番外編17 ある貴族の妄執R③
番外編17
「懐かしいな」
「はい。まさか、こんな所でバン先輩と再会するなんて」
夜の酒場。
グラスを合わせ、度の高い蒸留酒を一気に飲み干す。
バン先輩はさり気ない仕草でも全て絵になる人だ。
昔のままで懐かしさが胸を突く。
僕の視線に気づいたのか、同じくグイッとやっていたバン先輩がグラスを置いた。
不躾な視線を向けられた事を気にした素振りもなく、感慨深く「にゃー」と鳴いてカウンターの上に腕を組む。
これもメチャクチャ似合っていた。こういうキザなポーズが嫌味なく似合う人は稀だろう。
「あれから色々あったのは知っている。大変だったな」
確かにバン先輩と喧嘩別れしてから色々あった。
魔の森から連なる戦いの数々。
人の何倍も大変な目に遭ってきたのは事実だ。
「ええ。気が付けば始祖になってましたからね」
「ふむ。我が気安く声を掛けるのは無礼か?」
「やめてください。僕たちの間柄はそんなものじゃないでしょ」
冗談のつもりだったのだろう。バン先輩は僕のグラスに蒸留酒を注ぎながら、器用にウィンクをしてくる。
かっこいいなあ。
「そうか。そうだな。シズがその猫耳としっぽをつけているのを見てわかってはいたが、こうして言葉を聞いて安心したぞ、友よ」
あの頃の友情の証。
いつか再び再会する事を信じていたのだろう。僕たちは。
この猫耳としっぽに託して。
「思えば、あの頃は互いに若かったな」
「はい。自分の信念だけが正しいと我を張って、相手を否定する事で己の正しさを証明しようとしてたなんて……」
なんて、未熟。
バン先輩も過去を思い出したのだろう。目が合うと自然と苦笑が浮かんだ。
「ならば、今は?」
「もちろん。自分の主張を曲げるつもりはありません。ですが、人の信念を受け入れられない程、狭量でもないつもりです」
きっと今も同じ道は歩けない。
僕も彼も強い信念を持っている。
誰にも、何者にも代えがたい特別。
己の最高を捨てる事だけはできない。
でも、同じ方向を見て歩く事はできる。
互いを尊重し、育みあい、並んで歩ける。
僕はバン先輩のグラスに酒を注ぎ、掲げた。
「猫に」
にやりとバン先輩が笑って返す。
「猫属性に」
グラスが高い音を立てた。
再びそれぞれの酒を飲み干す。
和解の証だった。
ああ。いい酒だ。
無粋な言葉はいらない。
カウンターに並んだ肴と魚をつまみながら、杯を重ねていく。
時刻はそろそろ日付が変わる頃か。
店から人は減り、僕たちの様に静かな飲み方をする者ばかりになっている。
そろそろか。
「バン先輩。いいですか?」
「なんだ?」
いい感じに酔っているのか、鷹揚に頷くバン先輩。
僕は思い切って踏み込んだ。
「その格好はなんなんです!?」
「ああ。他愛もない事だ」
いやいやいや。
他愛もないって。ありまくりだよ。
いくら僕でも納得できません。
っていうか、今まで流していたけど、つっこませてもらいますからね?
まず、お酒を飲むの。
猫の構造的にどうやって飲んでいるんですか? 舐めるならわかるけど、流し込んでましたよね?
それからグラス。
猫の手でどうやって握ってるの? 片手持ちって無理でしょ。肉球? 肉球で握ってるの?
焼き魚も爪で器用に身を削いだりさ。どうなってるんだ。わけがわからないよ。
もう、ね。
異常事態には慣れているつもりだったけど、これはない。
僕を気遣って『色々あったな』と言ってくれるのはありがたいけどさ、『この』バン先輩に言われたくないわ。
猫化した人間の方がよっぽど大変だろ。
ああ。先に言っておこう。
これは着ぐるみとか、特殊メイクとかそんなちゃちな代物じゃない。ファスナーどころか継ぎ目もない。触れれば確かに生物の熱を感じる。
猫だ。この僕の目から見ても完璧に猫。
ちなみに、酒場の人は全力で僕たちを見なかった事にしている。
荒くれ者の多い漁師たちが怯えたように遠巻きにしていて、こちらに絡まれたくないとばかりに無視しているのだ。
店主はクールに仕事しているけど、その手が震えているのを僕は気づいていた。
そんな周囲の空気を軽々とスルーしているバン先輩、半端ないです。
「ふむ」
僕の強い視線を受けて、バン先輩は居住まいを正した。
自分の体を見下ろし、察したとばかりにひとつ頷く。
「つまり、服を着ていないのはマナー違反と?」
「違う! そうじゃなくて! っていうか、本当にそうだよ! 服を着てくださいよ! きりっといい顔してないでさ!」
巨大な猫のインパクトで忘れていたけど、この人マッパじゃん。
いや、卑猥な要素はまったくないけどさ。
「しかし、猫の身としては服を着る事こそ道義に悖るのではないか?」
「動物に服を着せるか否かについては僕も私見は有りますけど、そうでもなくて!」
もともと毛皮で体温調節できるのだから、服は着ていなくても体調を崩したりはしないだろうけどさ。
それにしても考えてみれば、この人は王族も参加したパーティに全裸で参加したのか。勇者過ぎるぞ。
「冗談だ。許せ」
「いや、もう……いいですけど、本当に何があったんですか?」
「一言で言えば、奇跡が起きたのだ」
うん。そうだろうね。奇跡でも起きない限り、人は猫になったりしない。
普通の人なら呪いにかかったと言うかもしれないけど、この人に限っては祝福に違いなかっただろうから、言葉尻は気にしない事にした。
バン先輩はグラスを傾けながら語り出す。
「学園を卒業して故郷に帰った後の事だ。我は父の仕事を手伝いながら、日々を己の研鑽に費やしていた」
つまり、猫耳としっぽの作成をしていた、と。うん。それは想定内だ。実にバン先輩らしい。
「一年が過ぎ、仕事も覚え、結婚もした」
ああ。幼馴染の猫妖精と結婚の約束をしているとか言っていたっけ。
「おめでとうございます」
「ありがとう。ちなみに、子供は八人いる。どの子もかわいい子猫たちだ」
どことなく自慢げだった。
ちょっと心の中でモヤモヤモヤモヤモヤモヤとする。いや、ちょっとだよ?
「僕も四人子供がいます。とんでもなくかわいいですよ」
「そうか。うちの子には負けるだろうがな」
「あ? 酔ったんですか? 世界一かわいいうちの子に勝つとか、夢見過ぎじゃないですか?」
「……聞き捨てならんな。我が子猫を蔑ろにするなど愚かの極みだぞ」
気が付けばお互いに額をぶつけあっていた。
至近距離で睨み合う。
気の弱い人なら目が合っただけで気絶しかねない気迫。
今にも殴り合いに発展しそうな空気。
が、同時に視線を切って距離を取る。
激情を吐息に変えて流した。
「言いたい事はあるが、これでは以前と同じだな」
「どれだけ言葉をぶつけても意味がないですからね。大人になりましょう」
とりあえず、
「今度、見せてください」
「承知した。そちらも、頼む」
興味がないと言えば、嘘になる。
是非とも愛でたい。
「話がずれたな」
「結婚した後なんですよね、そうなったのは」
「そうだ。十六年前、ソプラウト大陸の大森林で道に迷ってな。三日、彷徨った」
十六年前というと、僕が異世界の理と雌雄を決したか、『次元喰らい』と死闘を繰り広げていた頃だろうか。
それは危なかった。
妖精族の住む大森林はなかなかに過酷だ。
しっかりと管理されている場所ならいいけど、そこから外れてしまうとすぐに遭難してしまう。しかも、いくつも落とし穴じみた洞窟や沼地があり、知らずに踏み入れてしまう可能性も高い。
案内もなく彷徨えば、命がいくつあっても足りないだろう。
「食料も尽き、疲れ果て、フラフラと歩く内に我は深い穴に落ちてしまった。とても登れぬような壁でな。ここまでかと覚悟したものだ」
「助けが間に合ったんですか?」
妖精族。中でも獣系なら種族特性で見つけてくれるはずだ。
けど、バン先輩は首を横に振る。
「いや、穴の中で更に二日過ぎたが、助けは来なかった。なかなか厄介な場所に踏み込んでいたらしい。妖精族の鼻が利きにくくなる花が生えているのだとか」
「じゃあ、どうやって?」
「自力で出たのさ。この爪でな」
しゃきんと爪を伸ばすバン先輩。
しかし、この人、本当に猫を満喫しているような気がするな。
「不思議な体験だった。意識は途切れ途切れ、最早思考も満足に働かない。そんな中で夢を見たのだ。白と黒の境界に佇む夢を」
「ぶふぉっ!?」
吹き出した。
白と黒の境界って。
それ、万象の理と魂の循環点の狭間じゃないですか、ヤダー。
過去に想いを馳せているのか、むせる僕に気付かないままバン先輩は続ける。
「もしかしたら、あれが俗にいう死後の世界だったのかもしれない。我は虚ろなまま願った。どうか我に力を貸してほしいと。妻子を残したままでは死ねぬと」
気持ちはわかる。
僕だってリエナや子供たちを残して死にたくない。
相当の想いだったのだろう。
なるほど、確かにその願いを万象の理が叶える可能性はある。
しかし、それは万象の理に至れる者だけ。この世界では僕と喪女しか辿り着けていない境地のはず。
「そして、気が付けば我は猫になっていた」
そこで結論に飛ばないでください。
肝心なところが抜けている。
ちょっと頼みますよ、先輩。
「わからないんですか?」
「ああ。周囲に誰かたちがいたようにも思えるが、記憶が曖昧でな。いや……ふむ、そういえば」
僕の顔をしげしげと眺めてくるバン先輩。
どアップの巨大猫のプレッシャー、すごいな。
さっき、これと僕はメンチをきりあったのか。
「なんです?」
「いや、こうして君と向き合って気付いたが、あの時の感じは君の気配に似ていたような気がしてな」
僕の気配?
あの狭間で?
って、まさか。
僕が師匠に助けてもらった時!?
え?
あの時、バン先輩も近くにいたの?
いや、あそこだと実体を持っていないかもしれないから、光の粒になって漂っていたかもしれないけどさ。
じゃあ、なに?
バン先輩の強い生存本能が、縁のある僕を通して万象の理に届いたとか?
マジで?
だとしたら、タイミングとか、縁とか、本当に奇跡なんだけど。
「……だとすると、代償で猫の体になった? え? でも、これって代償? ご褒美じゃないの?」
「どうした? 顔色が悪いぞ」
僕にはとても彼に真実を伝えられそうにない。
これは僕が墓場まで持っていこう。
「いえ、なんでもありません」
しかし、なんてことだ。
バン先輩が猫化した一因は僕にあるかもしれなかった。
いや、そのおかげで命が助かったのだし、本人も至って満足げだから、僕が責任を感じる必要はないかもしれないけど、複雑な気分だ。
どんな化学反応だよ。
「ともあれ、その後が大変だったな。父も母も我を我と認識してくれなんだからな」
「でしょうね。どうやってわかってもらったんですか?」
「妻と子は我とわかってくれたからな。猫の導きの尊きことよ」
猫妖精の種族特性、すげえ。
いや、でもバン先輩。ここはせめて家族の愛の力とかにしておきましょうよ。
「以来、我はこの姿のままダイム家の当主として邁進しているのだ」
「その、他の貴族との間は大丈夫なんです?」
「心配いらん。誰もが我の理想を知り、応援しておる」
なるほど。
それまでの言動のおかげで違和感がない、と。
きっとほとんどの人が着ぐるみだとか思っているのだろう。
無礼だとか言う人もいるかもしれないけど、元々が準男爵。貴族間の交流よりも、自領の発展とかに注力しているなら、関わる機会自体が少ない。
しかし、こんな奇特な存在が僕の耳に入ってこないとは。
世界は狭いようで広いな。
まあ、直接対面した人間じゃなければ話を聞いても信じないだろうけどね。
まだ心の中では色んな思いが渦巻いているけど、とりあえずそれは溜息にして吐き出した。
空になっていた互いのグラスに蒸留酒を注いで、持ち上げる。
「とにかく、バン先輩の無事を祝って」
「ありがとう。シズの無事を祝って」
三度目の乾杯を交わし、僕たちは笑い合った。
というか、いつの間にか酒場には僕たちだけになっていた。店主がポーカーフェイスでグラスを磨いている。
さすがにそろそろ帰らないと迷惑か。
と、そこで誰かがお店に入ってきた。
振り返ると小さな猫妖精がこちらにトコトコとやって来る。
黒と白の柔らかい毛並みの美人さんだ。かわいらしいデザインの草色のドレスがよく似合っていた。
「あなた、迎えに来ました」
「そうか。わざわざすまんな。ああ、シズ。紹介しよう。妻のリニャだ」
慌てて立ち上がったけど、リニャさんは僕の胸ぐらいまでの背なので、まともに視線を合わせられない。
失礼だけど、座り直して頭を下げる。
「魔法学園の後輩のシズです」
「貴方様が第八始祖様ですね。夫からお話は聞いておりました。バンの妻、リニャ・ダイムです」
どうやら、バン先輩が僕の事を話してくれていたせいか、始祖としてより個人として接してくれるようだ。ありがたい。
僕たちが挨拶を交わしている間に、バン先輩は店主に声を掛けていた。
「店主。会計はダイム家に寄越してくれ」
しまった。奢らせてしまった。
けど、ここでバン先輩の顔を潰すわけにもいかないので、後で何かしらか別の形にして返そう。
「では、シズよ」
「はい」
しばし、互いに無言で視線を交わす。
次に会えるのはいつになるのか。
僕だって色々とやる事はあるし、バン先輩は既に準男爵。お互いに気軽に会える立場ではない。
名残惜しくないと言えば、嘘になる。
けど、今生の別れではないのだ。
ちゃんと計画を立てて、スケジュールを調整して、頑張れば会う事はできる。
バン先輩が手を差し出してきた。
そして、獰猛な野獣のような笑みを浮かべて、声高に宣言する。
「『愛猫』のシズよ! 我が猫耳・しっぽの啓蒙活動に加わるのだ!」
「よろこんで!」
即座に肉球を握り返す。
柔らかい……。
「改良型の猫耳としっぽを量産する計画があるのだ」
「最高ですね。となると、後は販路ですか?」
「我が領の周辺は任せよ。スレイアの南部にはそれなりのコネがある」
「なら、僕はスレイア北部に。いや、スレイア・ブラン両国の王様に話を通しましょう!」
「素晴らしい! これは忙しくなるぞ!」
「腕が鳴ります。さあ、早速予定を変更しないと!」
熱く語りながら歩き出す僕たちの後ろで、リニャさんが「にゃー」と溜息を吐いていた。
その後、ある猫派の二人の活動によって猫セットブームが始まり、始祖崇拝者によって騒動になり、遂にはスレイア王が倒れたりするのだが、それは別のお話。
奇跡も、魔法も、あるんだよ?
そして友情、再び!
友情って美しいですね!




