアメリカは、今年1854年、イギリスと共同で租界を管理する行政組織――工部局を設け、黄浦江ぞいの地区に英米共同租界が誕生した。
オリバーは、その関連業務のため、広州から出張してきたのだという。
オリバーから手紙をもらった俺は、すぐに連絡を取り、広州にもどるアメリカ艦に俺たちも同乗させてもらいたいと頼みこんだ。
そしていま。
俺たちは、オリバーに先導され、オランダ船からアメリカ船への引っ越し作業中。
このあとは、オリバーが在留外国人ネットワークをつかってアポを取ってくれたフランス領事と面会する予定。
彼の尽力により、不案内な上海でフランス領事を探しまわる手間もはぶけた♡
そんなこんなのゴタゴタの最中に遭遇したのが、ワンコ&オールコック。
……ん……!?
そうだ、ここでオールコックに会ったのもなにかの縁。
ついでにイギリスとの交渉も片づけとくか?
アポ取って、交渉をはじめれば、数日中に条約締結できる。
だって、イギリスもフランスも、いまの段階ではさほど日本を重視していない。
その証拠に、あっちでの日英和親条約は、クリミア戦争がらみでロシア艦を追走していたイギリス艦が、たまたま長崎に寄港した際、日本の役人たちに条約をむすびにきたと勘違いされて(!)、ノリでむすんでしまった程度のもの。
(ま、これはこれであとで問題になったそうだが)
そして、フランスにいたっては、1858年にむすばれた日仏修好通商条約がはじめての条約。
あっちでは、和親条約はむすんですらいない。
ようするに、1854年当時の日本は、欧米からみたら、資源豊富な中国にくらべると、いささか魅力にとぼしい極東の小国。
だから、英仏との交渉はそんなにこじれることもないはず。
そうすれば、広州では清との交渉に専念できる。
ガチガチの中華思想で凝り固まった清との交渉は、かなり難航するおそれもある。
俺としては、最悪タイムアウトになったときに備え、せめて英仏二か国とは不平等じゃない条約を……俺がいなくなったあと、日本人が困らない条約をむすんでおきたい。
そこまでしてやれば、俺は心おきなくアメリカに……。
俺はふたりの外国人をながめつつ、つぎの段取りを脳内シュミレーションしていた。
[◎▲β■£][★□∵▼☆]
オリバーは他国領事に俺たちがアメリカ船に移乗するいきさつを説明中。
ふいに、
[ところで、閣下はどちらで英語を習われたのですか?]
かるい世間話をよそおいながら、オッサンの鷹眼には冷徹な光が。
[日本は二百年以上、国を鎖していたはず。にもかかわらず、うつくしい英国語を自在に使いこなされておられる。ふしぎです]
この時代、イギリスの情報取集力および分析能力は世界一。
その最前線に立つオールコックのアンテナに、俺の不自然な英語力が引っかかったらしい。
[いわれてみれば、はじめてお会いしたときから閣下は正確な発音、文法も完璧でしたなぁ]
あっさり同調するオリバー。
(「どこで?」って言われても……ねぇ)
と、思った直後、
[わたしの母は、生粋のイギリス人でのう]
[[[!!!]]]
(――――――)
い、いま……いま、俺、なんて?
俺、なにかとんでもないこと……口走ってなかった?
……てか、いまのは本当に俺か?
いくらなんでも、そんな墓穴を掘るようなアホなこと、言うわけが……。
「……殿……」
凍りつく空気を破ったのは、いつものあの男。
「おふざけにしても、度が過ぎましょう!」
能面武士の周囲に渦巻く闇オーラ。
「静仙院さまが、異人であったなどと……前田さまのお耳に入らば、即座にお手討ちですぞっ!」
ひ、ひぇ~~~!
たしかに、極度のマザコンで、母親似の妹を溺愛してたオジキがコレを聞いたら…………(ゴクリ)……。
「じ、冗談好きの英国人に、ウケるかな~と思うての~」
「――――」
ま、まだにらんでるし~~~。
[は、ははは、すばらしいジョークですな]
上海領事が無難に切り返す。
さすが世界に冠たる大英帝国!
[閣下は色白のうえ、東洋人ばなれしたご容姿。あやうく本気にし――]
[なんの、ジョークではないぞ~]
(!!!!!)
ま、まちがいない!
これは、容さんっ!
――と、気づいたときには、もう手遅れ。
[わたしの母は、イギリス有数の黒郷(重工業地域)・バーミンガムの中流階級の出。
英語は母から習ったが、祖父の代までロンドンにいたためか、バーミンガム訛りはほとんどないようだ]
[[…………]]
「「「…………」」」
あ゛~~~!
勝手に俺の個人情報をーっ!
おっしゃるとおり、うちの母ちゃんは『こづゆ』(※会津の郷土料理)も作れる変なガイジンさんだが(ただし、クソまずい)、なんでいまここでそれを!?
しかし、容さんの暴露は終わらない。
[バーミンガムといえば、『指輪物語』の作者として有名なJ・R・R・トールキンもここの出身。
物語に出てくる敵国モルドールは、スモッグで陽光がさえぎられ、昼なお暗い故郷バーミンガムがモデルだとか。
そのせいなのか、母は十代のころ、イギリスの女性探検家イザベラ・バードの『日本奥地紀行』を読み、十九世紀の日本にどっぷりハマったらしくてな。
太陽キラキラ、色とりどりの花が咲きみだれるニッポンへのあこがれマックスになった母は、猛反対する両親を懸命に説得し、日本の大学に留学したのだ。
そこで、まだフサフサだった父と知り合って結婚し、わたしが生まれたというわけだ]
[[ハマる?]][[あこがれマックス?]][[フサフサ?]]
……ぅわぁぁぁ……。
ど、どど、どうしよう~~~???
[と……と、いう未来小説を書こうかと思うての~、ははは……]
[[…………]]
「「「…………」」」
ご、ごまかしきれてない~!
みんなの……視線が~~~!
完全に引かれてる~~~!
(…………ぁ…………)
もしイタイ人認定されて、オリバーに絶交されたら……?
領事館員のオリバーに手引きしてもらえなかったら、アメリカ亡命なんて絶対ムリ。
そうしたら、あの暗黒のモルドー……じゃなくて、江戸に強制送還。
(――んっ!――)
ま、まさか!
それが……ねらい!?
イイ感じになってきた俺の亡命計画を妨害するために、わざとしゃしゃり出てきたのか!?
意図的に……俺のジャマを……。
な……なぜだ……?
なぜなんだ、容さんっ!?




