112 首里城歓会門
円覚寺総門の仁王像に見送られた俺たちは、門前のゆるい坂道をあがっていった。
さきほど三門から見おろした池は道の右手にあり、深緑色の水面にはときおり波紋がひろがる。
なにか魚がいるようだ。
これは首里城や円覚寺の湧水・雨水をあつめた『円鑑池』という人工池。
ここのとなりには『龍潭』という別の池があり、ふたつの池の堺には水門の役目をする橋、『龍淵橋』がかかっている。
龍淵橋は三百五十年ほど前に造られた石橋で、円鑑池の水が一定量をこえると、中央に開けられた水路を通って下の龍潭に落とす仕かけになっている。
この円鑑池中央には航海の安全を守る水の神・弁財天を祀った弁財天堂が建っていて、社のある中島へは石灰岩の小橋を渡っていくのだが、これも同時代に建造されたもの。
こうしてみると、琉球にはすぐれた架橋技術があるようだ。
ということは、琉球の石工さんたちに協力してもらえば、六郷や酒匂川への架橋もサクサク進んで、箱根駅伝走路問題もあっさり解決!?
……はっ!
なに言ってんだ、俺は?
駅伝のことはもう忘れなきゃ……亡命するんだし。
池をかこむ緑陰が途切れると、こんどは逆サイドに首里城の城壁が迫ってきた。
王城と円覚寺は隣同士。
これくらいなら徒歩でも楽勝なのだが、将軍名代という立場上、テクテクは「いかがなものか(by小栗)」だそうで、しかたなく馬で往復している。
なにしろ、馬をことわると駕籠か輿での送迎になるらしく、駕籠ギライの俺には選択の余地はない。
高い石垣に沿ってすすみ、首里城正門・歓会門前で一時停止。
歓会門は外郭最初の門で、別名『あまえ御門』とも。
『あまえ』とは琉球の古語で『よろこび』を意味し、『歓会』は「歓迎する」の意らしい。
切り立った石垣のはざまに埋めこまれた石のアーチと木製櫓で構成された門には、すっかり顔なじみになったシーサーが二体。
門番は先頭の役人たちを認めると、すばやく左右に分かれ、幕府使節一行を通してくれた。
ここから先は内郭。
オサムライさん用応接所・南殿には、このあと四つの門を通って(いや正確には登って)いかなければならない。
「ときに、小栗殿」
門をぬけたところで、板良敷が馬上の小栗にささやいた。
「寺などにお泊りになられ、なにか行き届かぬことはございませぬか?」
「いえ、なんら不自由はしておりません」
「なれど、やはり宿舎は『天使館』か『識名之御殿』の方がよろしかったのでは?」と、到着以来なんどもくり返されたやりとりを蒸しかえすオッサン。
「そちらは王城から遠く不便です」
「さようでございますか」
いつものように拒否られ、大きなため息をひとつ。
『天使館』は港近くの冊封使用宿舎で、冊封使がこないときは建物の一部が砂糖座となり、砂糖の保管、薩摩への出荷、砂糖樽製造などに使われている。
『識名之御殿』は首里城の南郊にある王家別邸で、別名『南苑』。
冊封使の迎賓館としても利用され、廻遊式庭園の池では舟遊びもできるそうだ。
どちらにしても城からはちょっと遠く、往復によけいな時間がかかってしまう。
ちなみに冊封使とは、中国皇帝から朝貢国王への爵号を授ける勅書(冊)をはこぶ使節のこと。
ひらたくいえば、琉球王代がわりに際し、「つぎ、この人でオケ?」「オケ!」のお墨つきを持って遊びにくる中国人ご一行さまだ。
「禅寺を宿舎と定めたはわれら自身、気づかいは無用です。行き届かぬどころか食事もわれらの口によう合うており、むしろ品数が多すぎて困るほどで」
冗談めかして言うものの、小栗の笑顔には一分のスキもない。
沖縄料理といえばゴーヤチャンプルーやラフテー、沖縄そばなど、どちらかというと中華寄りのイメージが強かったが、俺たちに供される料理は王家と同じ和風メニュー。
カツオやコンブダシの効いた味つけと魚介類の献立も多いせいか、口に合わないどころか小栗の言うとおりメシがうますぎてヤバイくらいだ。
「多すぎるなど……わが王と同数にございます」
小栗にかるくいなされ、力なく笑う官僚。
「おや、琉球王は朝餉から一汁五菜ですか? それはまた豪儀な!」
いきなりの横レスは小栗の親友・瀬兵衛こと栗本瑞見。
『一汁五菜』がビンボー性の幕臣さんを刺激したようだ。
「公方さまの朝餉は、一汁二菜ですぞ!」
「日ノ本を統べる徳川将軍が、一汁二菜!?」
俺が長崎で披露したネタを使いまわす栗本。
それに対し、期待どおりのリアクションをする板良敷。
「「琉球王はぜいたくですな~! うらやましゅうござる~」」
慇懃無礼な態度でチクチク皮肉るクリクリコンビ。
「ははは……なれば、ご滞在のあいだは、ぞんぶんに琉球料理をご堪能ください」
琉球政府一の外交官がみごとに切り返す。
「今宵も宴の用意をしておりますゆえ」
……今宵……宴……宴……今宵【も】……宴…………。
脳内でリフレインが叫んだ数瞬後、
ピキッ!
突如、俺の中でなにかが切れた。
(……冗談じゃねぇ……)
徳川外交使節団には「年内帰国」というタイムリミットがある。
なのに、くる日もくる日も空虚な歓迎レセプション&パーティばっか。
そして、五日目の今日も宴会だと?
今回の外遊は荒れやすい冬の日本近海を考慮して航程を逆算すると、おそらく清に滞在できるのは十二月中旬が限度。
それまでにはすべての条約締結をすませ、帰国準備に入らなくちゃならない。
でも、各国との折衝が思うように進展しなかったら、年頭拝賀の儀式を重んじる幕臣どもは、さっさと見切りをつけて帰ろうとするはずだ……たとえそれが清に渡る前だったとしても。
つまり、こんなところでいつまでもグズグズしていたら、ムリヤリ江戸に連れ戻される可能性大!
そうなったら、もう二度と亡命のチャンスはないっ!
そんなこんなでおめおめ帰国したあかつきには、予測不能のムチャブリ上司と、オカルト臭プンプンの婚約者(仮)のダブルコンボ。
難問山積の国政と赤字だらけの藩政という過労死確実な労働環境。
つねに揺りもどしの危険をはらんだ先の読めない未来と、攘夷テロ――とくに恨みを買ってそうな水戸系浪士の襲撃――におびえる日々。
どう考えたって最悪の人生だっ!
そうだ。
この際、時間がかかりそうな琉球との話しあいはパスして、対清交渉の中で琉球の帰属を決めりゃいいんじゃね?
なら、ここは撤収だっ!
「又一、戻ろう」
呼びかけた声は、おどろくほど冷ややかだった。
「「「戻る!?」」」
一同放心。
「どうやら琉球は本気で交渉をする気がないらしい。ならば、留まる理由などない。宿舎にて荷をまとめ、一刻も早く清に渡ろう」
一気にまくしたてる俺に注がれる侍たちの唖然としたまなざし。
「「「お、お待ちください!」」」
突然のカエルコールに、取り乱す王府役人たち。
「「「琉球王府が交渉を拒んでいるとおおせになられますか!?」」」
「ちがうのか?」
琉装の一団にむける真っ黒い笑い。
超ド級の焦燥感で人格崩壊したらしい。
「では、なぜ、いつになっても本格的な交渉に入ろうとせぬ?
王府には那覇入港直後、こちらの要望書を渡している。なれど、それへの回答なきまま、すでに五日目。接待づけで督促をはぐらかし、われらとの交渉を避けているとしか思えぬが?」
「そ、それは……」
これまで異国通詞として多くの対外交渉にたずさわってきた板良敷も、俺の豹変ぶりにはとまどいをかくせないようす。
「と、当地に、かくも尊い客人がお越しになられたことなどいまだかつてなく、われらはただ精いっぱいの歓迎を――」
「われらにペリーと同じ手が通じると思うたか?」
相手の弁明をさえぎり、容赦なくたたみかける。
「ペリー艦隊来航の折、琉球王府は架空の政府をつくり、のらりくらりと要求をはぐらかし、最後は実効性のない見せかけだけの条約をむすんだと聞く」
一度噴出した怒りの奔流はもはや止めようもない。
俺が吐き散らす非友好的言語に、琉球側だけでなく徳川使節メンバーも緘黙。
「だが、徳川はペリーとはちがう。黒船や大砲で琉球を威嚇してもおらぬ。
しかるに、砲艦外交をおこなった非礼きわまる異人どもと同等のあつかいを受けるとは!」
「い、いえ、決してそのような……」
案外、琉球王府は俺たちにはあまり時間がないとわかっているんじゃないか?
だから、グダグダ時間をかせぎ、返答を引き延ばしているんじゃないだろうか?
――まさに、この夏、ペリー艦隊に対してやったように。
顔色を失った役人たちを見ているうち、そんな疑いがムクムク芽ばえてきた。
「われらの望みはただひとつ、琉球の去就をあきらかにしてほしいだけだ。すなわち、
『徳川の治める日本で大名となる』か『清の付庸国として朝貢をつづける』かを」
「「「し、しかし……さように重大な決定を……すぐには……」」」
蒼白になりつつも、譲歩を引き出そうとする官僚たち。
「すぐ? この五日間、三司官(琉球政府の三大臣。総理大臣的ポジション)以下、琉球の役人どもは饗応の献立や余興の踊り子の話しかしておらなんだのか?」
「「「…………」」」
「琉球の帰属があいまいなままでは日本全土の防衛大綱すら定まらぬ。それによりシーレーンも変わってくるでな! 二重朝貢などというワケのわからぬ国家形態に振りまわされ、われらもはなはだ迷惑しておるのだ!」
「「「し、しーれーん???」」」
シーレーンとは、ある国にとって、そこを脅かされたらかなりヤバイ感じになる海上交通路のこと。
江戸時代の日本は周囲を海に囲まれた海洋国家でありながら海軍を持っていないため、目下、欧米艦隊に脅かされっぱなし。
ってわけで、一日も早く海軍を設立して、シーレーンをなんとかしなければ、いつまでたっても外交上致命的弱点をかかえたまま。
今後、不平等条約をゴリ押しされ、不利な立場に立たされる可能性も高い。
「それに、われらは是が非でも臣従せよとは言うてはおらぬ! そなたら琉球人と日之本の民が同じ民族――同じY染色体D系統の遺伝子をもつ同胞ゆえ、その同胞が清国の没落に巻きこまれるは哀れと思うたから声をかけたまで。それを受けるかどうかは、そなたら自身が決めよっ!」
「「「わい……染色……でぃ……遺伝子???」」」
とどまることを知らぬ電波発言に全員フリーズ。
「ち、鎮西八郎為朝は、琉球王家始祖・舜天の父であろう? ならば、新田源氏の末裔たるわが徳川と同祖ではないか!」
(さすがに、染色体だの遺伝子だのはブッ飛びすぎだったわ)
とはいえ、琉球正史『中山世鑑』では、初代琉球国王・舜天は源為朝の子とされ、それが事実なら舜天と鎌倉幕府初代将軍・頼朝は従兄弟同士、どちらも清和源氏の血筋ということになる。
徳川氏は、清和源氏系河内源氏義国流得川氏(世良田氏)の末裔(※自称)なので、同祖といえなくもない。
そのうえ、おもに政治的意図をもって取りざたされつづけた『日琉同祖論』だが、二十一世紀の科学により、沖縄県人は本土住民と同じ固有の遺伝子をもつことが証明されているので、まちがってはいないらしい。
……と言っても通じないだろうが。




