第43話 学びました
「人魚、ですか?」
人魚という存在に興味を持ったのか、それとも俺が反応していることで聞きたくなったのか、どちらにせよマガリは人魚のことを村長に尋ねた。
……間違いなく後者だな。俺の弱みを握ろうとしてやがる。
ウキウキしている表情とキラキラした目から分かるぞ。
「ええ。海沿いにずっと住んでいる我々も、生きているうちに一度会えるかどうかというほど、ほとんど姿を現しませんがね。私も一度も見たことありませんが、見た者は一生忘れられないようです」
へー、人魚ってそんな珍しいのか。
まあ、うじゃうじゃ水の中にいる方が気持ち悪いか。
「人魚は美しい容姿をしている方が多いと言いますものね」
「聖女様もお美しいですよ」
「お世辞をありがとうございます」
「いやいや」
マガリと村長がそんな話をニコニコしながら続けている。
くだらねえ話してんじゃねえよ。キモイわ。
村長はマガリの見た目に騙されているようで、鼻の下が伸びている。
騙されるな。こいつの内面はドブ以下だぞ。
『君が言うな』
魔剣くん、君は余計なことばかり言うねぇ……。
「まあ、確かに人魚たちは美しいようですが……それで忘れられない出来事になるというわけではありません」
「と言いますと?」
不思議そうに首を傾げながら尋ねるマガリ。
「忘れられないのは、彼女たちの歌だそうです」
「歌……」
……シルクが言っていた話と同じじゃないか。
「本当に美しい歌声で、それこそ心まで持って行かれそうな美しい歌を歌うようです。実際に、その歌声に魅了されたのかわかりませんが、海難事故にあって命を落とした漁師も何人かいるほどですから、相当なのでしょうな」
ひぇ……。
思わず震えてしまいそうになる。
俺が海の中に引きずり込まれてしまったら……何とかマガリを生贄にして逃げられないだろうか……?
「だから、我々の村だけでなく、海沿いの人魚伝説がある村では、美しいと同時に恐ろしい存在だと伝えられているのです。彼女たちに気に入られたら最後、海の暗く冷たい深い場所に引きずり込まれてしまう、と……」
化け物じゃねえか!!
俺の抱いていた人魚像が儚く打ち砕かれる。
人魚にも都合の良い女がいたらアプローチしようとしていたのだが、流石に化け物の隣に立ち続けることはできない。
もう、俺がここにいる理由はなくなったな。さっさと帰ろう。
「まあ、これは言い伝えにすぎません。実際に、人魚たちが人間を殺すために歌ったりしているというわけではありませんので、そんな危険な存在ではないと思います」
「そ、そうなのですね。貴重なお話、感謝しますわ」
にこやかに笑う村長と、明らかに顔が引きつっているマガリ。
……マジで人魚に狙われたら、マガリを身代わりにしよう。
内面はドブだが、聖女という地位と資格を持っているし、俺よりも受けがいいだろう。
◆
「ちっ。こんなしょっぱい場所に俺を止めるなよ。ムカつくなぁ……」
時間は夜。マガリが愛想笑いしながら村人たちにヘコヘコしていたのは面白かったが、それも終わり、今は村長から与えられた空き家に俺は滞在していた。
騎士たちは野営をするようだが、俺がそんなことで体力を回復できるわけがない。
空き家だったので、少々埃っぽいのもムカつく。
ちっ。この俺をもてなすにはあまりにも不敬じゃない?
マガリは聖女ということもあって、村長宅に招かれている。
大したところではないが、空き家よりはマシだろう。
別れる際、あいつのニマニマとした顔が腹立たしくて仕方ない。
ちくしょう。あいつ、肥溜めで寝ていてくれないかな?
『もてなされている人間の態度じゃないよね』
魔剣の苦言が飛んでくる。喧しいわ。
仕方ない。俺は別に来たかったわけではないのだから。
王都の最高級宿で素晴らしい待遇を受けていたせいで、落差というものがあってキツイ。
寒村から出てきたばかりのころなら、今の方がいいと言えるのだろうが……。
すっかり都会の男になってしまった俺には、ド田舎は似合わなかった。
『いつも部屋に引きこもっているくせに、都会の男も何もないんだよなぁ……』
王都に出たら絶対に何かあるし、お前はそこに突っ込ませるだろ。
だから、出たくても出られないんだよ。クソが。
『そう言えば、君は村長が話していた人魚の話、どう思う?』
魔剣もマガリのように気になっているのだろうか?
どうも何もないけど? 怖いだけだし。
あのおっさんも言っていたが、そうそう会える存在でもない。
というか、会いたくない。海難事故を起こして海の藻屑にしようと企むような種族となんて関わりたくない。
『いや、そんな悪い種族じゃないんだけど……』
何故だか知ったようなことを言う魔剣。
封印される前に会ったことでもあるのだろうか? 興味ないが。
どうせだったら、人魚に海の底まで引きずり込まれていたらよかったのに……。
とにかく、人魚を探すようなことはしない。
俺にとってここは何の魅力もない場所だし、さっさと行幸を終わらせてもらって王都に戻るだけだ。
何だったら、マガリが離れている今、こっそりと逃げ出したっていい。
「はぁぁ……」
欠伸をしてしまう。
さてと、そろそろ寝るか。
誰かさんがお荷物になったせいで、大分疲れてしまったし。
『うぐぅっ』
本当、お荷物だったぞ。
俺はそう言って開いていた窓を閉めに行く。
汗をダラダラかいていたときは気持ち良かった潮風だが、夜になると少し涼しいな。
風邪をひくのもバカバカしいし、ちゃんと閉めて寝よう。
「――――――」
バタン! と強く音を立てて窓を閉める。
さーて、寝よ寝よ。
お疲れーっす。
『ちょっと待って!』
「ふぐっ!?」
あまり柔らかそうではない寝具の元に向かおうとしていた俺の身体が、不自然な体勢で固まってしまう。
ま、魔剣の野郎……身体を止めやがった……!
人間の身体を操るって、こいつ自分のこと本当に聖剣だと思っているのだろうか?
『今何か聞こえてこなかった?』
俺の身体を止めつつ、魔剣はそんなことを聞いてきた。
……………………。
こなかったよ?
『嘘だ! 君の話し方が変になっているもん!』
俺の脳裏に、シルクの時のことが思い出される。
嫌じゃあああああああああああああああ!! また確認しに行くのは嫌じゃああああああああああああああ!!
ああ、そうさ! 聞こえたさ!
潮風に乗って歌声らしきものが聞こえてきたさ!
だからって俺が見に行く必要はないだろうがっ!!
『でも、シルクの時みたいに……』
それが嫌だって言ってんですけど!?
シルクも結局演技の練習していただけじゃない! 俺が行く必要なんてなかったじゃない!
……オカマ口調みたいになってしまった。
とにかく、今回も一緒! 何も危険なことなんてない!
大丈夫! 俺が行く必要なんかないんだ!
早く寝よう! 俺は疲れているんだ!
実際にくたくただし、眠いのも事実なのだ。嘘は言っていない。
『僕たちが行ったことで、シルクは奴隷という身分から解放されて、夢だった劇団に入ることができたんだ! だったら、今回も行くべきでしょう!?』
寝ようとしているのに、しつこく話しかけてくる魔剣。
ふっざけんなよ無機物ぅっ!
そのシルクを解放する過程で俺がどれほど危険な目に合った!? 怖い体験をした!?
まず第一に考えるべきは俺のことで、他人のことじゃねえんだよ!
グレーギルドなんかとガチンコでやらされて、本当に泣いたんだぞ!
『情けなかったね』
辛辣過ぎない?
情けないとかじゃなくてさぁ。
俺、元ただの農民よ? お前に操られて振り回されるただの悲しいイケメンよ?
情けないとかないだろ。同情されまくりだろ。
『まあ、そういうのはいいからさ。さっさと行こうよ』
嫌でーす。お前一人で行ってこーい。
『行こうね』
魔剣の悪魔のささやきの後、俺の頭が信じられないほどの激痛に襲われる。
うぎゃああああああああああああああああああ!? い、行きますううううううううううううっ!!
俺は涙で掠れる視界の中で思った。
……こうやって人を苦痛で支配しようとするのが独裁者なんだなって。
俺、学びました。




