106 侍読
「むふふふ」
呆然と立ちつくす俺の横で、ひとりほくそ笑む侍臣。
「この儀、崋山先生にご報告いたさねばなりませぬなぁ」
なぜか妙にゴキゲンな大野。
(……崋山って?)
と、思った瞬間、ザ・謹厳実直系オヤジのビジュアルに、《渡辺定静 号:崋山 三河田原藩元家老 元侍読》の文字が浮かんだ。
まさか、あの渡辺崋山!?
いやいや、おかしいおかしい、それはおかしい!
渡辺崋山は蛮社の獄でパクられて、その後、国許で蟄居中に自害したはずだ。
なのに、侍読(家庭教師)って、どーゆーこと???
「むふむふ……そうだ、椿先生、江川さまにも文を……さぞやおよろこびに……むふむふ……」
イミフなことをつぶやきながら、あやしく笑いつづける大野。
つばき?
えがわ?
刹那、
《椿弼 号:椿山 元幕臣》というクソまじめそうなオッサンと、
《江川太郎左衛門英龍 号:坦庵 韮山代官》なギョロ目オヤジの姿がうかんだ。
江川って、いま新撰組を預かってもらってる、あの江川さん?
椿なんちゃら……はウンチク集には載ってなかったな。
でも、そのオッサンたちとはいったいどういう関係なの?
「文、とな?」
「こたびの仕儀を、先生方にお知らせするのでございます」
「なにゆえに?」
「は? なにをおおせに? お三方は殿のご活躍を、なによりもよろこんでおられるのですから」
容さんの活躍を、渡辺崋山はじめ、その他大勢のオッサンがよろこぶ???
「よもや、お忘れに? 崋山先生はかつて殿の侍読であられた御方ですぞ」
大野は(また例の脳病!? ホントだいじょうぶなの、あんた?)な口調。
「うむ、それは覚えている……(と思う)」
字幕にカテキョーってでてたから。
と、
「なんですと!? 侯は、渡辺殿の愛弟子であられたのか!」
唐突に割りこんだ川路は、
「どうりで、この若さに似ぬ老練さも、渡辺殿の薫陶を受けし御方なれば……」
うるうるのデカい目玉で俺をガン見する。
(え? え? なに? なに? なんで泣いてんの?)
「あいや、お待ちを!」
見るからに不機嫌そうなクリクリコンビが、おもむろに乱入する。
「会津侯はわれらが師父・安積艮斎先生門下。われら見山楼塾生の相弟子にあたられる御方にございます」
怒り心頭の小栗くんと、
「さよう、われらは大政参与と同門じゃ!」
調子にのって吹聴する栗本。
「安積先生の?」
「昌平黌教授の?」
「当代一の大学者の?」
「高弟!」
「あの艮斎先生の御墨つき!」
「「「やはりまことの賢侯!」」」
『安積艮斎』の名に、色めきたつ幕臣団。
(まてまて、クリクリは【高弟】【お墨つき】とはひとことも……)
「艮斎先生は、崋山先生が罪をゆるされて帰国されたあと、殿の侍読になられた御方です」
あきらめ顔の大野が、やさしく俺に解説。
「先生は昌平黌教授をつとめる大儒者で、小栗さまの屋敷地で私塾『見山楼』も主催しておられます。
殿とそれがしは和田倉にて、小栗さま・栗本さまは見山楼にて、それぞれ艮斎先生の教えを受けたもの同士 ―― いわば相弟子の関係になります」
つまり学閥的な?
そうか、それでさっきクリクリは大野を応援してたのか?
しかも、あの安積艮斎は、とんでもない大物みたいだな!
にしても、渡辺崋山は?
「崋山先生は、かつて和田倉屋敷内に住まわれて、諸学を講じておられたのです」
いつものサトリ妖怪が耳もとで緊急レクチャー。
「わが屋敷に?」
「はい、先生は御公儀から譴責を受けられ、国許蟄居の沙汰が下ったものの、家中抗争による粛清を案じられたご主君の三宅さまが大殿に身柄をお預けになられたのでございます」
「であったか」
じゃあ、あっちの歴史とは全然ちがうんですね?
それに、容パパ、幕府にとがめられた罪人を引き取るとか……、政治力ありすぎだろ!
大野によると、溜間重鎮で、幕閣・将軍世子家祥(のちの家定)からの信頼も厚かった容パパは、自分のコネをフル活用して、渡辺を自分の屋敷内に引き取ることに成功したそうな。
そして、蛮社の獄時代の指導者が失脚して、その罪がゆるされるまでずっと、渡辺を会津藩邸で保護していたらしい。
表向きは藩邸内での蟄居謹慎という形だったが、そのじつ、屋敷地外に出られないだけで、本当なら許されない知人との面会・手紙のやりとりもOKだった。
また、禄をはく奪され窮乏する実家には、息子の受講料という名目で、かなりの額を送金していたそうだ。
そんなわけで、渡辺は容パパの恩情にふかく感謝し、会津の人材育成に貢献したようだ。
そして、友人たちは山川を訪ねるフリをして(え、じいも協力!?)渡辺に面会し、時には乞われるまま臨時講師をつとめたとか。
渡辺の謹慎部屋隣にもうけられた学習室では、塾頭格の崋山はじめ一流の識者たち ―― 元槍組同心で渡辺の一番弟子・椿椿山、韮山代官・江川太郎左衛門英龍、地理学者・箕作省吾 ―― が教鞭をとり、若君だけでなく希望する藩士はだれでも学べる江戸日新館Ⅱ状態になっていたらしい。
…………ありゃ?
もしや、みなさん、憑依後の容さんの活躍は、むかしカリスマ教師に仕込まれたから、とか思ってません?
未来知識総動員で死ぬほどがんばっている俺の努力は、全部いい先生にめぐまれた結果だと。
俺の脳みそから絞りだしたアイディアは、師の教えをパクったものだと。
ひ、ひどいっ!!!
ふらつく俺の前では、オッサンたちの品評会も闌に。
「いや~、感服つかまつった」
「さすが岩瀬殿、お目はたしかじゃ」
「義経の異名をとる修理殿が執心いたす御仁ならば、さしずめ静御前のごとき美女であろうと思うたが、それ以上の佳人であられたのぉ」
「「「まことに」」」
「「「わっはっはっは!」」」
筒井の寒い冗談に盛りあがる幕臣たち。
「ご一同! お戯れもたいがいになさいませっ!」
岩瀬忠震の絶叫がとどろく。
「なにを申される! 会津侯に着目したは、それがしの方が先でござる!」
小栗が盛大にクレームをつけ、
「いかにも、又一殿は岩瀬殿よりずっと以前から侯を称賛しておったわ!」
盟友・栗本も強烈に応援する。
「よくぞ申した、瀬兵衛!」
あんたら、またヘンな対抗意識燃やしちゃって……。
「会津侯、うわさに違わぬ人物でござるな」
永井がしみじみ判定を下し、
「侯がかじ取りをされるなら、徳川の御代は盤石だ」
「まことに」
川路もふかぶかとうなずく。
「渡辺殿の愛弟子なれば、異国に通じ、海防に明るいも道理。かように困難な折、ほんによい御方が上にいてくださった」
「「「われら幕臣一同、生涯ついてまいりますぞ!」」」
幕臣団から浴びせられる暑苦しい目線。
(……うぜぇ……)
…………あれ?
岩瀬忠震
川路聖謨
永井尚志
この三人に共通した事件って……なんか、なかったっけ?
それもすごーーーく、イヤーーーな感じの……。
なんだっけ、けっこう重大な……教科書に載ってるレベルの重大事件が……。
あ゛ーーー、思いだせないぃぃ!!!
そして後年、俺の予感は残念ながら的中するのであった(合掌)。




