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誰も救えない僕が、それでも魔王と生きる話  作者: 霜月ルイ
リィナ編

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18/32

18.夏は止まらない-3

 朝食を摂った後、僕はメイリスからリビングに来るようにと言われた。


 声の調子は、いつもと変わらなかった。

 急かすでもなく、叱るでもなく、淡々とした呼び方。

 だからその時は、深く考えもしなかった。


 身支度を簡単に整え、廊下を渡ってリビングへ向かう。

 窓から差し込む朝の光は穏やかで、

 屋敷の中はいつも通り、静かだった。


 ――いつも通り。


 その言葉を、心の中でなぞる。


 扉を開けると、アインとミレイユが揃っていた。


 二人とも席についている。

 向かい合っているわけでもなく、

 かといって談笑している様子もない。


 空気が、妙に張りつめていた。


「……?」


 思わず足を止める。


 ふたりしてどうしたのだろう。

 アインとの剣術の稽古も、ミレイユとの魔法訓練も、

 手を抜かず、指示されたことはすべてこなしている。


 メイリスとの勉強もそうだ。

 最近は書庫に籠る時間が増えているが、

 課題を落とした覚えはない。


 何か叱られる理由が、すぐには思い浮かばなかった。


「エルディオ」


 アインが名を呼ぶ。

 低く、短い声。


「そこに座りなさい」


 命令だった。


「……? はい、父上」


 言われるまま、椅子を引いて腰を下ろす。

 座った瞬間、背筋が自然と伸びた。


 アインは腕を組み、眉間に深い皺を刻んでいる。

 剣を握っている時と同じ顔だ。

 感情を押し殺し、判断だけを前に出す時の表情。


 ミレイユは、僕を見ていない。

 視線を伏せ、両手を膝の上で重ねている。

 その指先が、わずかに震えているのが見えた。


 ――ああ。


 その時、ようやく気づいた。


 これは、稽古の話でも、勉強の話でもない。


 アインが、テーブルの上に一枚の紙を置いた。

 丁寧に畳まれていたそれを、指で押し出す。


「エルディオ」


 低く、重い声。


「これは、なんだ。説明しなさい」


 紙を見た瞬間、胸の奥が静かに沈んだ。


 そこに描かれていたのは、

 かつて僕が、何度も書き直し、

 破り、描き直した魔法陣の一部。


 神代魔法の禁術。

 肉体の再構成と、魂の定着を同時に行う、

 大規模魔法陣の核となる構造式。


 ――見覚えがありすぎる。


「……どうして、父上がそれを?」


 声は、思ったよりも冷静だった。


 アインは答えない。


「いいから、説明しなさい」


 語気が、わずかに強まる。


 その一言で分かった。

 ここで言い逃れをする余地はない。


 僕は、紙から視線を離し、父を見た。


「……わかりました」


 喉が少しだけ乾いている。


「それは、神代魔法の一つです。

 人間の肉体を、術者の意図した形に再構成し、

 そこに、元あった魂を定着させる魔法です」


 自分の声が、部屋に響く。


「神代の魔法理論では、成功率は10%にも満たないとされています。

 ですが――」


 一拍、置く。


「僕が独自に改良を加えました。

 魔力循環と定着過程を再設計し、安全性を飛躍的に向上させています」


 その瞬間、ミレイユが息を呑んだ。


「エル……」


 震える声で、名を呼ばれる。


「まさか、あなた……この魔法を、使ったの……?」


 視線が、胸に突き刺さる。


「……はい」


 否定はしなかった。


「いきなり人間で試すわけにはいきませんでしたから。

 虫や、小動物で、ですが……」


 言葉を選んでいるつもりはなかった。

 事実を、そのまま述べただけだ。


「先ほど、安全性を飛躍的に上げたと言いましたが……

 今では、成功率は100%です」


 言い切った瞬間、

 自分がどんな顔をしているのか、分からなくなった。


 きっと――

 親に褒めてもらいたい子供のような、

 そんな笑顔だったのかもしれない。


 次の瞬間だった。


 バチンッ!!!


 乾いた破裂音が、リビングに響いた。


 何が起きたのか理解する前に、

 視界の端で、アインの拳が迫っていた。


 反射的に、結界魔法が自動展開される。

 衝撃は弾かれ、空気が震えた。


「……!」


 椅子が、わずかに軋む。


「父上、これは一体――」


 言いかけたところで、

 アインの怒声が被さった。


「どういうことだと?!」


 声を荒げたのは、初めてだった。


「お前は、自分が何をしているのか……

 本当に、分かっているのか?!」


 その目は、怒りで赤くなっていた。


 それでも僕は――

 目を逸らさなかった。


「えぇ」


 静かに、答える。


「えぇ、分かっていますよ」


 自分の声が、やけに落ち着いて聞こえた。

 その落ち着きが、逆にこの場の空気を冷やしたのだと、後になって気づく。


 アインは拳を下ろさなかった。

 結界越しに睨みつける視線は、怒りというより――失望に近い。


「分かっている、だと……?」


 低い声だった。

 怒鳴らない。叱責もしない。

 だからこそ、その一言は重かった。


「お前が今、どこに足をかけているのかを分かっていると、本気で言うのか」


 答えは、用意してあったはずだった。

 論理も、理屈も、説明も。

 それなのに、口を開いた瞬間、言葉が喉に引っかかる。


「……分かっています」


 それでも、同じ言葉を繰り返した。


 ミレイユが、震える息を吐いた。

 両手を胸の前で握りしめ、僕を見る。


「エル……あなた……そこまでして、リィナちゃんのことを……」


 責める調子ではなかった。

 怒っているわけでも、否定しているわけでもない。

 ただ、信じられないものを見るような目だった。


「あなたが、そんな魔法に手を出すなんて……」


 母の声が、少しだけ掠れていた。

 それが、僕の胸を一番強く締めつけた。


「大丈夫ですよ、母上」


 思ったよりも、穏やかな声が出た。


「これを使う予定も、つもりもありません」


 その言葉に、ミレイユの目がわずかに揺れる。


「……本当に?」


「はい」


 即答だった。

 迷いも、間も、入らなかった。


「もう、使いません。使えませんし……使うべきじゃない」


 アインが、ゆっくりと拳を下ろした。

 それでも、視線は鋭いままだ。


「理由を言え」


 短い命令だった。

 逃げ道はない。


 僕は一度、深く息を吸った。


「この魔法は……確かに、理論上は成立します。

 成功率も、実験段階では限りなく100%に近づけました」


 その言い方に、ミレイユが顔を強ばらせる。


「……けれど」


 続ける。


「それは“条件が揃えば”の話です。

 素材も、環境も、術者も、対象も……

 すべてが揃った時にだけ、成立する理論です」


 アインは黙って聞いていた。


「人間に使うには……あまりにも、代償が大きい。

 肉体だけじゃない。

 精神も、魂も、時間も……全部を賭ける魔法です」


「……だから、使えないと?」


「いいえ」


 首を振る。


「使えないんじゃない。

 使う資格が、僕にはない」


 その言葉を口にした瞬間、

 胸の奥で何かが、静かに折れる音がした。


「資格……?」


 ミレイユが、小さく呟く。


「はい。

 この魔法は、“救う側”がすべてを引き受ける前提で成り立つ。

 成功しても、失敗しても……その結果を背負う覚悟が必要です」


「……」


「でも、僕は――」


 言葉を選ぶ。


「僕は、誰かの人生を引き受けられるほど、強くありません」


 それは、初めて口に出す弱さだった。


「救えたとしても、

 その先で何が起きるか、僕には保証できない。

 彼女の未来も、選択も、時間も……

 僕が奪ってしまう可能性がある」


 ミレイユの目から、静かに涙が落ちた。


「……エル……」


 呼ぶ声が、あまりにも優しかった。


「あなた……あの子のことを……」


「えぇ…愛していますよ」


 重ねるように、はっきりと言った。


「大切です。

 一緒にいられる時間が、かけがえなくて……

 失いたくないと思ってしまった」


 アインが、初めて目を伏せた。


「……ミレイユから、話は聞いた」


 その一言で、空気が変わる。


「リィナという少女のこと。

 病のこと。

 医師の見解も、家族の状況も……調べさせた」


 胸が、ひくりと跳ねた。


「父上……」


「知らずに止めるほど、私は愚かではない」


 重い声だった。


「分かっているからこそ言う。

 エルディオ、お前が考えている“可能性”は……

 すでに、何人もの人間が辿り着き、そして手を引いた場所だ」


「……」


「成功例がないのには、理由がある。

 理論が間違っているからではない。

 “成功してはいけない”からだ」


 その言葉が、胸に落ちる。


「誰かを救うために、誰かが壊れる魔法は……

 救いではない」


 静かな断言だった。


「お前は……もう、答えに辿り着いている。

 だから、使わないと言ったんだろう」


 僕は、何も言えなかった。


 使わない。

 使えない。

 使うべきじゃない。


 全部、本当だ。


 でも同時に――

 使えたら、と思ってしまった自分も、確かにここにいる。


 ミレイユが、そっと僕の手を取った。


「エル……」


 その温度が、痛い。


「あなたは……優しすぎるのよ」


 責める言葉じゃない。

 褒める言葉でもない。


「だから、苦しくなる。

 誰かを救おうとして……自分を失ってしまう」


 彼女は、涙を拭って、微笑んだ。


「使わない、と言えてよかった。それは……逃げじゃない」


 逃げじゃない。

 その言葉が、胸に刺さる。


 ――本当に、そうだろうか。


「……リィナには」


 絞り出すように言う。


「何も、言っていません。この魔法のことも……調べたことも」


 アインが頷く。


「それでいい」


「……」


「お前が背負うべきものではない。

 そして、彼女に背負わせるべきものでもない」


 正しい。

 全部、正しい。


 だからこそ――

 どうしようもなかった。


 この場に、奇跡はない。

 選択肢も、抜け道もない。


 あるのは、

 分かってしまった現実だけだ。


 僕は、静かに目を閉じた。


「……分かりました」


 それ以上、何も言えなかった。


 使わない。

 越えない。

 もう、ここまでだ。


 そう、言葉では区切りをつけた。


 それでも心のどこかで、

 失った可能性の重さだけが、沈殿していく。


 ――これが、正しい結末なのだと。


 誰もが、そう言える形で。


 ♢


 僕はリビングを後にした。


 扉を閉めた瞬間、

 張りつめていた空気が、背中から一気に剥がれ落ちた気がした。

 それでも、足取りは重いままだった。


 廊下は静かだった。

 朝の光が窓から差し込み、

 いつもと同じ屋敷の朝が、そこにあった。


 ――何も変わっていない。


 それが、ひどく残酷だった。


 アインとミレイユを、失望させてしまっただろうか。

 その考えが、遅れて胸に落ちてくる。


 僕は、彼らが望む生き方をしてきたつもりだった。


 魔法に才能があると言われれば、魔法に取り組んだ。

 剣を教えると言われれば、

 求められる以上の成果を出すよう努めた。


 努力すること自体は、嫌いじゃなかった。

 できるようになる感覚も、評価されることも、

 確かに、嬉しかった。


 勉強だってそうだ。

 メイリスとの時間は穏やかで、

 新しい知識を知るのは、純粋に楽しかった。


 だから――

 僕は、間違っていないと思っていた。


「それなのに……」


 足を止め、

 廊下の窓から外を見下ろす。


 庭は、よく手入れされている。

 草木は揃い、何一つ乱れていない。


「どうして、こうなっちゃったんだろうな」


 声に出した瞬間、その言葉がひどく幼く聞こえた。


 まただ。

 また、僕は間違えた。


 過去から、何も学んでいない。

 自分が「正しい」と信じた選択を重ねて、

 その結果が、誰かを追い詰める。


 それを、何度も繰り返している。


「……」


 胸の奥が、静かに痛んだ。


 責められたわけじゃない。

 怒鳴られたわけでもない。


 それでも、父の拳より、母の震える声より、

 あの紙に書かれた術式より――


「分かっているのか」と問われたことが、

 一番、きつかった。


 分かっている。

 分かっているつもりだった。


 でも本当は、

 分かっていなかったのかもしれない。


「……リィナに、会いたいな」


 気づけば、そんな言葉が漏れていた。


 誰に向けたわけでもない。

 ただ、胸の奥から、自然に浮かんだ名前。


 彼女に会いたい。


 理由なんて、考えなくても分かる。

 彼女の前では、何者でもなくいられた。


 期待も、役割も、

 才能も、責任も、

 全部、置いていけた。


 彼女と“いつも通り”を過ごしたい。


 畑で、並んで立って。

 他愛もない話をして。

 季節の話をして。

 それだけでいい。


 僕の気持ちも、僕の力も、全部蓋をして。

 何も考えずに、ただ同じ時間を過ごしたい。


 それが、どれほど身勝手な願いか分かっているはずなのに。

 気づけば、足は勝手に動いていた。


 廊下を抜け、屋敷の外へ出る。


 夏の空気が、一気に肌にまとわりつく。


 力の抜けた足取りで、

 畑へ向かう道を歩き出す。


 逃げているのかもしれない。

 でも、行く先は一つしかなかった。


 ――彼女のいる場所へ。


 ♢


 リビングには、重たい沈黙だけが残っていた。


 扉が閉まる音が、やけに遠く聞こえる。

 アインは、しばらくその扉を見つめたまま動かなかった。

 拳を握ったまま、力を抜くことも忘れている。


「……あの子は」


 低く、抑えた声で呟く。


「本当に、使わないつもりなのか」


 ミレイユは、答えなかった。

 代わりに、胸元で手を組み、ゆっくりと息を吐く。


「使えないのよ」


 静かな声だった。


「使わない、じゃない。

 使えないところまで、もう分かってしまったの」


 アインは、わずかに眉をひそめる。


「……それでも、あそこまで調べ上げた。

 あれほどの術式を完成させておいて、だ」


「だからよ」


 ミレイユは、視線を落とした。


「エルは、もう引き返している」


「……」


「救える“かもしれない”って場所に、

 一度、立ってしまったからこそ」


 その先の言葉を、彼女は飲み込んだ。


 ――それ以上進めば、

 息子は“人であること”を失う。


 その覚悟が、あの子には出来なかった。

 そしてそれは、弱さじゃない。


「……」


 アインは、深く息を吐いた。


 怒りでも、失望でもない。

 もっと厄介な感情――無力感だった。


「リィナという娘のことは、調べた」


 その言葉に、ミレイユが顔を上げる。


「病は、治らない。

 進行を遅らせることしか出来ない。

 魔法でどうにかなる領域ではない」


 アインは、ゆっくりと言葉を選んで続けた。


「……エルが知ってしまったのは、

 “救えない現実”だけじゃない」


「……」


「それでも、彼女を選んだ自分自身だ」


 ミレイユの目が、わずかに揺れた。


「それが、あの子の初めての――

 “自分で選んだ苦しみ”なのね」


「そうだろうな」


 アインは、視線を伏せた。


「我々が止めることは出来る。

 だが、背負わせないことは出来ない」


 沈黙が、再び部屋を満たす。

 窓の外では、夏の光が静かに差し込んでいた。


「……あの子」


 ミレイユが、小さく呟く。


「きっと、畑に行くわね」


「……だろうな」


 止める理由は、もうない。

 止めたところで、

 息子の心が戻るわけでもない。

 アインは、静かに目を閉じた。


「――あの子が壊れないことを、祈るしかない」


 エルの親として、歴代最強の魔導士として。

 どうしようもなく無力な願いだった。


 そしてその祈りが、どれほど脆いものかを、

 二人とも、もう分かっていた。

ここまで読んでくださって、ありがとうございます。


第18話では、

「救えないことを理解している大人」と

「それでも進もうとしてしまった少年」を描きました。


正しさは、ここにあります。

理屈も、判断も、すべて間違っていません。


それでも、

正しいだけでは人は救われない、

そんな現実が、静かに残った回でした。


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― 新着の感想 ―
自分を失うことが怖いからなのかもしれないなあと、自分自身を思う回でした。
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