第132話 マガリ、誕生
あの出来事をきっかけに、もともとアリスターに懐いていたマガリは彼の元に通い詰めるようになっていた。
さらに、かなり悪影響なのだが、彼女は昔ほど村人たちのことを手伝うことをしていなかった。
いや、毎日朝から夕方まで手伝い続けていたので、子供ということも考えると明らかに過重労働である。
だから、少し減るくらいまったく問題ないのだが……正直、『悪い男に影響される無垢な女』というもの以外のなにものでもなかった。
そして、さらに問題なのが……。
「アリスター! どこ行くの? 私も連れてって」
てててっと駆け寄ってくるマガリ。
飼い主に懐いている子犬そのものである。
そして、その先にいるのが、当然アリスターであった。
彼は露骨に嫌そうに顔を歪めているが、マガリにとっては知ったことではない。
「いや、別に大したところじゃないんだけど……。ほら、いつもの丘で昼寝をだな……」
「じゃあ、私も行く!」
今日も今日とて畑作業をサボってのんきに昼寝しようと画策していたアリスター。
そんな彼に、元気にマガリは宣言する。
「……お前、手伝いは?」
「……? あんまり頑張らなくても食糧もらえるんだよ?」
「お、おう……」
アリスターの悪影響は着実に浸透していた。
サボることを覚えさせた彼が言うのもなんだが、マガリが男の影響をこんなに受けやすいタイプだとは思っていなかった。
「あと、別に毎朝押しかけてくる必要ないんだぞ? 正直、もっとぐっすり寝たいんだが……」
「アリスターは私がいないとずっとぐうたらするからね! ちゃんと私が管理してあげるよ!」
「ひぇ……」
ニッコリ笑顔で告げてくるマガリに、アリスターは凍り付く。
マガリから逃げようと毎回外に出て昼寝に行っているのに、その直前に必ずといっていいほど現れるのだから、彼女はいったいなんなのだろうか。
そんなことをうんうんと考えるアリスターと、そんな彼の後ろを嬉しそうにアヒルの子のようについて行くマガリは、あの居心地のいい林を抜けて丘に出ていた。
「はー……やっぱここはいいなぁ……」
どっかりと座りこみ、アリスターは風を感じながら眼下で働く村人たちを覗き見る。
ひぇー、大変そう。頑張れ頑張れ♡
「そうだねー。アリスターが言っていた、他の人が働いている時にサボるのが良いっていうの、ちょっと分かってきた気がするよ」
「…………あんまりわからない方がいいと思うぞ」
隣にとすっと座り込んだマガリの言葉に、これは俺の影響だろうかと真剣に悩むアリスター。
聖女の如く優しい性格だった彼女が少し染まってきて、申し訳ない限りである。
「まあ、いいや。俺はもう寝るから、適当に帰って手伝いとかしとけよー」
ごろりと柔らかな芝の上に寝転がるアリスター。
今日も惰眠をむさぼって時間を無駄にする気満々である。
そのことに快楽を覚えているのだから、この子供はどうしようもない。
「……ね、ねえ、アリスター」
「うん?」
しばらく、アリスターの顔を覗き込んでいたマガリは、もじもじと身体を揺らす。
かなりいじらしくて可愛らしい姿なのだが、残念ながらアリスターは目を瞑っているため見ることはできなかった。
そんな彼に対して、ごくりと喉を鳴らして小さく気合を入れたマガリは、意を決して口を開く。
「あ、あのさ、好きな人とか、いる?」
バクバクと心臓が破裂してしまいそうなほど高鳴っているのを自覚する。
マガリがこれほど勇気を出して言葉を発したのは、生まれて初めてである。
そんな彼女の人生一大決心の言葉を大して理解していないアリスターは、ぼけーっと寝転がりながら上の空であった。
「好きな人ぉ?」
「う、うん……」
顔を赤くしてアリスターの言葉を待つマガリ。
もし……もし、好きな人がいないと言えば……。
自分は、この気持ちを彼に伝えよう。
それは、子供らしい可愛い可愛いもので、大人のそれとは比べるまでもないものかもしれないが、だからこそ純真で美しい綺麗なものだった。
大人では決して発することのできない、子供ならではの美しい光を放つ気持ちだった。
「……いやぁ、別にいないなぁ。俺以外の奴とかどうでもいいし、嫌いって感情は分かっても好きっていう感情はいまいちわからん」
「そ、そうなんだ! あのね、アリスター。私はあなたのことが――――――」
アリスターの言葉は割と酷いのだが、好きな人がいないという言葉にマガリは顔を輝かせる。
ならば、伝えてしまおう。
たとえ、受け入れられなくても、自分が彼のことをどう思っているのかを知ってもらいたい。
ただ、それだけの想いで重要な部分を話そうとして……。
「まあ、将来都合のいい女に寄生するってことは決めてるから、俺が恋愛するなんてことはないんだろうけどなぁ。もしかしたら、女でも男の初物が良いなんていう奇特な奴もいるかもしれないし、そういうことはできねえしな」
「――――――」
アリスターのゴミみたいな言葉に撃ち消された。
口を開いたまま硬直するマガリ。
「一番有力なのは、豪族か豪商の娘を垂らしこんで結婚させることかなぁ。貴族令嬢の囲いでもいいんだけど、それはちょっと現実味に欠けるよな。こんなところに貴族なんて来ねえから接点がまるでないし」
「――――――」
ペラペラと自慢げに語るアリスター。
これが数年成長した彼ならば、このように他人に自分の考えをあけすけに話すことはなかっただろう。
だが、彼もまだ子供だった。
自分の考えを自慢したいという気持ちが、他の同年代よりはるかに少ないものの確かに存在した。
そして、それなりに一緒に過ごしてきたマガリが相手ということで気も緩んだのだろう、ペラペラと余計なことを話し続けてしまった。
この時のことを、アリスターは一生涯後悔し続けることになるのだが、今の彼が知る由もない。
一方で、マガリはまるで死んでしまったかのように静まり返っていた。
「まっ、そういうわけだから、好きとかそういうのは一切ないな。都合のいい女を捕まえるために色々と頑張るわけだし、恋愛なんてもってのほかだ。…………どうした?」
ここに至り、ようやくアリスターもマガリのおかしな様子に気づく。
いつも喧しいくらいに賑やかでギャアギャアと騒いでいる彼女が、こんな静かになるなんて飯を食べている時と寝ている時くらいしかなかったのに……。
そう思って彼女が下に向けていた顔を覗き見ようとすると……。
「…………いいえ、なんでもないわ」
「そ、そう。……あれ? お前そんな大人っぽい話し方だっけ?」
スッと顔を上げるマガリ。
しかし、その表情は先ほどまでのにこやかなものではなく、近づく者を凍りつかせる絶対零度のものに変わっていた。
また、その冷たい言葉や口調も変容しており、アリスターも何が起きたのかと首を傾げる。
「私も……私も、都合のいい男を捕まえてやるんだから……!」
「お、おう。頑張れ?」
ギロリと冷たい目を向けて睨みつけてくるマガリに対して、何だかよくわからないがとりあえず応援しておくアリスター。
この時、アリスターは将来ずっといがみ合う最大最悪最強のライバルを自ら作り出してしまったのだが、そのことを知るのはもう少し後の話になるのであった。
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