第19話 商人の天秤と、最高の投資
「……う、そ……」
エリスの、
美しい唇から、
呆然とした、
ため息が、漏れた。
彼女の目の前には、
先ほどまで、
絶望的な、瓦礫だったはずの、
馬車が、
何事もなかったかのように、
佇んでいる。
いや、
むしろ、
俺が、作った、
黒光りする、
異様な、車輪のせいで、
以前よりも、
遥かに、頑丈そうに、
見えさえした。
「あ、あなた…一体、何者…?」
護衛の男が、
恐る恐る、
俺に、尋ねてくる。
俺は、
何も、答えず、
ただ、
黙々と、
道具を、片付け始めた。
用事は、済んだ。
早く、
自分の、聖域に、
帰りたかった。
「待って!」
エリスが、
鋭い声で、俺を、呼び止める。
彼女は、
もはや、
先ほどの、
途方に暮れた、
か弱い商人の、顔ではなかった。
その、瞳には、
獲物を、見つけた、
獰猛な、肉食獣のような、
鋭い、輝きが、宿っていた。
「素晴らしい、腕ね」
「この、ご恩、
お金で、支払わせていただくわ」
「金貨、百枚で、どう?」
「……いえ、いりません」
俺は、
即座に、断った。
金貨百枚が、
どれほどの価値か、
俺には、分からない。
だが、
そんな、大金、
受け取れるわけが、ない。
「じゃあ、二百枚!」
「……結構です」
「三百枚ッ!」
「いりません」
「道が、塞がってて、
邪魔だった、だけなので」
俺の、
その、言葉に、
エリスは、
一瞬、虚を突かれたように、
目を、丸くした。
そして、
やがて、
くすくす、と、
楽しそうに、笑い始めた。
「……そう」
「あなた、お金には、
興味が、ないのね」
彼女は、
俺の、工房の方向に、
ちらり、と視線を向けた。
俺が、
どこから、現れたのか、
彼女は、
とっくに、気づいているのだろう。
彼女は、
商売人としての、
思考を、切り替えたようだった。
この、奇妙な男は、
金では、動かない。
ならば、
別の、何で、
この、計り知れない価値を持つ、
『鉱脈』を、
掘り当てれば、いいのか。
彼女は、
俺の、
人付き合いが、
絶望的に、苦手なこと。
そして、
何よりも、
自分の、平穏な生活を、
望んでいることを、
その、短いやり取りの中から、
正確に、見抜いていた。
「……分かったわ」
「なら、こういう、取引はどうかしら?」
エリスは、
これまでの、人生で、
最高の、
そして、最も、
自信に満ちた、
笑顔を、浮かべた。
「あなた、
人と、話すのが、
嫌いでしょう?」
「街に出て、
買い物したり、
自分の作ったものを、
売ったりするのも、
面倒、でしょう?」
「……!」
俺は、
図星を、突かれ、
息を、飲んだ。
「私が、あなたの、
『代理人』になってあげる」
「あなたの、作ったものを、
私が、責任を持って、
街で、売りさばくわ」
「面倒な、値段交渉も、
顧客対応も、
全て、私が、引き受ける」
「その、代わり、
売り上げの、何割かを、
私に、報酬として、いただく」
「そして、
あなたが、欲しい、
どんな、珍しい素材も、
私が、全力で、
手に入れて、
あなたの、元へ、届けてあげる」
「どうかしら?」
「この、取引なら、
あなたは、
二度と、
その、愛する森から、
一歩も、出ることなく、
好きなだけ、
モノづくりに、
没頭できるわよ?」
それは、
悪魔の、囁きだった。
そして、
今の、俺にとっては、
何よりも、
魅力的な、
救いの、提案だった。
俺の、
全ての、問題を、
解決してくれる、
完璧な、申し出。
俺に、断る理由は、
どこにも、なかった。
長い、
長い、
気まずい、沈黙の後。
俺は、
彼女の、目を見れずに、
ただ、
こくり、と、
小さく、一度だけ、
頷いた。
その、瞬間。
エリスの、顔に、
これ以上ないほど、
眩しく、
そして、
勝利に満ちた、
極上の、笑顔が、
咲き誇った。
彼女は、
自分の、商才が、
人生で、最高の、
『投資』先を、
見つけ出したことを、
確信していた。
俺と、
エリスとの、
奇妙な、
ビジネス契約は、
こうして、
あっけなく、成立した。
契約書なんて、
野暮なものはない。
ただ、
俺が、
差し出された、
彼女の、白魚のような、
その手を、
ぎこちなく、
握り返しただけだ。
それが、
俺たちの、
信頼の証となった。
俺たちの、
取引の、ルールは、
極めて、シンプルだ。
俺は、
完成した、製品を、
あの、『森の郵便受け』に、
入れておく。
エリスは、
それを、定期的に、
回収し、
街で、売りさばく。
そして、
売り上げの、一部と、
俺が、リクエストした素材を、
代わりに、
郵便受けに、入れておく。
完璧な、システムだ。
これなら、
俺は、彼女と、
顔を合わせる、必要すらない。
「じゃあ、早速だけど、
最初の、『注文』を、
させてもらっても、いいかしら?」
エリスは、
にこやかに、
そう、切り出した。
「街の、主婦たちの、
一番の、悩みは、ね」
「料理が、すぐに、
焦げ付いてしまう、
質の悪い、鍋よ」
「もし、あなたが、
絶対に、焦げ付かない、
魔法の、フライパンでも、
作れたら…」
「きっと、飛ぶように、
売れると思うわ」
『焦げ付かない、フライパン』。
その、言葉。
その、
具体的な、
生活に、根ざした、
『ニーズ』。
俺の、頭の中に、
再び、
ピコン!と、
新しい、発明の、
アイデアの電球が、
鮮やかに、灯った。
脳裏に、浮かぶのは、
ギルドの廃棄場で、見た、
あの、
傷だらけの、
『ロックリザードの鱗』。
鑑定結果によれば、
あれは、
精製することで、
熱伝導率が、異常に高く、
そして、
フッ素樹脂加工のように、
焦げ付きにくい、
最高の、調理器具の、
素材に、なるはずだ。
(……面白い)
一度は、
落ち着いたはずの、
俺の、モノづくりの血が、
またしても、
ふつふつと、
沸き立ってくるのが、
分かった。
「……分かりました」
「やって、みましょう」
俺の、その言葉に、
エリスは、
満足げに、頷いた。
彼女は、
護衛の男に、
倒木の、撤去作業を、
急かすと、
「じゃあ、イツキさん」
「近いうちに、また、
『商品』を、
受け取りに、来るわね」
と、
ウインクを残して、
去っていった。
一人、
工房に、残された、俺は、
早速、
素材棚から、
ロックリザードの鱗を、
取り出した。
金儲けのためじゃない。
俺は、ただ、
目の前にある、
問題を、解決するのが、
好きなだけだ。
そして、
その、過程が、
何よりも、
楽しいだけなんだ。
俺の、スローライフは、
いつの間にか、
『スロービジネス』へと、
その、形を、
変えようとしていた。
だが、
それもまた、
悪くないな、と、
俺は、
静かに、
そう、思うのだった。




