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【書籍化・コミカライズ】偽・聖剣物語 ~幼なじみの聖女を売ったら道連れにされた~  作者: 溝上 良
第一章 勇者聖女誕生編

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第18話 初めての舞台

 










 シルクにとって、大きく人生が変わったと言えるのは二つある。

 一つは、プリーモ・サラーティによって両親が殺された時である。


 それによって、決して大きくもなければ領民のことを考えて低い税率を課して貴族らしからぬ質素な生活を営んでいたシルクは、奴隷に落とされたのだ。

 裕福とは言えない生活だったが、彼女にとっては自分を愛してくれる両親といれば、とても幸せなものだった。


 それを破壊されて、小さくとも貴族の令嬢であったシルクが奴隷に追い落とされたことは、間違いなく人生が変わった瞬間だと言えるだろう。

 そして、もう一つは……。


「あなたに会えたこと……?」

「なにが?」


 シルクが隣を見れば、目のハイライトを消している男がいた。

 彼の名前はアリスター。少し前から交流を深めている男である。


 いつも見栄えの悪い黒々とした剣を携えており異様な雰囲気があるのだが、何度も触れ合っているシルクは彼が心優しい男だということは分かっている。

 自分の演劇の練習に、わざわざ危険な夜の街に出てまで手伝ってくれる優しい彼。


 そのおかげで、最近は随分と演技の質が良くなってきた気がする。

 実際、王国の名門である王都演劇団の演劇を見たことのあるイスコも、彼らに匹敵するくらいだと評してくれた。


 それもこれも、アリスターのおかげである。

 劇団に入って多くの人の前で演技を披露するという、小さなころからの夢。


 その階段を、今日初めて一歩上りはじめるのである。

 彼女たちがいるのは、イスコの運営する孤児院である。


 今日、ここでシルクは初めて人の前で演劇を披露するのだ。

 劇場はお世辞にも荘厳とはいえないさびれた孤児院。


 観客は目の肥えた上流階級の大人たちではなく、演劇を一度も見たことのない子供たち。

 舞台装置も衣装もない。


 そんな初めての晴れ舞台にしては、あまりにもお粗末なもの。

 多くの人が嫌がり、やりたがらないであろう舞台。


 しかし、当のシルクは、その薄紫の瞳をキラキラと輝かせながら、今か今かと開演を待ち望んでいた。

 そんなみすぼらしい晴れ舞台でも、シルクにとっては最高の見せ場になるのである。


 それは、奴隷にまで落とされた自分が演劇をできるということもあるだろう。

 そして、それに加えて……。


「……頑張ろうね、アリスター」

「(……何で俺まで)ああ」


 一緒に演劇をしてくれる共演者であるアリスターがいるからかもしれない。

 今まで、たった一人で全てやってきた。


 演劇の練習も、プリーモにばれるわけにはいかないため一人である。

 夢のためだ。それくらい、我慢しよう。


 しかし……しかしである。寂しくないわけがなかった。

 そんな彼女の前に現れたのが、王都演劇団でも主役を張れるような容姿の整ったアリスターであった。


 彼は優しく、シルクの背を押してくれた。

 これまでの演技の練習にだって付き合ってくれた。


 プリーモにばれてしまうかもしれないという恐怖からしり込みしていた彼女に、温かい笑みを浮かべて諭してくれた。

 ここに立つことができるのは、アリスターの力が非常に大きかった。


「……ありがとう、アリスター。あなたのおかげで、ここまで来られた」

「何言ってるんだ。まだ演劇は始まってすらないんだぞ? その言葉は、大成功させてから聞かせてくれ(俺はこんなところまで手伝うつもりはなかったぞ)」


 うっすらと笑うアリスターに、シルクもコクリと頷く。

 さあ、もうそろそろ始まるころだ。


 賑やかな子供たちの声も聞こえてくるから、準備は着々と進んでいる。

 演劇の内容は、それこそ誰でも知っているような童話である。


 セリフなどは、今まで一人で、アリスターと二人で何度も練習してきたから、度忘れすらすることなく完全に覚えている。

 ドキドキと高鳴る胸に手を当てて、深呼吸をする。


 あまり感情表現が上手ではないし、感情も豊かではないのだが……。

 やはり、どうしても気分が高揚してしまうようだ。


 これが、自分の夢への第一歩……初めて他人の前で練習してきた演劇を披露するのだ。

 子供たちを魅了できるのか、はたまたつまらなく退屈な時間にしてしまうのか……それは、自分の実力次第である。


 この確かめる機会に、武者震いをしてしまうシルクであった。


「……頑張ろうね、アリスター」

「え、あ……おう」


 アリスターも緊張しているのだろうか、顔が強張っている。

 そのことに少しおかしくなって笑ってしまい、いい具合に緊張がほぐれた。


 さあ、開演は間近だ。シルクは心地いい緊張に身体を包まらせて……。


「(……本当にやるのか? 今からでも質に入れてさぁ……)」

『もうここまできたんだから諦めなよ。門出なんだから、プレゼントくらいいいじゃないか。今まで付き合いもあったし、それくらいいいでしょ?』

「(それはいいけど、俺が危険な目にあったことは許さん)」

『ごめんって』

「…………?」


 チラリと横を見ると、アリスターがごそごそとし始めていた。

 緊張しているのだろうか? それなら、何かしらそれをほぐすようなことをしてあげなければ……。


「えーと……シルク。これを受け取ってくれないか?」

「え……?」


 シルクの目の前に突き出されたもの……それは、美しいドレスであった。

 アリスターの目が死んでいることが少し気になるが、それは目の前のドレスに目を奪われているシルクが気づくことはなかった。


「これは……」


 最上級の、王族や上級貴族が着るようなものではない。

 しかし、奴隷に追い落とされたシルクならば、一生着ることのできないほどの価値はあるものだった。


 貴族であった時に持っていた、お気に入りのドレスに匹敵するくらいのものだと、彼女は見通した。


「どうやってこれを……? あなたはお金持ち……?」

「いや、そういうわけじゃないんだけどな。少し魔物の討伐をして、お金を稼いだんだよ(まさかワイバーンに突撃させられるとは思っていなかったぞ……許さない)」

『まだぐちぐち言っているの? でも、ワイバーンくらいじゃないと何度も魔物の討伐に行かないといけないけど、それは嫌でしょ? それに、僕がいればあんな魔物相手にならないよ』

「(負けなくても怖いんだよ! 俺はそもそも普通の農民だぞ!? だいたい、何で俺がシルクのためにそこまでしてやらないと……!!)」


 内心で激しく罵っていても、表情は笑顔のままで固定……アリスターの本領発揮である。


「そ、そんな危ないことをしてまで……どうして……?」


 シルクには分からなかった。

 どうして、アリスターがそこまでしてくれるのか?


 彼女は戦闘の経験もなければ荒事の知識もないため、魔物の種類などもあまり分かっていない。

 だが、ワイバーンという魔物はその強大さゆえに何度も耳にするような危険な魔物だ。


 こんな……両親を失った今、誰も助けてくれるはずのない自分に、どうしてそんな危険なことを冒してまで優しくしてくれるのだろうか……?

 そんな彼女に、アリスターは表向き優しく微笑みかける。


「これは、君の夢の第一歩だからだよ」

「あ……」


 シルクはストンと、何かに落ちてしまったような気がした。


「劇場とはいえない孤児院、観客も貴族などの上流階級ではなく芸術を知らない孤児たち……確かに、王都演劇団に入団してから初めて舞台に立つような役者たちからすれば、とてもじゃないがやりたがらないような慎ましいものかもしれない」


 だが、それでも……。


「これは、初めて役者シルクが人の前で演劇を披露する大切な晴れ舞台だ。共演者が俺だということも足を引っ張ることになるだろうが……せめて、衣装くらいはと思ってね」


 なお、内心泣き叫びながらワイバーンの前に立ち、そのドレスを買う時も散々ぐちぐち言っていた模様。

 だが、鉄壁の猫かぶりを、シルクが見破ることはできなかった。


 彼女はアリスターから渡された純白のドレスを、大切そうに、大切そうに胸に抱きしめた。

 それは、決して上等のものではない。


 シルクが貴族であった時には、これ以上の質の良いものだって持っていた。

 だが、それでも……それでも、このドレスは……。


「ありがと、う……!」


 今までのどれよりも嬉しいものだった。

 両親が謀殺された時以来、シルクは涙をぽろぽろと流した。


 せっかくアリスターがくれたドレスを汚すわけにはいかない。

 それでも、彼の顔を直視することができず、シルクは顔を下にして大粒の涙を落とすのであった。











 ◆



 その後の演劇は、大成功を収めた。

 初めて演劇に触れる子供たちはもちろんのこと、名門である王都演劇団の演劇を観劇したことのあるイスコでさえも夢中になったほどの素晴らしいものであった。


 アリスターとシルクの容姿が優れており、その演技力もシルクの方は素晴らしいものだったということもあるだろう。

 だが、それだけでは、惹きつけられることはあっても魅了されてしまうことはなかったかもしれない。


 最も子供たちやイスコの目を奪って心を奪ったのは、純白のドレスを身に着けて心の底から楽しそうに演技をする美しいシルクの立ち居振る舞いそのものであった。

 見ているだけで幸せになってしまうような満開の笑みを見せるシルクに、孤児院は大いに盛り上がるのであった。




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