番外編23 子供の成長
番外編23
「シズよ―――――!!」
いきなり来た。
身長二メートルに迫る巨大猫。
集会所らしき建物から飛び出してくるなり、猫らしい滑らかかつ俊敏な四足ダッシュでやってくる。
白と黒と茶の毛並が残像を残しそうなほど速度で迫ってくるのはなかなか怖い。
言うまでもないだろうけど、念のため。
バン先輩だ。やはり、先に来て、マタタビにやられてしまったらしい。
「我だ―――――――――!!」
ダイブ。
そのまま飛びついてきた。
文字通り、飛んできたのだ。
柔らかそうなお腹が頭上を埋め尽くす光景は、虎に襲われるのと大差ないんじゃないの、これ?
ともあれ、このままでは背中のリエナごと押し潰されてしまうし、後ろの子供たちも危ない。
正直、顔面で柔らかなお腹を堪能したい衝動に駆られたけど、なんとか我慢した。
落ちてくる天井を受け止めるようなポーズで止める。
「ほい――っ!?」
バン先輩の両腕を止めた瞬間だった。
巨大な質量が勢いをつけて飛んできた威力――は問題ない。ちゃんと受け流している。
では、何が問題というのか。
にくきゅうだ。
やわらけえ。
前から思っていたけど、マジで極上の逸品だ。
ずっとにぎにぎしていたくなる。
受け止めたまま動けない。
抗おうとする気持ちすら抱けない。
もしも、バン先輩の目的が僕をこの場に釘づけにする事だとしたら、見事と称賛するだろう。
これはわかっていても回避不能の罠だ。
だって、避けるなんてもったいないじゃない。
「バン先輩、完全に酔ってますね?」(にぎにぎ)
「はっはっはっ! 今日はとても気分がいい! 我が友よ! このまま朝まで楽しもうじゃないか!」(にぎにぎにぎ)
「とても素敵なお誘いですね」(にぎにぎにぎにぎ)
なるほど。肉球というのは猫が高所から飛び降りたりする際の衝撃吸収の役割と、同時に消音効果があるという。
バン先輩ほどの巨大な猫ともなるとその重量もかなりのもののはず。となれば、それらに対応するための肉球が発達するというのは道理だろう。
僕は世界の中心をリエナとして、その周りに子供たちという価値観を持っているけど、肉球界に於いてはバン先輩のこれを見なかった事にはできそうにない。
「にゃあ……」
「にゃ……」
「なー?」
僕が考察に集中していると、背後からうちの子たちの鳴き声。
振り返るとソレイユとルナが真っ赤になっている。対してステラとレギウスは不思議そうに首を傾げていた。
子供たちはバン先輩と初対面だったか。
驚くのは無理もない。
通常の猫妖精とも、亜人とも違う特異存在だ。
しかし、ソレイユとルナが顔を赤くしているのは何故だろうか……って、ああ!
「ソレイユ! 他の子を連れて、猫妖精の子供たちを探して!」
「にゃ、にゃあぁ……」
紅潮した頬を両手で押さえつつ、弱々しい声が返ってきた。
かなり動揺していたようだけど、僕の指示は理解できたのだろう。すぐに妹たちの手を取って、村の奥に向かっていった。
その背中を見送り、僕はバン先輩を睨む。
「ちょっと! どうして今日も真っ裸なんですか!? 服を着てくださいよ!」(にぎにぎにぎにぎにぎ)
「何を言う! この体に隠すべきところなどひとつとしてない!」(にぎにぎにぎにぎにぎにぎ)
ダメだ。まるで反省していない。
あまりにナチュラルすぎてボクも気づかなかったけど、この先輩、服を着ていないのだ。
猫グッズの販売の時なんかは普通にスーツを着こなしていたというのに、どうして脱ぎたがるのか。
酔っているせいだと信じたいけど、猫になって露出趣味が目覚めた可能性も否定しきれないぞ。
毛皮があるから問題ないとばかりに堂々とし過ぎじゃなかろうか。常識と倫理観までは捨てないでもらいたい。
「どうだ、この美しい毛並みは!」
見せつけるようにポージングするバン先輩。
前世の有名なアニメ番組の、ミカンを割って出てくる猫みたいなポーズを見事に決めている。腰の使い方まで完璧だった。
溜息を禁じ得ない。
なんて素晴らしい猫ポンポなんだ……。
って、だまされるな、僕!
僕の目からだと特に問題はないと感じるが、どうやら猫の亜人としての価値観的にはギリギリのラインのようだ。近所のおじさんがパンツ一丁のまま縁側で涼んでたみたいな?
思春期の娘になんて物を見せてくれるのか。先輩でなければ再起不能になる程、ぶん殴っているところだ。
「とにかく! リニャさんとか、他の猫妖精の人たちはどうなってるんですか?」(にぎにぎにぎにぎにぎにぎにぎ)
「おお! これは我の失態だな。他の者にも紹介しなくてはな!」(にぎにぎにぎにぎにぎ……)
言うなりバン先輩はタッタッと集会所に戻ってしまう。
ああ。肉球が行ってしまった。
と、嘆いている場合ではない。
酔っておかしくなった猫妖精を介抱しなくては。
猫妖精の子供に関しては心配いらないだろう。
お姉さんである事に誇りを持っているソレイユならうまく世話してくれるし、他の子たちも手伝っているはず。
元々、マタタビの効果は子供には効きにくいしね。
問題は大人たちの方だ。
改めて集落を眺める。
大森林の中でも開けた空間にはログハウス風の建物がいくつも並んでいた。今は出歩く猫妖精の姿がない。どこかに集っているらしい。
ソレイユたちが迷わずに奥を目指したので、子供たちはそちらにいるとして、では、大人は集会所にいるのだろうか。
集落の中で、特別大きな建物を見上げる。
バン先輩が入ってから、静けさを保ったまま反応がない。
「心配だなあ」
「んにゃあん」
とはいえ、ここで立ち尽くしていても始まらない。
リエナに肩を甘噛みされながら、不安な気持ちを押し殺してバン先輩についていった。
集会所は実にシンプルな造りだった。
一部屋だけ。
屋根を支える柱が等間隔で並んだ広間だ。
天井には蔦で編まれた紐がいくつも通されていて、ここに布を引っ掛けたりして部屋の用途に合わせて区切るのだろうか。
今は仕切られていない状態。
「んー」
そろそろ夕方が近づいてきて暗くなった室内には誰もいない。
先に入ったはずのバン先輩も、いるはずの猫妖精たちも。
シンと静まりかえった空間を見回す。
何も知らなければ空き家とでも思ったかもしれない。
「あー」
そんな広間のど真ん中には大きな箱と小さな箱。
といっても、それは両者を比較しての話だ。元々のサイズがなかなかある。大きい方は貸し倉庫ぐらい。小さい方は物置ぐらい。
箱というよりは部屋と呼ぶべきか。
木製の直方体がドンと鎮座している。
まあ、あからさまに怪しいよね。
「まあ、いっか」
気配は、ないんだよなあ。
僕では読み取れないのか。それともこれは本命から目を逸らすためのトラップなのか。
迷っていても仕方ない。害意がある相手じゃないはずなので、無駄に警戒していないでさっさと開けてしまおう。
えっと、これってどこから開けるんだろう?
ぐるりと一周してみるけど、鍵はないのはいいものの、とっかかりもない。
「ん」
「なに、リエナ?」
不意に背中のリエナが僕の耳たぶをひっぱってきた。
「来る」
「来るって何が……」
言葉の途中で疑問は解消された。
スッと、まるでそうある事が自然みたいな滑らかさで箱の壁面、その正面側がこちらに向かって倒れだしたのだ。
巻き込まれないように跳び退り、箱の中に注目して固まった。
猫まみれ。
確かにその言葉に心はふつふつと燃え上がるけど、これはどうだろうか。
箱の中には大量の猫妖精(+巨大猫)だ。きっちり大小の箱で男女を住み分けて、ぎっしりと詰まっている光景はなかなかに衝撃的だった。
どれだけ入っているのか。
なんとなく、前世の通勤ラッシュの満員列車を思い出した。もしかしたら、あれよりも人口密度が高いんじゃないか? 天井まで隙間なく入り込んでいるし。
いや、でも本当にどうやって入ってるの? もしかして、集落中の大人が箱詰めになっているの?
果たしてこれは何がしたいのか? 猫らしいいたずらのつもりなのだろうか? それとも箱に入りたくなっただけなのだろうか?
「あ」
考え込んでいると目が合った。
うん。さっきのバン先輩と同じ酔っ払いの目だ。
めっちゃグルグル回ってる。
「「「「「「「「「「にゃあああああっ!」」」」」」」」」」
目が合ったのがきっかけになったのか。
箱に詰まっていた猫妖精たちが一斉に鳴くと同時に飛び出してくる。
僕に向かって、堂々のハイジャンプ。
さっきのバン先輩みたいに美しいフォームでの飛翔に目を奪われそうだ。
なるほど、人海戦術とは考えた。
しかし、僕も激戦を潜り抜けてきた身。背中に酔っぱらったリエナを背負うハンデがあっても回避不能ではない。
不意打ちだったとしてもだ。
僅かな隙間を縫って、外まで脱出する自信がある。
「よろこんで!」
猫とは歓喜を以って抱きしめるもの。
理性が衝動に負けました。
猫の津波に僕は飲み込まれてから、もみくちゃにされて、甘噛みされたり、肉球スタンプされたり、スリスリされたり、リエナさんにマジ噛みされたり、すっかり堪能している間に時間が過ぎていった。
どれだけ猫尽くしを味わっていたのか。
気が付けば外が暗くなっていて、僅かな夕日の残り香が西の空に漂う時間帯。
「……やってしまった」
介抱するつもりが、堪能してしまうとは。
見回せば猫妖精たちは集会所の中で好き放題にしている。
部屋の隅で丸くなったり、梁の上に登ったり、お互いのしっぽを追いかけてグルグル回ったり、床や壁で爪とぎしたり。
今からでもお世話するべきだし、子供たちがどうしているかも気になる。
しかし、仰向けに倒れた僕の上にはリエナが丸まっていて、手足には他の猫妖精たちがのびーと体を伸ばして乗っかっていた。完全に囚われてしまって、抜け出すビジョンが全く見えてこない。
「どうしたものか」
「……ん」
考え込んでいると頭上から声がした。首を反らして見上げると、そこにはレギウスが所在なさそうに立ち尽くしている。
姉たちどころか、いつも一緒のタロウもいないで一人きりだ。
いや、注目すべきはそこではないか。
このレギウス、何故かワンピースを着ている。
ピンクのワンピース。
白いフリル付きのエプロンや、リボンまで装着しているせいで、まるでメイドさんみたいだ。
まだまだあどけないレギウスが女装をすると、見事な猫耳幼女にしか見えない。これはルネに匹敵する逸材じゃないか。
しかし、レギウスは小さくとも男の娘、じゃない。男の子。望んでこの恰好をしているのではないだろう。羞恥で顔を赤くして、もじもじとスカートの部分を握っている姿はどことなく悲しそうだ
「レギウス? どうしたの? お姉ちゃんたちとタロウは? っていうか、その格好は何? 大丈夫。なにも心配はいらないよ。だから、お父さんに教えてもらえる?」
場合によってはお父さんが出張るよ?
モンスターペアレントと言われてもレギウスを守ってみせよう。物理的にだ。
「ん。お姉ちゃんと猫のおねえちゃんたちに着させられた」
手が自由なら頭を抱えていた。
それで子供たちの集まりから逃げ出してきたのか。
「タロウは?」
「代わりに捕まっちゃった」
何をしているのか、うちの子たちまで。
レギウスが嫌がる事をするとは思えないんだけど……もしかしたら、これは遅れてマタタビにやられてしまったパターンか? 子供には効かないと言っても、通常のマタタビとは違うようだしな。
とはいえ、後でしっかり叱ってやらないといけない。
子供のする事とはいえ、無理やり服を脱がして、嫌がる子に服を着せるのはよくないだろう。一歩間違えばいじめの始まりだ。
しかし、レギウスはなんと励ましてやればいいのか。ちょっとすぐに言葉が出て来そうにない。これがまったく似合っていなかったのなら慰めつつ、笑い話にしてやれそうなものなのだけど、ルネに近いレベルを体現してしまっているせいでシャレにできないぞ。
「じゃあ、その服は猫妖精の子から借りたのかな?」
とりあえる、沈黙はまずいと時間稼ぎのつもりで話を変える。
姉妹で一番小さいステラでも、レギウスのサイズには合わない。
「ううん。リラお姉ちゃんが持ってきた」
「よし。やっぱり樹妖精とは戦争しないといけないみたいだ」
何が恐ろしいって、レギウスにぴったりのサイズの女児向けの服を常備している事実だ。
やばい、やばいとは思っていたけど、やばすぎるだろう。これは認識を改めてかからないと足元をすくわれかねない。
というか、先程の着せかえシーンの想像が、一気に犯罪臭を漂わせ始めたぞ。
これはすぐにでも文句をつけねばなるまい。
一度成功体験をさせてしまえば、次からもっと積極的に動きそうだ。
しかし、そのためにはこの猫監獄から脱出しなければならない。
なんとか酔いどれ猫妖精を穏便に鎮静化したいところだけど、そんな都合のいい手段がそうそうあったりは……そうだ!
「レギウス、お父さんの頼みを聞いてくれないか?」
「ん?」
小首を傾げるレギウス。
こういう仕草はリエナやお姉ちゃんたちと似ているな、と思いつつも語りかける。
「飛竜に乗せたままのお土産を持ってきてくれないか?」
「おみやげ?」
「そうだ。青い布に包んであるからすぐにわかるはずだから」
「でも、お父さんとお母さんは?」
「すまない。僕もリエナもここを離れられないんだ。これはレギウスにしかできない、とっても大切な事なんだ」
レギウスは不安そうにしっぽを振って、猫耳をペタンと伏せさせてしまう。
今までは常に誰かが見守ってくれる状況だったのだ。一人きりで何かをするなんて考えもしなかったのだろう。
だからこそ、今のレギウスには意味がある。
男の子としてのプライドが傷つけられてしまったのだ。
この傷を癒すには確かな実績を上げて、自信にするしかない。
それにはお父さんの頼みというのが一番だ。
普段、守ってくれる存在に頼られるというのは嬉しいだろうし、そのまま自信にも繋がるはず。
それにレギウスは自分でこの問題と向き合わなければ、いつまでも強くなれない。
女性陣からの理不尽を僕が代わりに跳ね除けるのは簡単だけど、それは同時にレギウスが成長する機会を奪ってしまう事になる。
もちろん、まだまだレギウスは守られるべき子供だし、罰を受けるべき相手は僕が話をつけるけど、レギウス自身にも少しずつ強くなっていってほしい。
これからレギウスの人生に襲いかかるだろう困難を乗り越えるために!
「お父さん……」
レギウスはまだ不安そうに僕を見ている。
飛竜は猫妖精の集落の外に置いてきているのだ。一人でそこに行けるのか、目的の物を見つけられるのか、慣れない場所で怯えてしまわないか、恐れてしまうのは仕方ない。
それでも、僕はレギウスを真剣に見つめ続けた。
余計な言葉はいらない。ただ、レギウスを信じる。
「……ん」
やがて、レギウスは後ろで揺れる自分のしっぽを握りしめた。
伏せそうになる猫耳をぴくぴくと持ち上げて、僕を見つめ返してくれる。
「がんばる!」
「よし、行って来い。レギウスなら絶対にできる」
「ん!」
今すぐ抱きしめてあげたい衝動をこらえて、勇気を振り絞った男の子を送り出してやる。
レギウスは猫耳としっぽをピンと立てて、外に走り出していった。
姿は見事な猫耳幼女だけど、ちゃんと男の子の顔だった。あれなら心配いらないだろう。元々、レギウスのスペックは姉たちにも負けていない。
何せ、あの姉妹がお姉ちゃんぶりたくって、唯一の弟に色々と教え込もうとするのを、しっかりと学習して受け止めてしまっているのだから。
多分、将来的には子供たちの中で一番強くなる。それこそ、全盛期の僕さえも超えてしまうかもしれない。
とはいえ、今はまだ子供。
「リラ、いるんでしょ?」
扉の影をにらみつけると、バツの悪そうな顔をしたリラが出てきた。
「うっ、わかってた?」
「いくらマタタビの影響を受けても、うちの子がレギウスを一人にするわけないからね」
となると、あの子たちを誰かが説得した事になる。
あの子たちが納得するとしたら、大人の女性であるリラだろう。彼女が『私が見てるから』とでも言ったんだと思う。
「ほら、猫妖精の子たちと仲良さそうにしてたから」
「その気持ちはありがとう。でも、レギウスを女装させた罪はきっちり贖ってもらうよ」
「……わかってるわよ」
それはそれ、これはこれ。
言い逃れできないと覚悟していたのか、リラは素直に頷いた。
「じゃあ、すぐにレギウスを見守ってあげて。あくまで遠くから。レギウスだけじゃどうしようもないトラブルがない限りは手を出さないで」
「……いいの?」
「別の意味で手を出したら、わかってるよね?」
両手をわきわきさせるリラを笑顔で警告。
リラは真っ青になって何度も首を上下に振った。わかればよろしい。
「保護者がいないとね。でも、僕とリエナがついていっちゃ、意味がないんだ」
ここで信じて待つのも親の役割だろう。
「わかった。任せて」
「うん。信じてる」
レギウスを追っていくリラを見送り、僕はリエナの頭をなでる。
本当にレギウスには強くなってほしい。
レギウスの名前の由来になった、あの人にも負けない強い人に。
そのためにも僕はもっと頑張らないとな。
その後、レギウスはしっかりおつかいを果たしてくれた。
猫妖精のために用意したお土産を、小さい体で懸命に運んでくれた姿に将来を期待せずにはいられない。
ちなみに、お土産に用意したのは以前自作した段ボールの正規品。
防水性の布にくるんでたおかげで川に落ちても無事だったそれを組み立て、集会所に設置すると見事に猫ホイホイになってくれたおかげで、僕は温かくも幸せな猫監獄から脱出を果たしたのだった。
その中のひとつで、レギウスが眠ってしまったけど、今はゆっくり眠らせてあげよう。
おやすみ、レギウス。よく頑張ったね。




