316 終わりの始まり
溶岩に浸かった肉の塊に、ジョアナの顔がずるりと浮かび上がる。
誰に聞かせるともなく、彼女は一人愚痴をこぼした。
「あーあ、知られちゃったわねぇ。ギリギリで通信、止められなかったわぁ」
セリアが最後にキリエにあたえた情報だけは彼女の計算外。
エンピレオとの同化が完全ではないため、遮断するまでのタイムラグが発生してしまった。
「ちょーっと面倒なことになったわねぇ。『エサ』が四方八方に散らばっちゃうじゃない」
『たべ…… 縺溘∋ 縺溘> たい』
「そうよね、もっともーっとたくさん食べたいのよね」
完全ではないとはいえ、エンピレオとジョアナは同化している。
お互いの思考が手に取るようにわかる。
現在のエンピレオの望みが、ジョアナには完璧に理解できていた。
ブルトーギュの戦役以来、長年に渡って上質な魂を喰らい続けてきたエンピレオの舌は、すっかり肥えてしまっていた。
もはや禁欲の日々には戻れない。
好きなだけ美味しいものを食べたい、と。
「この世界の全ての生物を食べ尽くす。そのためにあなたは、世界中に『根』を張り巡らせようとしている」
地下深くから少しずつ少しずつ『根』を伸ばし、世界中に張り巡らせたところでこの星の命を一気に刈り取る。
全てを喰らい終えたのち、死の星となった星を捨てて新天地へと飛び立つ。
その時まで、エンピレオはジョアナとともに隠れ潜んでいるつもりだった。
しかし、キリエたちに居場所が割れてしまった今、その計算は狂ってしまった。
「あの子たちを生み出した今、チマチマと少ないエサを送ってくる勇者なんて、もういらないものねぇ」
エンピレオの細胞を埋め込まれた不死兵には、勇者と同じく殺した相手の魂を本体であるエンピレオに転送する機能がある。
ジョアナにとって、すでにキリエはエサ係としての価値すら失われていた。
『もっ 縺翫↑縺 もっと たべ 縺吶>縺』
「そうねぇ……。いっそのこと、先に始末しちゃいましょうか」
こうして手をこまねいていても、じきに勇者たちが攻め込んでくるだろう。
【風帝】を手に入れられない以上、どのみちエンピレオを倒す手段などないのだが、時間を与えれば新たな手段を編み出すかもしれない。
ならば、その前に行動を起こす。
結論を出したジョアナは、『分体』に行動を起こさせた。
「……ジョアナ、どうしたんだい……っ? ぼんやりと、キミらしくもない……!」
「レディには秘密があるものよ?」
「おぉっと、ボクとしたことが、これは失礼……っ」
片手で顔をおおい、ゼーロットが高らかに笑う。
彼は何やら話をしていたようだが、ジョアナは一切聞いていなかった。
本体が見聞きした情報に耳を傾けていたために。
「ところでゼーロット。あなたもう戦えるのかしら」
「あぁ……、あぁ……っ! もう一息といったところかな……っ。まだ完全ではないねぇ……」
「そう。残念ながら完成まで待っていられなくなったわ。不死兵団ともども出撃するわよ」
「おや……? 防衛こそが基本方針ではなかったのかい……っ?」
神が地上に姿を現す最終段階まで、徹底的に身を隠し続ける安全策を覆し、ここに来て攻めに転じることにゼーロットは疑問をいだく。
「兵は拙速を尊ぶ。それに……」
しかし、ジョアナのこの一言を耳にした瞬間、
「全ては神の決定、神のご意思よ」
「……あぁっ、神のご意思!」
彼の疑念は全て吹き飛び、神と共にある喜びと奉仕への歓喜に満ち満ちた。
「それならば仕方ない、すぐに準備するよ……っ!」
「えぇ、よろしくね。じきに神が二千年ぶりに地上へ姿を現す。その前に、盛大なセレモニーを開かなくては、ね」
〇〇〇
敵のアジトが王都の地下にある。
そう言い残して、クイナからの通信が唐突に途切れた。
待ちに待った情報。
けれど知れた喜びよりも、あの子への心配の方がずっと大きい。
黄色い勇贈玉はにぶい光をたたえたまま。
もしもクイナが殺されれば、魂が勇贈玉に戻って輝きはじめるはずだから、生きているのは間違いないけど……。
とにかく私は、この情報をすぐにペルネ姫へと報告。
そしてすぐに重臣や主要なメンバーを集めた会議が開かれることとなった。
知ってる顔で呼ばれたのは、私の他にイーリアとギリウスさん、それからリーダーくらいかな。
ベアトはお部屋でおるすばん、トーカとメロちゃんはパラディで装置の開発を手伝ってる。
そんな中、私は改めてクイナから聞いた情報をみんなに説明し、
「確定情報、と見ていいのですね」
ペルネ女王に最後の確認を求められた。
じっと見つめる真剣な眼差しに、私も大きくうなずいて答える。
「あの子のあれだけ切羽詰まった声、はじめて聞いた。間違いないよ」
「……わかりました。大臣、かねてから進めていた住民の避難計画は?」
「はっ。近隣の街や村々、バルミラードやスティージュによる受け入れ態勢は整っております」
「よろしい。騎士団長、住民への避難指示は整っていますか?」
「いつでも動き出す用意、出来ています!」
家臣たちに次々と確認を取っていくペルネ姫。
このあたり、さすが女王様ってカンジだ。
不死兵と転送装置の情報が入って以来、王国側の対応は一変。
『獅子神忠』が大規模な侵攻を企んでるってコトだからね。
王都に不死兵団が転送されて、ここがそのまま戦場になる可能性が一番大きい。
敵のアジトが王都の真下だったと判明した今となっては、なおさらの話だ。
ペルネ姫はまず、近隣の友好国に住民の受け入れを要請。
それから王都の住民に、魔物の発生源となる危険な存在とそれを信奉する集団を公表。
王都が戦場となる可能性について説明した。
魔物の大量発生で不安になっていた住民たちの多くがこれを受け入れて、少数の反対派の意見を数の力で封殺。
あとは女王が号令をかけるだけとなっている。
「……では、女王ペルネ・ペルトラント・デルティラードの名の下に命じます」
そしてついに、鶴の一声が発せられた――、
「急ぎ住民の避難を開始してください。同時に、『獅子神忠』との交戦準備を――」
バタンッ!
「へ、陛下! 至急お耳に入れたき事がッ!」
……かに思われた。
女王の下知をさえぎったのは、乱暴に開け放たれたトビラの音と青ざめた兵士さんの大声。
貴族みたいなお偉いさんが、その兵士さんを不機嫌そうな顔でにらみつける。
「これッ! 陛下の御前だ、無礼であるぞ!!」
「も、申し訳ありません……! しかし……!」
「良いのです。火急の要件なのでしょう? 申してみなさい」
ペルネ女王のおだやかなとりなしで、伝令の兵士さんは報告を開始。
その内容は、会議室中にいる全員を驚愕させるに十分なものだった。
「はっ! お、王都各地に肉塊のような異形の怪物が出現! 市民を無差別に殺傷しております……!」




