第38話 見に行くね
この世の中には、人魚という存在がいる。
上半身は人間で、下半身が魚の亜人である。
その見目は大変麗しく、だからこそおとぎ話などでよく取り上げられている。
そのおとぎ話などから、人魚は儚く美しい存在だと思っている者が非常に多い。
だが、一部の人々……とくに、海沿いに住んでいる人々からは、その好意的な印象だけでなく恐れられている面もあった。
それは、人魚の歌である。
海に出て資源を得ている漁師たちは、それを最も恐れている。
人魚の歌声は非常に素晴らしいものだ。人を簡単に魅了してしまう。
問題は、その魅了の強さである。
あまりにも美しい歌声に、漁師たちは船の舵を取ることすら忘れて聞きほれてしまうため、海難事故が多発するのだ。
だからこそ、美しい容姿と歌声をしていて人気もある人魚という亜人だが、しかし海で活動する人々からは恐れられてもいるのであった。
◆
「……っていう演劇をする」
俺の目の前で無表情で人魚の話をしたのは、シルクである。
こげ茶の短めに切りそろえられた髪と、紫がかった瞳が特徴的な女。
胸も大きいのだが……まあ、それはどうでもいいや。表情がめったに変わらない人形みたいなやつである。
少し前に、こいつは奴隷であり、魔剣に脅されて嫌々かかわったのだが、今はその奴隷という立場からも解放され、名門と名高い王都演劇団に加入している女優だ。
俺も付き合わされたことのある演劇の練習をしていたこともあってか、すぐに劇に出させてもらうようになり、その人気は急上昇中らしい。
見た目と演劇が良いという理由だろうが……両方とも俺にとってどうでもいいことなので、さっぱり魅力がわからん。
シルクを奴隷から解放するためにグレーギルドと衝突するのは嫌だったし、演劇の練習に付き合わされるのも嫌だったが、もうこれから関わることはないと思っていたのだが……。
何でまたこいつが俺が住んでいる宿に来るんですかねぇ……。
『せっかく来てくれたんだから、相手するのは当然でしょ。しかも、相手は人気女優さんだよ? 喜びなよ』
出たな、諸悪の根源。
俺の脳内に直接語りかけてくるのは、人間ではない。剣の形をした無機物である。
遺憾なことに、俺はこの魔剣に寄生されてしまい、自由に行動することができなくなってしまったのだ。
『ひ、人のことを寄生虫のように……』
似たようなものだろ。
シルクを助けることになったのだって、魔剣が俺の身体を操り頭痛で脅迫したりした結果なのだから。
こいつがいなければ、そもそも俺とシルクは出会うことすらなかっただろう。
しかも、腹立たしいのは、こいつが王国の国宝とも言えるような聖剣という立場にあることだ。
適合者とやらも俺以外に存在していないらしく、さっさと故郷に帰って豪農や商人の娘を捕まえたかったのに、俺はこの王都に縛り付けられる羽目になっているのであった。許さん。
「……アリスター?」
俺の顔を下から覗き込んで見上げてくるシルク。
反応を示さなかったので、不思議に思ったのだろう。
というか、次にやる演劇の内容を俺に話されたところで、どうすることもできないのだが?
どうしようとも思わないのだが?
「そうか。シルクは出られるのか?」
「……うん。人魚の役」
へー。人魚が題材の劇で人魚を演じるって、もう主役じゃないの?
新人なのに主役任されるって、凄くない?
『凄いよね』
まあ、だからと言ってなんだって話だが。
正直、演劇の上手い下手はさっぱりわからない。
誰かの演劇を見ても、別に感情を揺らされることはないし。
『冷血漢だよねー、君』
喧しいわ。
「凄いな、主役か? 頑張れよ」
「……うん」
俺が笑いかければ、下を向きつつ頷くシルク。
よし、話は終わりだな?
ベッドでゴロゴロしたいし、さっさと出て行ってくれ。
「……でも、衣装が派手だから、ちょっと不安。胸も貝殻で隠すらしいし」
薄く頬を染めながら、そんなことを言ってくるシルク。
へー。人魚ってそんな痴女みたいな種族なのか。
俺からすれば、どんな美女でも素っ裸になっているからといって飛びかかるようなこともしないので、本当にどうでもいいのだが。
「……おかしい所がないか、見てくれる?」
「は?」
おっと。素が出てしまった。
しかし、それほどシルクの言葉がトチ狂っているのである。
頬をうっすらと赤くしながらも、俺の目をじっと見つめてくる。見んなや。
え、なにこいつ……その派手な衣装を俺に見てもらおうとしているわけ? ヤバくない?
『人気女優からそんなことを言われるなんて……色男め!』
俺が色男なのは分かっているが……だからと言って、見るとは言ってないんだよなぁ。
「ははっ。シルクのそんな姿を見てしまえば、俺もどうなってしまうかわからないからね。遠慮させてもらうよ」
『君、見ても眉一つ動かさないよね』
当たり前だろ。
とりあえず、笑顔で断ろうとする。
「……別にどうなってもいいよ?」
首を傾げながら言ってくるシルク。
はい、無視ー。こういうのは聞こえなかったふりー。
というか、さっさと出て行ってくれない?
俺もそろそろ優雅なお昼寝の時間を過ごしたいんだけど?
「……じゃあ、今度の演劇、見に来てくれる?」
頬を膨らませながら、何故かご立腹の様子でそう尋ねてくる。
じゃあってなんだ、じゃあって。
演劇なんて、見に行くはずないじゃん。面白さがさっぱりわからないのに。
嫌に決まってるだろ。拒否だ、拒否。
『行ってあげなよ! わざわざ主演女優さんが来てくれて招待してくれたんだよ?』
そんなの関係ないんだよなぁ。
まったく面白さを感じないものを見に行くのは、俺もつまらないしシルクにも失礼だろ?
だったら、断った方がいいんだよ。
『う、うーん……そうなのかな……?』
バカな魔剣が悩んでくれているし、今のうちにさっさと断ってしまおう。
もちろん、俺がシルクのことを考えるような殊勝な性格でないことは明らかである。
なんだかんだ言って、せっかくの休日を潰したくないだけだ。
まあ、王都に留められるようになってから、ずっと休日なんだけどね。
今のところ、一度も国王から呼び出しなんかもくらったことないし……。
あいつも王城で歯ぎしりしていることだろう。あいつは普通に教育などを受けているだろうし。
あー、面白い。笑いがこみあげてくる。
まっ、これが俺とあいつの違いだな。
「あー、シルク。悪いけど俺は――――――」
俺が拒否の言葉を続けようとした、その時だった。
『アリスター様』
コンコンと扉がノックされ、外から名前を呼ばれたのだ。
これは……この最高級宿で俺の世話をしてくれる人の声だ。
もう聞きなれてしまったので、声で誰か分かるようになってしまった。
そいつが俺に声をかけてくるということは……何かあったのか?
「はい、どうかしましたか?」
一応心にもないが目線でシルクに謝って、その人の声に答える。
『お手紙が届けられています』
……手紙?
故郷の寒村に手紙を書くような資源と人材がいるとも思えないし、心当たりがさっぱりない。
『酷い言い草だな。故郷なのに』
別に愛着もクソもないからな。
しかし、手紙かぁ……。
「捨てといてください」
『いいの!?』
いいよ。どうせ、ろくでもないものに違いない。
もし、『アコンテラ』の残党からの犯罪予告だったらどうするんだよ?
失神して失禁する自信がある。
『な、情けなっ。一応見ておきなよ。本当に犯罪予告だったら、騎士にお願いして警護してもらえばいいんだし』
……確かに、不意打ちで襲われるよりはマシか。
「すみません。やっぱり、もらいますね」
俺はそう言って扉を開けて、部屋の外で待っていた使用人から手紙を受け取った。
……え? 二枚?
一人として心当たりがないのに、二人から届けられているのか……。
俺は不安に思いながら、一枚目の手紙を開ける。
【あなたが欲しい byエドウィージュ】
「うおおおおおおおおおおおおっ!?」
「……アリスター?」
いきなり手紙を地面に叩き付けた俺を見て、ビクッと身体を震わせているシルク。
すまん。だが、震えたいのは俺の方である。
え、エドウィージュって……グレーギルド『アコンテラ』に所属していた頭のおかしい女だよな!? どうして俺に手紙を送ってきてやがるんだ!?
あいつ、俺に倒されて牢獄にぶち込まれていたんじゃ……!?
『まあ、普通に考えて牢獄から手紙を出したということじゃないかな? もしかしたら、脱獄して手紙を送ってきたということも考えられるけど』
嫌ああああああああああああああああ!!
何でこいつ俺にそんな執着してんだよ!? イケメンだからか!?
……とりあえず、この手紙は燃やそう。
もういい。さっさと次の手紙を読もう。
そう考えて、もう一つの手紙を開ければ……。
【ちょっと王城来いや byマガリ】
俺は手紙を破り捨てた。
『えええええええええええええええええっ!?』
「……アリスター、いいの?」
目を丸くしているシルクが尋ねてくる。
俺は彼女にニッコリと笑いかけた。
「やっぱり、君の演劇を見に行くね」




