109 縁談
勝利を確信したふたりは、ようやく茶椀を手に取った。
―― ズズッ
「……冷えておる」
島津斉彬は、むき卵面をしかめて、マズさをアピール。
「婿殿の実家ゆえ、とやかく言いとうないが、会津は家臣の躾がなっておらぬな!」
「げに。このようなときは、近習が気を利かせて熱い茶と取りかえるものです」
連れの尻馬に乗ってディスりはじめる勢州殿こと阿部伊勢守正弘。
「それは、おふたりが早々に『人払いをっ!』と、みなを追い出したからであって……」
弱々しく抗議するも、調子づいたオッサンどもの耳には届かない。
「今後は、薩州殿がビシビシ指導なさらねばっ!」
やたらと焚きつける老中首座。
「うむ。容保殿は家督を継いで間もないゆえ、家中の仕置きもなかなかに行き届かぬのであろう。ならば、ここは亡き父御になり代わり、まずは当主としての心得から教えてやらねばのう。これから忙しゅうなるわい」
すっかりその気になる外様大名。
「なんとも頼もしい舅殿ですな」
「いやはや、嫡男の菊三郎もやっと手をはなれたというに、また一からやり直しじゃ~」
「「わはははは」」
―― ! ――
たしか、斉彬の男児はすべて夭折したんじゃ……?
なんでも、異母弟・久光との家督相続争い ―― お由羅騒動 ―― で、斉彬の子どもは暗殺・呪詛の対象となり、六人もいた男子は全滅。
娘も成人できたのは晩年に生まれた数名だけだったはずだ。
このころの乳幼児死亡率が高かったのは事実だが、同時期に生まれた久光の子どもたちは男女あわせて十人以上が成人し、そのうち男子は六人が明治期まで生きた。
同じような医療水準・生活環境なのにこの差はあきらかに不自然。
なにしろ、五十そこそこで急死した斉彬自身にも毒殺説があるくらいだ。
なのに、嫡男?
こっちではお由羅騒動はおきてないのか?
藩内を二分した、あの御家騒動が!?
だとすると、この部分でも歴史は大きく変わってくる。
西郷隆盛も大久保利通も、これがきっかけで久光に反感をいだくようになり、佐幕派の久光に逆らい倒幕に向かうのだから。
あっちの未来知識が使えず、今後の薩摩藩の動きを予測できなければ、結局、倒幕・会津戦争という悲劇が再現され……。
ダメー、それだけは絶対ダメー!
「おや?」
胸中修羅場の俺を不思議そうに見つめるナリさん。
「容保殿は、菊三郎に会うたことがなかったか?」
いや、いまはそれどころじゃ……。
「会津と薩摩では殿席も離れておりますので、知りあう機会がなかったのでしょう」
仲人面で出しゃばる大福。
ちなみに、うちの殿席は表御殿最奥の黒書院溜間、島津家は御玄関近くの大広間だ。
「そういえば、いままで会津とは家同士の付きあいはなかったのう(……どうもあやつとは肌が合わなんだゆえ……)」
なぜか憎々しげにブツブツ。
「あやつ?」
「薩州殿っ!」
「おっと……ゲフンゲフン……、菊三郎は嫡出の世継ぎでのう。諱は御先代さま(家慶)より偏諱をたまわり、『慶弘』と申す。以後よしなにのう」と、ニコニコ。
(さっきのは幻聴?)とさえ思える友好的態度だ。
「よ、慶弘さまは、二十六歳でしたなぁ」
あせりながら話に割りこむ塩大福。
「さよう、菊三郎も妹ばかりで兄弟がおらぬで、義弟ができればさぞうれしかろうて」
そんな言葉とはうらはらに、オヤジの顔にうかぶ邪悪な笑い。
―― ぞわぞわぞわ ――
な、なんで……?
琉球を取り上げた恨み?
でも、それだけじゃないような気も……。
ま、それはひとまずおいといて。
やっぱ、あっちの世界とはちがって、こっちの斉彬には成人した息子がいるのか。
ってことは、今回の縁談相手もひょっとすると実子なのか?
あっちの斉彬には適齢期の娘がいなくて、島津家から将軍家定に輿入れしたのは歳の離れた従妹 ―― 篤姫だった。
だから、この縁談も年齢的には天璋院になったその娘かと思ったんだが、『妹ばかり』『義弟』って言ってたし、あの姫とは別人なのかもしれない。
じゃあ、そこだけはいちおう確認しておくか?
今後どこかで影響してくる可能性もあるし。
では、
「して、その姫君はどのような方なのですか?」
「――――」
「――――」
瞬時に張りつめる空気。
……え……?
「――――」
「――――」
開ききる四つの瞳孔。
額にうかぶ玉の汗。
「な、なにかお気にさわることでも申しましたか?」
「――――」
「――――」
俺の問いかけにも答えず、オッサンたちは硬い表情を保ったまま沈黙。
「あ、あの……?」
ややあって、
(さすが、溜詰一の俊英。ひと筋縄ではゆかぬな)
ゆで卵オヤジが友人にヒソヒソ。
(簡単に丸めこまれたと見せかけて、その実すべてを看破し、われらを手玉にとっておったのじゃ。やはり、あやつの息子だけはある)
ひと筋縄? 看破? 手玉?
(煮え湯……憎い……会津……一矢……こたびも……返り討……)
(これ、声が大きゅうございます!)
「……?……」
(それに、その判断はいささか早計では)
俺をじっと観察しながら、大福老中も半開きの扇子の蔭でボソボソ。
(ようご覧なされ。あれはいまだに気づいておらぬ顔です。さきほどの問いも皮肉などではなく、さしたる意味などないのでしょう。ゆえに、このまま一気に攻めつづければ……)
(ふむ、そう言われてみれば)
「……??……」
(国家の大計などを専らとする者は、存外些事には疎いもの。肥後守はまさしくその典型かと)
(なるほど。では、まだ望みはあるか?)
(あと一押しにござる!)
(うむ、なれば!)
目と目を見交わし、うなずき合うオッサンたち。
な、なに、いまの???
「ひ、姫は今年十九。庶出ながら、わしの初めての娘じゃ」
『初めての娘』ってことはやはり実子?
十九歳 ―― 容さんと同年か。
……てか、ナリさん、声裏返ってますが?
「そ、そそ、そういえば、姫さまのご生母は薩摩一の美女だったとか」
フォローする阿部も、いつになくソワソワ、カミカミ。
「きき、きっと姫君も、おう、おうつ、おうつく……しいにちがちが、い、ない」
「ぅむ、ひ、姫は母親似じゃ。と、とはいえ、容保殿の亡き許嫁・TERU姫にはおよびもつかぬが」
「……は……?」
「TERU殿は、嘉永三美人のひとり。それを引き合いに出されるはいささか酷にございましょう」
嘉永……三美人?
「おお、三美人といえば」
ふいに、イヤラシイ笑いをうかべるナリさん。
「貴公の側室・お豊殿もそのひとりであったな~」
「からかうのはおやめくだされ。大輪の牡丹のごときTERU姫にくらべれば、お豊などせいぜい路傍の桔梗かナデシコといったところにございます」
「またまた~。わが子より若い十五歳の美女を迎えるとはうらやましいかぎりじゃ~、このこの~」
「なんの、薩州殿にはかないませぬ」
女の話になったとたん饒舌になるスケベジジイども。
その傍らで青ざめていく俺。
「よう言うわ~。すでに多くの妻妾をかかえながら、豊国の浮世絵にも描かれた桜餅屋の看板娘まで口説き落とすとはのう。江戸中の怨嗟をあつめた無類の好き者め~。ほれ、容保殿も『オジサマ不潔っ!』という目で貴公を見…………」
「ぅうっ!」
ついに耐え切れなくなって落涙。
「「ど、どど、どうなさった、肥州殿っ!?」」
動転する二大名。
「……うぐうぐ……」
どうしたもこうしたもあるかいっ!
あのTERUが……容さんの婚約者の……赤ペン先生のTERUが……。
江戸屈指の美人だったとはーっ!
俺は、なんてもったいないことをしてしまったんだ!
カノジョいない歴イコール年齢の非リアが、ピカピカのリア充に脱皮できるチャンスだったのに!
あ゛ぁ゛ぁ゛~~~!!!
なにやってたんだーっ!
なんで、一度も会いに行かなかったんだ!?
どうして、だれもTERUが超美人だって教えてくれなかったんだっ!?
そしたら、日米交渉なんてほったらかして、そっちに行ったのに!
ぁぁ……喪中なんて一切無視して、さっさと結婚していれば……。
TERUだって、会津藩邸に引っ越していれば、麻疹を移されることも、早死にすることもなかったかも……俺が……俺がぐずぐずしてたせいで。
「て、TE、TER……TERUぅぅぅううう!」
客の存在も忘れて、錯乱する俺。
「俺の……俺の……TERUがーっ!」
「「と、とりあえず落ちつかれよ」」
巨大な地雷をふみ抜いたとも知らずアタフタするふたり。
「ささ、茶でも飲んで」と、茶碗を押しつける大福。
「いらんっ!」
茶碗ごとその手を払いのける。
「ひ、ひとまず深呼吸を」
そう言って肩を抱くナリさん。
「うぎゃー、さわるなーっ!」
暑苦しいオッサンを突きとばして絶叫。
と、そのとき、
バシィッッッ!
「「「殿っ!」」」
ダダダダダダ!
小姓頭ほか十数名が乱入。
「「「ご無事ですかっ?」」」
「「「わが殿になにをっ?」」」
刀に手を掛けんばかりのいきおいで凄む家臣団。
「「い、いや、われらはなにも……」」
ひたすらビビりまくる賢侯たち。
「「そ、そうであろう、肥州殿?」」
しかし、連中の救援依頼に応える余裕などあるわけもなく、
「忠兵衛~」
就任したての小姓頭にすがりつき号泣。
「どうなさったのですか!?」
「TERUが……TERUが……」
「……なんですと?」
いつもの温厚なトーンがガラリと変わる。
「さては、許嫁を亡くされた哀しみからようやく立ち直られた殿に、TERU姫さまのお話をされたのですな?」
はじめて見る浅田の激怒状態。
「「そ、それは、その……姫の話題が禁忌であったとはつゆ知らず……」」
テンパるエロ中年ども。
「なれど、今にして思えば、絶世の美女であられた許嫁を亡くされた喪失感はいかばかりか。いささか配慮が足りま――」
「絶世? 美女? TERUーっ!」
傷に塩を塗るような阿部の悔悟に発狂。
「いかにも。あのような才色兼備の麗人を失った傷心ゆえ、何処とも縁組ができなんだと考えれば腑に落ち――」
「才色兼備? 麗人? うわーーーんっ!」
塩を塗った傷口にさらに七味を振りかけるむき卵オヤジ。
「どうかお引き取りをっ!」
新小姓頭、初爆ギレ。
「粂之介、客人がお帰りだ、案内いたせっ!」
「はっ!」
「「で、では、これにて」」
ほうほうの体で逃げ出すふたり。
「(ひっくひっく)……TERUぅ……(えうえう)……」
かくして、予期せぬ縁談話はわれら主従のみごとな連携プレーによって立ち消えた。
―― はずだった。




