第17話 申し出
知りたくもなかったシルクの背景を知ってしまってから、数日が経っていた。
あれから毎日毎日、夜に抜け出して演劇の練習である。もうしんどいわ。
ヘルゲはいったい何をしているんだ。さっさと魔剣を引き取ってくれ。
迅速な対応が望まれているというのに、こんなのんびりしていたらダメだろうが。
あれから、マガリも顔を見せない。
俺の顔を嘲笑いに来ることができないくらい追い詰められているということを示しているので、それはまったく構わないのだが……。
さっさとヘルゲが魔剣を取り上げてくれたら、俺は寒村に帰って危険な王都に夜繰り出すことがないのに……!
『またそんなことぐちぐち考えていないでさぁ、早く脚を動かしてシルクの元に行こうよ』
出たわね、諸悪の根源。
俺の脳内に直接語りかけてくる魔剣野郎。こいつさえいなければ、俺は……俺は……!
『むしろ、その悪を滅するのが僕なんだけど……』
人を強制的に動かすような無機物の、どこが正義だよ。
ていうか、何でそんなにシルクの所に行きたがるんだよ。惚れたか? 無機物のくせに。
『いやいや。君の言う通り、確かに僕は聖剣だからね。惚れるとかそういうことはないよ』
あっそ。思っていた以上に乾いた返答でつまらん。
なんだったら、お前をシルクに渡して両者ともに厄介払いできると思っていたのだが……。
『ただ、彼女は好ましい人物であることは間違いないじゃないか。親を殺され、自身も奴隷に貶められたというのに、それでも夢を諦めずに努力をひたむきに続けるその姿勢は、聖剣たる僕が助けるのにふさわしい人物だ』
俺のことも助けてくれない?
お前が俺から離れてくれるだけでもいいんだけど。それだけで俺は救われると思うんだけど。
『代わりの適合者がいないからダメ』
クソッタレ。
その適合者になる基準ってなんだよ。俺みたいにイケメンで性格がいいっていうのが必須なのか?
くそ……それだったら、なかなか現れないだろうな……。
『それに、シルクの演技も君が協力してあげているおかげで、どんどんと上達していっているからね。今では、見ているだけで本当に取り込まれてしまうほど良い演技をしているよ。それを見るのも、楽しくてね』
本当に楽しそうな声音の魔剣。
ふーん。自分と似たような奴を演じるならまだしも、まったくもってかけ離れた奴を演じるとか何が面白いのかさっぱりわからん。
それを見るのも、また然り。
俺は無理だなぁ。この魔剣みたいな性格を全力で演じろって言われたら蕁麻疹出そう。
『君みたいな性格の登場人物なんているわけないだろ。いるとしたら、大魔王とかそういう系だよ』
止めろ。お前、本当に聖剣なのかわからなくなるくらい俺に当たりキツイな。
そんな感じで脳内で罵り合いながらも、いつもシルクと演劇の練習をしている場所に向かうと……そこではいつも彼女一人で待っているはずなのに、彼女の前に一人の男が立っていた。
痩せた感じで、眼鏡をかけている男だ。
誰だ? あれ。
もしかして、ついにシルクを処分してくれるような暴漢が現れたのだろうか?
もしそうなのだとしたら……。
よし、気づかれないうちに回れ右をして安全な最高級宿に飛び込もう。
シルクがいなくなると、危険な夜の王都に出る必要もなくなったな。
俺は意気揚々と来た道を戻ろうとする。
『助けに行かないと!!』
魔剣が相変わらず嫌なことを強く宣言する。
バカ言うな。俺が行ったところでどうにもならん。
戦闘能力皆無の俺が、暴漢に立ち向かったところでいたぶられるだけである。そんなの、ダメ、絶対。
じゃ、そういうわけで……。
『行こう、アリスター!!』
魔剣がそう言った瞬間、意思に反して俺の身体がシルクたちの元へズンズンと進んで行った。
あぁっ!? お前、勝手に人の身体を動かして……!!
「シルク!!」
お前のせいでここまで来てしまったじゃないか!!
ここまで来たら、俺も猫を被るしかない。
いかにも心配していますといったように、声をかけるのであった。
「……アリスター」
「おや?」
シルクと男も振り返って、不思議そうに俺を見る。
彼女は無表情のままトテトテと近づいてきたと思うと、俺の後ろに隠れた。
おい、お前が俺の盾になるんだよ。
……おかしいな。男が暴漢に見えないぞ?
まあ、人は見た目で判断してはいけないからな。
この男も、その優しそうな見た目とは裏腹にとてつもなく悪い本性を隠しているのかもしれない。
それを露わにするときは、シルクだけを狙って俺のことは度外視してください。
「……どうしたの? 心配してくれた?」
首を傾げつつ俺を見上げてくるシルク。
ううん。襲われていたらいいのになって思っていました。
「もちろんだ。心配するに決まっているだろ」
「……そっか」
もちろん、本心を馬鹿正直にそんなことを言うはずがない。
そう答えれば、意外な答えが返ってきたようで頬をうっすらと赤らめるシルク。
嘘です……。
「それで、あなたは……」
「こんな夜に男の私がシルクさんの近くにいれば、心配するのも当然ですね。とても大切に想われているようで……」
は? 痩せた眼鏡の男に問いかければ、意味の分からない答えが返ってきた。
誰だって聞いてんだよ。
「…………」
シルクも照れくさそうにしている。
演技だよな? その頬を染めているのも。
「初めまして。私はイスコ・ヌルメラと申します」
「はあ、どうも」
ようやく痩せた眼鏡の男――――イスコとやらが頭を下げてきた。
しかし、俺はいきなり自分の名前は言わない。個人情報をひけらかすようなことはしたくないからである。
つまり、俺はこの男のことを情報を与えるにふさわしいと微塵も思っていない。
『このイスコって人に限らず、君は誰も信用していないじゃん。というか、さっきシルクが君の名前を呼んでいるから、無駄だと思うけど』
魔剣の指摘に、愕然とする。
シルクぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!!
「……孤児院の院長さんだって」
「子供たちには、苦しい生活を強いてしまっていますがね……」
そう……。
シルクがイスコのことを説明してくれるが……微塵も興味ないです。
暴漢じゃないのかよ……じゃあ、用済みだ。消えろ。
『興味ないなー、君』
「で、その院長さんがいったいどうして……?」
魔剣の声を無視して、イスコの目的を聞いてみる。
シルクを拉致してくれたり?
「ええ。シルクさんに、孤児院で簡単な演劇をしてもらいたいと思いまして、接触したんです」
「へー」
演劇かよ……。
「以前、たまたま帰りが遅くなったときに、お二人の演劇を拝見させていただきましてね。王都演劇団で見たことのあるそれに匹敵する、素晴らしいものでした」
イスコに褒められても、相変わらずシルクは無表情だった。
そうなの? まあ、適当にやっていた俺の演劇というわけではなく、シルクの演技のことなんだろうけど。
俺は大して心を動かされていない程度のものなのに……名門らしい王都演劇団も大したことないな。
「このような素晴らしい芸術に触れることは、子供にとってもいいことです。……しかし、演劇を見るには当然お金が必要で、子供たち皆を見させてあげることができず……」
悔しそうにするイスコ。
確かに、ちゃんとした演劇団の演劇を見ようとすれば、それなりに高い入場料がかかるだろう。
しかも、子供たちが何人もいればその分お金がかかるし、それを補えるほど孤児院にお金があるとは思えなかった。
まあ、イメージだけど。裕福な孤児院って、なかなか想像できないんだよなぁ……。
一方で、劇団にも所属していないシルクに頼めば、もちろんスケールなどは劣るだろうが、王都演劇団にも勝るとも劣らないとイスコが評価するような演劇を安い値段で見ることができる。
「……だから、私に。お金もって」
「少ないですが、代価は受け取ってもらいます。それだけの価値があるのですから」
ほーん……。
俺は大して興味を持てなかった。別に、関係ないしな。
シルクが受けようが受けまいがどちらでもいいのだが……どうにも、彼女は悩んでいるようだった。
無表情だが、嫌々とはいえ付き合ってきたのでなんとなく分かってしまう。
「話を聞いていたら、シルクはやりたいんだよね?」
「うん。……でも、私は奴隷だから」
「私としてもそれでしてもらわないということはまったくないのですが……」
俺が聞けば、シルクは残念そうに呟く。
イスコも難しい顔だ。
あー、なるほどなぁ……。
『じゃあ、何で?』
魔剣は何も分かっていないらしい。
いや、何でもクソも、シルクを所有しているプリーモとかいう性悪貴族に決まっているだろ。
「やっぱり、頼むことは難しい?」
「……うん」
コクリと頷くシルク。
だろうな。
謀殺した敵の娘を奴隷に追い落としてこき使うような、俺とは正反対のクズだ。
シルクが演劇を孤児たちのためにやりたいなんて言っても、許可してくれるはずがないだろう。
『くっ……! やっぱり、その貴族は許せない……!』
……その貴族に突撃しろ、なんてことは言うなよ。フリじゃないぞ。
「それでも、シルクはやりたんだよね?」
「…………」
問いかければ、小さく頷くシルク。
「じゃあ、こっそりやればいいんじゃないかな」
「え、でも……」
「シルクの人生なんだから、君のしたいことをすればいいんだよ。もちろん、それで他人に迷惑をかけるようなことはいけないけど……」
俺はニッコリと微笑んでそう唆す。
俺を夜の王都に引きずり出して演技の練習に付きあわせていることとかは迷惑にあたるんだぞ。
「君の夢のためにも、これはいい練習になると思う。君がやりたいんだったら、やればいいと思うよ。ただ、昼間はどうしても怪しまれるから、演劇を披露するにしても夜になってしまうけど……」
俺はチラリとイスコを見る。
彼は俺たちを見て、神妙にうなずいた。
「子供たちに夜更かしするのは難しいかもしれませんが、やはり演劇というものを見られるのであれば頑張って起きてくれるでしょう。お願いする立場なのに、昼間にしてくれなんて強要しませんよ」
よし、決まりだな。
「アリスター……」
『アリスター、君は……』
シルクが俺を見上げてきて、魔剣も感心したような声を発する。
俺が彼女にやるべきではないと言うとでも思っていたのだろうか? 心外である。
まあ、普通はプリーモとやらにばれないだろう。
今まで散々シルクは外に出ているのに、結局ばれていないのだから。
露見したとしても、俺に被害はないしぶっちゃけ彼女がどうなろうが知ったことではない。
ばれなかったら勝手に演技をしていればいい。その間、俺は練習に付き合う必要がなくなるのでラッキーである。
ばれたらプリーモにシルクが折檻を受ければいい。俺は関係ない。
ふっ……完璧な論理だ……。俺の都合がいいことしかない。
この間に、ヘルゲが魔剣を取り上げてくれれば完璧である。
今度こそ、護衛をつけてもらって寒村に帰ろう。
『このクズ野郎!!』
クズではないだろ。
「……夢のため。うん、足踏みしていたらダメだよね」
シルクは一人納得したように呟いて……。
「……イスコさん。孤児院で演劇をやらせてください」
「ええ、ありがとうございます。子供たちも喜ぶことでしょう。お金や日程のことは、これから詰めていくということで……」
「……はい」
シルクとイスコは固い握手を交わすのであった。
さて、俺もしばらく安全な最高級宿でのんびりできるな。
シルクが孤児院で演劇をやる前にヘルゲが戻ってきて魔剣を取り上げ、ちょっとマガリのことを馬鹿にしながら見て、そして寒村に帰ろう。
残念ながら、都合の良い女を見つけることはできていないが……貴族じゃなくても豪商や豪農の娘を狙ってもいい。
それなら、村に戻ってからでも簡単に見つけて落とすことができるだろう。
何故なら、俺はイケメンで性格の良い好青年だからである。
「ん?」
穏やかな気持ちでいたら、シルクが手を両手で包んできた。
え、なに? 人肌ってあんまり好きじゃないから離してほしいのだが……。
困惑している俺を見上げて、シルクは薄く笑いかけてきた。
「……アリスターも手伝って」
何、だと……!?
い、嫌に決まっているだろ! どうして俺が孤児のための慈善事業のようなことをしなければならんのだ! 金寄越せ!
というか、何で当たり前のように俺がシルクの手伝いをする感じになってるの? 意味わかんないんですけどー。
『君が諭したんだから、当然だよね。ちゃんと付き合いなよ。さもないと……』
脅すようなことを言う魔剣に、散々苦しめられた俺は身体を震わせる。
クソっ……! 頭痛さえなければぁ……!
「わ、分かった……」
俺は渋々……本当に渋々、彼女の要望を受け入れるのであった。
『あ、それとは別に、アリスターにはいろいろと動いてもらうからね』
こいつ……俺に何をさせる気だ……!?




