第89話 こ・ろ・せ!
はああああああああああああああああ……疲れた……。
「私のおかげよ。泣き咽びながら感謝しなさい」
俺ががっくりと膝に手をつきながら深すぎるため息を吐いていると、マガリが隣にやってきてボソリと一言。
ドヤッとした得意げな表情と言葉に一瞬イラッとさせられるのだが、すぐに持ち直す。
「おう。初めて俺の役に立ったな。これからもそういうことを続けるように」
「…………」
ニッコリと笑ってそう言ってやれば、彼女は一転して笑みを消して……手を顔に伸ばしてきた。
痛い痛い。頬をつねるな。
当然、そのままやられ続けるわけにもいかないので、マガリが半泣きになるまでグニグニと頬を引っ張ってやった。
マガリが頬を抑えてうずくまっているのを見て満足した俺は、ルボンが墜落した場所を見る。
よし、あとは止めを刺すだけだな。
意気揚々と、本当にスキップでもしてしまいそうな心持でルボンの元に向かう。
『勝ったんだから、追い打ちをかけるのは止めようよ!』
……が、魔剣のせいで身体がピタリと硬直し、動けなくなってしまった。
これには、温厚でイケメンの俺も怒髪天を突く。
テメエのその甘ったれた考えのせいで、今回はマジで死にかけたんだぞ!? ふざけたことを抜かすのも大概にしろ!!
だいたい、狂信者がまともに戻るわけないだろ。一度深みに入ってしまえば、這い上がってくることはできないんだよ。
ということは、このまま生かしていたらずっと俺は付け狙われる可能性がある。
いつ殺されるかわからないという状況で一生を生きていけるわけないだろ。
不穏な芽は摘んでおくに限る。
『それは言いすぎだと思うけど……』
「ぐっ……あぁぁぁ……! い、痛い……!? どうして……天使様のお力を持つこの私が、負けるはずが……!」
ルボンの声が届いてきた。
見れば、何とか起き上がろうともぞもぞと動いていた。
ちっ、まだ生きてんのか、こいつ。
あんな高さから叩き落とされて生きているとか、人間じゃないだろ。
死んでいてくれたら、わざわざ止めを刺す必要もないから楽だったのに……。
『天使の力も残っていたんだろうね。マガリも初めて力を使ったわけだから、全て奪い取ることができなかったんだろう』
はー、天使の力ね。信仰心なんて微塵も持ち合わせていないけど、もらえるものならもらいたいくらいだ。
……そういえば、マガリの力ってなんだ?
急にルボンから力が失われたように見えたが……。
『マガリの……というより、聖女の力は相手の持つ特殊な力を無効化することができる力だよ。近接格闘を鍛えておらず、能力に頼って戦う人たちからすれば、最悪の能力だね』
へー。
「(……私、凄くない?)」
ドヤッとまた俺を見てくるマガリ。
しかし、これは否定できないだろう。是非お願いしたいこともある。
凄い。凄いから、この魔剣も無効化できるか試してくれない?
こいつの意思だけでもなくしてくれると大変うれしい。捨てるのも簡単になるし。
『止めてよ! 殺人と変わらないよ、それ!』
お前人間じゃないだろ。
それに、別に俺が手を汚すわけじゃないから……。何も負い目を感じる必要がないんだよな。
……っと。今はのんきな話をしている場合ではなかった。
よろよろとしながらも立ち上がろうとするルボンに止めを刺してやらなければ……。
『で、でも……』
まだ魔剣は悩んでいるようだ。
ウジウジするな! 躊躇せず殺れ! どうせ俺の手が汚れることはないから、安心しろ!
「て、天使様のお力を示し、天使教を拡大させねば……。そうすることによって、エリザベスに良い生活を送らせてやることができる……。だから、絶対に……ここで終わるわけには……!」
…………そんな目的だったの?
魔剣くん! 何か殊勝なこと言っているけど、気にするな! 殺れ!
『やりづらいよ!』
揺れていた魔剣の考えが殺人否定側に傾いてしまったため、また俺の身体が硬直する。
クソ! 余計なこと一人でぶつぶつと言いやがって……!!
「もういいって、クソ親父」
俺が何とか身体を動かそうと努力している間に、ルボンの側に行ったのはエリザベスであった。
彼女はまだ立ち上がることのできない彼を見下ろし、憐憫のまなざしを向けていた。
「あんたが俺のためにって思ってくれていたことは嬉しいよ。だけど、それで他の人を追い落としたりしていい理由にはならねえと思うんだ」
「え、エリザベス……」
「俺はさ、そ、その……あんたが一緒にいてくれるだけで、それでいいんだよ。あんたが側にいてくれるだけで、幸せなんだ」
「…………」
照れた様子で頬をかくエリザベスの様子を、ルボンはただ仰ぎ見る。
「だからさ、もう規模の拡大とか信者の増数とか、考えなくていいって。これからは、俺と一緒にいてくれて、そんで救いを求める人々のために力を尽くそう」
「エリザベス……」
「あんたにとっての俺は信者集めのための人形かもしれねえけどさ、俺にとってのあんたは世界で一人しかいない父親なんだよ。だからさ……俺と一緒にいてくれよ、親父」
美しい笑顔を見せるエリザベス。
それは、見る者に何らかの影響を与えるほどの綺麗な笑顔だった。俺は何とも思わないが。
そんな笑顔をする娘を父が見るのだ。やはり、思うところはあるのだろう。ルボンはポカンとした様子で彼女を見ていた。
「…………ああ、そうか。私は間違っていたのか……」
そして、全てを理解したように達観した笑みを浮かべるルボン。
何だかほんわかとした空気が流れている。
…………は? なにこのクソつまらない展開? 俺を馬鹿にしてんのか?
『いい話じゃないか……』
感極まったような声を発する魔剣。何言ってんだこいつ。
よくないけど? 俺、ルボンに本気で殺されかけたんだけど? このままタダで済むと思ってんのか?
間違っていたことなんて最初から分かってんだよ。お前がそれに気づいたからなんだって話だ。
その過程で俺がどれほど苦しく痛い思いをしているか分かってんの?
暗殺のプロに襲われて深手負うし、街全体から追い回されるし、天使の力とかいうチートなものに押しつぶされそうになるし……。
こっちが命の危険を押し付けられたんだから、そっちも命出さんと対等ちゃうやろ!
こ・ろ・せ! こ・ろ・せ!
『最低か! せっかく父と娘が仲直りしようとしているのに!』
俺に関係ぬぇっ!! 落とし前つけてもらう必要があるぞぉっ!!
納得できぬぇっ!!
「すまない、エリザベス。私は……」
「いいんだよ。とりあえず、起きろよ。肩貸すからさ」
そんな俺の想いも届かず、エリザベスとルボンは今更感動的な父娘の展開を繰り広げている。
小さなエリザベスが父に肩を貸し、身体を支えている。
よっしゃ! 二人諸共いけるぞ!
『いかないってば!』
俺と魔剣がそんな話をしている時だった。
「――――――ッ!!」
「わっ……!?」
突然、自分を支えてくれていたエリザベスを、ルボンが後ろに引っ張って倒したのである。
地面を転がり、怒りの表情を露わにするエリザベス。
ほら! やっぱり改心したなんて嘘だったんだ! 殺そう!
……と一瞬思った俺だったが、すぐにルボンの姿を見て唖然としてしまった。
「な、なにすんだ……よ……」
文句を言おうとしていたエリザベスも、また同じだ。
怒りの表情から、唖然としたものに変わる。
なぜなら……。
「エリザ、ベス……」
ルボンの腹部に、長い槍が深く突き刺さっていたからである。
えぇ……?




