113 琉球併合
と、そのとき、
「殿」
至近からわく聞きなれた低声。
一国を代表する全権特使としてはいささかよろしくないこの醜態。
絶対あの男がクレームつけてくると思ったが……。
「荷づくりは四半時もあれば十分。昼すぎには出航できましょう」
(……大野……!?)
意外な援護射撃に度肝を抜かれていると、
「わかり申した。寺と港、双方に使いを送り、急ぎ支度をさせましょう」
小栗はさわやかにそう宣言し、傍らにひかえていた家臣になにやら耳うち。
従者はかるくうなずくと、いま入ってきた門から足早に出ていった。
「では、寺にもどりますぞ」
(……オグちゃんまで……)
「「「し、承知!」」」
われに返った幕臣たちも一様に馬首をめぐらせ、つぎつぎに歓会門をくぐりはじめる。
「板良敷殿、かくのごとくになり申した。琉球王、三司官には良しなにお伝えくだされ」
小栗は凄みのある冷笑でかるく会釈。
「小栗さま……」
あまりの急展開に琉球王府きっての能吏も呆然自失。
そしてさらに、
「徳川が示した条件は決して琉球にとって不利なものではなかったはず。なれど、それを了とせぬからには、清への従属を選ぶのでありましょうな?」
固まる板さんに、ほがらかに捨てゼリフをはくオグちゃん。
今回、琉球王国の徳川政権加盟に際して、幕府は破格の条件を提示していた。
それは、
『薩摩藩への年貢納付免除。お手伝い普請も賦役も一切ナシ』
『参勤交代は十年一勤』(十年に一度の参府)
ただし、現琉球王は年少のため、参勤開始は二十歳をすぎてから。
『江戸城登城時の殿席は大廊下下部屋』――というもの。
大廊下下部屋は、御三家の上部屋につぐ高い格式をもち、御家門筆頭の越前松平家、外様ナンバーワン加賀前田家と同じ超VIP席。
二百五十年間琉球を支配してきた外様ナンバーツー薩摩島津家より上席なのだ。
(※家斉の義父だった島津重豪は一代に限りこの席をゆるされた)
それに対し、幕府が琉球にもとめたのは、ただひとつ。
『清との宗属関係解消・和暦採用』
――朝貢をやめ、清とは完全に手を切る――だけ。
琉球は清の暦を使っており、今年は嘉永七年ではなく咸豊三年らしい。
で、俺がどうして暦にこだわるかというと、暦こそが琉球が清の朝貢国だという証だからだ。
中国の暦――正朔は、中国では皇帝(天子)が年末に臣従する諸侯に翌年の暦を下賜する風習があり、その暦法を使うというのは臣従を意味する。
なので、和暦採用イコール清との手切れとなるわけだ。
生活に密着する暦まであちらと同じものを使っている琉球だが、中国と宗属関係をむすんだきっかけは貿易だった。
十四世紀に成立した明は、臣下の礼をとる国としか貿易をみとめない『海禁政策』をとっていた。
日本と大陸の間に位置し、自然の良港をもつ貿易国家・琉球ははじめは明朝に、つぎに清朝と冊封関係(宗主国・朝貢国関係)をむすび、貿易する権利を保持しつづけた。
しかし、貿易でうるおっていたのは最初のころだけで、じつは、いま(十九世紀)の対中貿易は大赤字なのだ。
とはいえ、貿易は朝貢とセットになっているので、やめたくてもやめられない。
本来の目的だった貿易は赤字つづきなのに、もれなくついてくる冊封セレモニー関係は、皇帝の使者・冊封使が一度に五百人もの団体で押しかけてきて半年も居座り、連日連夜飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎを繰り広げたあげく、大量のお土産を持って帰国。
当然、その全経費は琉球負担。
とくにここ数代は若くして亡くなる王さまが多く、頻繁にやってくる冊封使の接待費用で相当困窮しているらしく、その穴埋めは日本で砂糖・ウコンを売って充当している。
早い話、清国皇帝から王に任命されるステータスを、日本経済によってかろうじて維持しているという構図。
(日本の金を使って中国にいい顔をする……あら、なんか妙なデジャビュ感……たしか二十一世紀でも似たようなことがあったりなかったり……?)
「清への朝貢をやめぬなら、はじめからそう申せばよいものを。ムダな時間をついやしてしもうた」
小栗の皮肉に乗っかり、ついついグチグチ。
「殿」
すかさずたしなめる礼儀作法の権化。
「琉球とて、将軍名代たる殿に礼をつくしてくださったのですぞ? 感謝こそすれ、さような物言いは――」
「わかっておるっ!」
なんだよ、なにもこんなところで説教かまさなくたって……(ぶつぶつ)……。
「しかし他人事ながら、これから琉球はたいへんですな。ロクな軍備もないままに、欧米列強の精鋭と自力で戦わねばならぬのですから」
俺に話しかける風をよそおい、聞えよがしにネチネチつぶやく般若さん。
どうやら、さっきの説教は「味方のフリして背後から撃つ作戦」の擬態だったようだ。
相かわらずやることがえげつない。
「たしかに。いままでは一朝事あるときは薩摩から援軍を差しむけることとなっておりましたが、こののちは宗主国・清に救援をもとめるのでしょうな」と、親切な小栗くんがていねいに補足説明。
十七世紀初頭、島津に征服された琉球は、以後、薩摩藩に安全保障を託し、薩摩の軍事力に依存して国を保ってきたのだ。
「ふん。自らの国土さえ守りえぬあのフヌケどもが、僻遠の付庸国に援軍など送るわけがない!
なにしろ清が異人に攻められた折、皇帝と取り巻きの高官どもは、苦しむ領民・兵らをしり目に、己らは前線より遠く離れた安全な地に逃げこみ、夜ごと酒池肉林の宴を開いていたそうな。
それにくらべれば琉球王の一汁五菜などまだかわゆいものだ」
「民を捨てて逃亡するなど、武人の風上にもおけぬ所業。わが徳川将軍家ではありえませぬな」
クリクリ栗本も調子に乗って参戦。
アヘン戦争時の清皇帝のヘタレっぷりは幕臣間ではひろく知られている。
「かの黒船来航の折、公方さまは艦載砲射程内にある居城より一歩も退かれず、日々、富士見櫓から遠眼鏡にて敵艦隊を監視なっておいででした」
内部事情にくわしい小栗がとっておきの秘話をリーク。
(でも、『射程内』はちょっと盛りすぎじゃね? いくらなんでも江戸湾から本丸までは……)
「そして、台徳院さま(秀忠)末裔であり、権門中の権門であられる会津侯は、御自ら敵艦に乗りこまれ、異人の無理難題をことごとく論破し、わが方に有利な条約をむすばれたのでしたなぁ」
なぜか得意げに相弟子を褒めたたえる栗本。
「聞くところによりますと、先年、イギリス・フランスが強引に宣教師を置いていくため、琉球から清に退去交渉の依頼を送ったものの、仲介の労を取ることはなかったとか」
小栗につぐ大身旗本の池田長発が横あいから口をはさむ。
「あたりまえじゃ。琉球を助ける余力があらば、まず自国内の異人どもを追うているはず。
だが、見てみい、無為無策のまま日々欧米に蚕食されておるではないか!」
「なるほど。では今夏、琉球がアメリカとむすびし偽条約の儀が発覚したあかつきには、大事になりましょうなぁ」と、ワザとらしい問いかけ。
「さような詭弁が欧米列強に通用するはずがない。おそらく違約を咎められ、清国以上の憂き目に遭うにちがいない」
「「「いやはや、たいへんですな~」」」
安積艮斎門下三羽ガラス(クリクリ&大野)による息のあったハーモニー。
「欧米においては宗主国がむすびし条約は付庸国にも適用されうる。
今後、清がさらに理不尽な条約を押しつけられたときは、琉球にも同様の要求がくるであろう。
清を頼みとする琉球は自業自得じゃが、状況しだいではわれらも巻き添えになりかねぬ。
早々に琉球とは縁を切らねば、日本本土が危うい」
「「「剣呑ですな~」」」
「なれば、琉球との貿易もひかえた方がよろしゅうございますな?」
なかなかイヤなポイントを突いてくる池田くん。
「むろん。砂糖・ウコン、その他琉球産物の購入は全面禁止にし、今後は一切のつながりを断つべきであろう」
砂糖・ウコンなど高付加価値商品の本土への販売は琉球経済の生命線。
この経済制裁は王国存亡の危機に直結する破壊力をもっている。
「となると、薩摩の砂糖はかなり高騰しましょう?」
「するであろうが、琉球放棄の代償と思えば、それくらいよいではないか。薩摩にも多少は報いてやらねばな」
それを聞いた薩摩藩士たちの目がキラーンと光った。
「やはり婿君は薩摩のことをお考えくださっている」
「「「頼もしかー! 頼もしかー! 頼もしかー!」」」
(ちげーよ)
薩摩は奄美大島でサトウキビ栽培をおこなっており(砂糖地獄と呼ばれるくらい苛酷……)、莫大な借金もこの収入で返済している。
本当はここも放棄させて、農民のみなさんを救ってあげたかったが、それまで取り上げたら薩摩藩発狂必至だったので、今回の琉球放棄プランに奄美大島はふくまれていない。
(みんな、ゴメンね……)
「そうなりますと、飢饉のつど琉球に送りしお救い米も今後は出さずともよいのですな?」
財政にあかるい小栗がうれしそうに確認。
「当然じゃ。他国を援助する義理はない!」
「「「そ、それはあまりな……」」」
なげく琉球政府役人たち。
じつは琉球の風土は農耕にむいていないらしい。
そのうえ、国家をあげて商品作物であるサトウキビ栽培を奨励したこともあって、天候不順がつづくと食糧難におちいりやすい。
というわけで、琉球は島津家にたびたび食料援助をもとめ、幕府は薩摩藩を通じて何度か人道支援をしてきたのだ。
「三百年ほど前のフィレンツェの政治思想家マキャベリはこう申しておる。
『隣国を援助する国は滅びる』とな。けだし名言ではないか?」
(これもおやじがトイレに忘れていったビジネス誌の特集『いまこそマキャベリ!』のパクりですぅ)
「同じ日本の民なれば、飢饉であれ侵略であれ、いくらでも助力いたしましょうが」
「そうじゃ、そうじゃ」
「たしかに、他国を救援するための派兵などありえませぬな」
「であろう?」
「隣国の道連れなどシャレにもなりませぬ」
「もっともじゃ」
「他国のために金が使われていると知れたら、各地で一揆がおこります」
「マズイのう」
「さような金があらば、わが邦の貧しき民をこそ救済すべきでございます」
「よう言うた!」
幕臣さんたちも超ノリノリ。
んじゃ、ご好評につきもう一発。
「マキャベリはこうも言うておる。
『己の安全を己の力によって守る意志をもたねば、いかなる国家も独立と平和を期待することはできぬ』とな」
「「「おおおーーーっ!!!」」」
わき上がるどよめき。
「「「まさしくっ!」」」
「「「おっしゃるとおりっ!」」」
「「「さすが当代一の賢侯っ!」」」
ぐふふ、決まったぜ♡
「どう思われる?」
小栗の問いに即応し、幕臣たちは琉球王府の役人たちを半包囲。
「それは……」
言いよどむ板良敷。
「大国なれど領民を見捨て自分たちは安地でぜいたくな暮らしをつづける清。
小国とはいえ、主君以下つねに質素倹約を心がけ、邦の大事には民の盾となる覚悟をいだきし徳川政権。
どちらが貴国にとって頼むに足る相手であろうか?」
言葉を切った小栗の眸に峻烈な気が満ちる。
「「「…………」」」
答えに窮し、黙りこむ琉装の役人たち。
「板良敷殿」
小栗は落ちつきはらった声でなおも語りかける。
「琉球が徳川の傘下に入らば、今後、異国よりの通商要求、強引な宣教師の置き去り、不法占拠など種々の懸案はすべて江戸にて処理いたします。難儀なことはこちらに回せばすむのです。外交は公儀が一元的におこないますゆえ」
「「「悪い話ではございませぬな」」」
板良敷以外のオッサンは俄然乗り気。
「そ、そうは申されるが、過日、わが王府はアメリカと和親条約をむすばされてしまいました。これを破棄するは容易なことでは……」
「案ずるにはおよばぬ。『無理強いされて結びし協約を破棄するは、いささかも恥ずべき行為ではない』と、マキャベリも言うておる。望みとあらば、清に渡りし折、アメリカ領事に掛け合うてやろう。琉球が徳川の支配下に入らば、条約を交わした際の前提も違うてくる。さして困難な交渉にはならぬはずじゃ」
自信満々に受けあってみせると、幕臣全員から熱い信頼の視線が。
「この儀、琉球にとっても利が大きいと存ずるが?」
使節団最高責任者がトドメのひとこと。
「……しばし時間を……」
「われらには時間がない」
そっけなく拒む小栗。
「な、なれば、今宵のうちにはお返事いたしますゆえ、どうかあと一日ご猶予を……」
同日。首里城下に酉の刻を告げる大鐘の音が鳴りひびくころ。
王城書院の間では、いつものように盛大な宴が開かれた。
そして床の間には、いつもの掛け軸ではなく、『嘉永七年版会津暦』がかけられていた。




