114 上海
ギャンギャンギャン
足元にじゃれつく謎の黒い塊。
[…………]
それを無造作につかみ上げ、しげしげ観察。
[スコティ……いや、このころはアバディーン・テリアか?]
[よくご存じで]
俺と毛むくじゃらの闖入者を交互にながめ、ひどく感心する友人。
[ははは、むかしからなぜか犬と子どもにはなつかれる質でな。犬種については少々詳しいのだ]
そうなの、俺ってガキやワンコと波長が合うらしく、ボランティアではガキんちょのレク係、捨て犬・迷い犬担当だったんで。
クゥーン、クゥーン。
俺の言葉を肯定するように、腕の中で甘えた声をだす小型犬。
[閣下の博識ぶりは尋常ではありませんな]
友人からあびせられる称賛のまなざし。
[むふふふ、褒めすぎだ♡]
「……犬? 子ども?」
背後からわく不信感全開のつぶやき。
「はて、いつそのようなことが?」
「……ぅ……」
し、しまった。
それは二十一世紀での話だった。
とはいえ、いまは別の身体なのに、以前と変わらぬこの親和性。
動物には中身を見抜く超能力でもあるのか?
「そのうえ唐犬(洋犬)の犬種を言い当てるとは……さような知識……いったいどこで……不可解……」
般若は、なおもしつこくネチネチ。
「そ、それにしても、清の川はきたないの~」
ワンコをモフモフしながら、川面に目を転じ、聞こえないフリ。
「この川は黄浦江というてのう、揚子江(長江)の支流だそうだ。
川幅四町(約400m)、水深は三丈(約9m)ほどあるゆえ、外洋から直接黒船が入ってこられるのじゃな~」
説明くさいセリフを吐きながら、背中は冷汗でびっしょり。
(や、やばっ!)
ここへきて亡命成功の確率が飛躍的に高まったせいか、ちょっと気がゆるんだか?
いかん、いかん、油断禁物。
じつは、この上海で奇跡的再会があり、かなり難しいと思われた脱出計画も大きく前進。
あとは、大野ら侍臣の監視をかいくぐり、アメリカ領事館の保護下に入れさえすれば……。
でも、一瞬でも気をぬいたら、即ゲーム・オーバー。
ささいなミスが、命取りになる。
今後はこいつらにあやしまれないよう、言動には細心の注意をはらわなきゃ。
[トビー!]
物陰からあらわれたフロックコートのオッサンが、こっちに突進してきた。
[ダメじゃないか、トビー! 勝手に走り出しては!]
オッサンは犬から俺に視線をうつし、笑顔で会釈。
[失礼ですが、それは私の――]
「「くせ者っ!」」
大野と又一の怒声が飛ぶ。
一瞬にして白刃つき戦闘集団にかわる外交使節団。
「下がれっ!」
抜身の刀を手に、すさまじい迫力で威嚇する又一。
[あ、いや、その、私はけっして怪しいものでは…………]
必死に弁解するクィーンズイングリッシュおやじ。
現役サムライのただならぬ殺気は言語を超越し、オヤジを完全にビビらせた。
[こちらに御座すは日本国宰相にして、国防軍総司令官(いつ、そうなった?)、徳川王族、松平公爵閣下である!]
オッサンに引けを取らない流暢な英語でまくしたてる会津武士。
「[動くなっ!]」
犬に手を伸ばした姿勢のまま固まる男。
そこへ、
[……あの……]
友人がためらいがちに口をはさむ。
[もしや、オールコックさん、では?]
[……き、君はアメリカ領事館のペリーくんっ!]
まさに地獄に仏。驚喜するオッサン。
…………なに?
オールコックだと?
『大君の都』の著者で、在日本初代英国公使の、あのラザフォード・オールコックかっ!?
……いわれてみれば、この顔、ウンチク集で見たような気も。
[閣下、こちらはイギリス上海領事オールコック氏でございます。
広州でもこの上海でも何度かお会しておりますからまちがいございません]
オリバー・ペリーが自信たっぷりに受けあう。
[ふむ、そうか]
オヤジのようすから害意がないことを確認し、
「みな、よう聞け。この者はオリバーの知人で、イギリス領事だそうだ」
「さようでございましたか」
又一は相手を凝視したまま、切先を下した。
「ご一同、ここはひとまず刀を引こう」
最後の刀が鞘におさまると、オールコックは特大のため息をついて脱力。
[ペリーくん、助かりました]
うっすら涙目のオヤジに、無言で犬を返す。
[怖かったね、トビー。もうだいじょうぶだからね]
いっさい怖い目に遭ってないワンコに、オッサンはイミフな慰め。
[それにしても、ペリーくん、なぜ君はこんな貴人と?]
愛犬に癒されたオヤジは、落ちつきを取りもどしたらしい。
[この春、父とともに対日交渉に赴いた折にお目にかかり、それ以来、閣下とは親しくさせていただいております]
[オリバーはわが心の友だ]
[閣下っ!]
うるうる眼で感動をかみしめるオリバーくん。
[一昨日、入港中のオランダ船に閣下が乗船なさっているとうかがい、いてもたってもいられず、手紙をさしあげましたところ、すぐに会いたいとおっしゃってくださって]
[わたしも、ずっとオリバーに会いたいと思っていたからな]
亡命を決意してからというもの、君のことは一日たりとも忘れた日はないよ、オリバー。
[光栄です、閣下!]
[本当に会えてよかった!]
そう、まさか上海に到着早々、こいつに会えるなんて。
まさに願ったりかなったり!
ここだけの話、俺たち徳川外交使節団は、上海につくまでの数日間、全員呆然自失状態だったのだが、オリバーと再会したことで完全復活できたんだから。
今回、運命の女神は、めずらしく俺にほほえんでくれたみたいだ。
ことの発端は、日琉基本合意がなった夜。
王城でひらかれた記念パーティの席上でのこと。
「「「な、なんだとー!?」」」
華やかなムードをかき消す雄たけびが宴会場にこだました。
「「「対清交渉は上海ではできぬだとーーーっっっ!?」」」
「はい、清の対外交渉は広州の両広総督が担当しております」
どこかメシウマ顔の琉球政府一同。
「「「…………」」」
(じゃあ、上海じゃなくて、広州に行けばいいのか?)と思いきや。
「いえ、イギリス領事は広州・上海両方におり、くわえて香港総督もおりますが、フランス領事館は上海に。ただし、最近、領事は外国人居留地の件で駆けまわっており、なかなかつかまらないそうです」
ってことは、上海に行って、まずフランス領事を探し出して条約をむすび、つぎは速攻広州に移って、対清交渉をやれと?
イギリスとはそのあいまを縫って、上海・広州・香港のいずれかで交渉!?
しかも、オランダ船は上海止まり。
つまり、上海から広州に行くための船は現地調達!
(……そして、めざすアメリカ領事館は広州……)
う、うそだろーーーっ!?
おい、サダっち!
こういうことは、ちゃんと調べてから出張命令出せよっ!
この二世紀半、あんたら徳川宗家が国外情報独占してたんだから、それぐらいやっといてもらわないとー!
衝撃の事実に、豪胆な又一も石化。
「では、こういたしては?」
琉球王府の三司官が、微妙なほほえみとともに提案。
「わが琉球王府では清への留学が盛んです。
げんに、この板良敷も留学経験があり、言葉はもとより、かの地の事情にもくわしゅうございます。
よって、清国内の案内役として、板良敷ら数名をおつけいたしましょう」
「おお、それは助かる」
藁にもすがりたい心境の小栗は、即座にその申し出を受け入れた。
こら、待て!
一見、パニックになった俺たちに同情した善意ぽくみえるが、こいつら本当に親切心だけで言ってるのか?
琉球政府の狙いは、もっとちがうところにあるんじゃないのか?
……とは思ったが、すべての決定権はお飾りの俺ではなく、小栗忠順がもっている。
こうして、那覇を発った蘭船には、琉装の一団がくわわることとなったのである。
数か国との条約交渉プラス船の現地調達というミッションが追加された俺たち一行。
だが、その移動手段問題は、上海に到着してほどなく落着した。
アメリカ領事館員・オリバー・ペリーのおかげで――――




