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「思い違いです。友人の御兄上様として敬っておりましたが」
「王家や公爵家への手前、そう言わなければならないのはわかっている。……もう半月近くもここへ留め置かれていると聞いている。私はそんなことは気にしない。今を逃せば、次のチャンスはないだろう。君を救い出す機会を得るため、彼らと一計を案じて、こうしてここに来たんだ。さあ、一緒に行こう。君さえ来てくれれば……」
彼が話している途中で、立ち止まった私たちに何事かと気になったのだろう、哲学書のテーブルの面々が席を離れ、こちらにやってきた。
「共に一計を案じはしたが、それは君に彼女を好きなようにさせるためではないよ」
親族のお兄様がリチャード様の肩に手を掛けた。ほっとする。さすがセスお兄様、頼りになる!
「君などより、私の方が付き合いは長いし、頼りにされている。それに、愛されている」
愛されている!? ええと……ええと……、たしかにそのとおりなのだけれど、親族に対する親愛でしかないですからね。そういう意味よね!?
「セリナ、おいで。私と行こう」
あれ? いつもの頼りがいのあるまなざしが、怖く見える。
「いえ、あの、お気遣いけっこうです、行きません」
「では、僕とおいでください。年下ではありますが、もう一年して成人したら、申し込むつもりでした。ずっとあなたが好きでした。必ず大切にすると誓います。どうか、僕と」
シンディの弟君が、大人二人を押しのけ、手を差し伸べてきた。
そうだったの!? 知らなかったわ! 青天の霹靂!
「あの、すみません、私、シュリオス様と婚約しておりますので」
「まだ婚約だけでしょう? 高位貴族では時勢で解消になるのはよくあることです」
そうね。身分の釣り合いがあるから、誰かが亡くなったり事件が起こったりすると、玉突きのように婚約解消と新しい婚約が起きたりするわね。あ! まさに今回の件は、そう見えてもおかしくない……?
「あなたの立場では、そう言うしかないのもわかっております。ですから、言葉にしなくてけっこうです。ただこの手を取ってくだされば」
「いいえ、いいえ、違います! 私は望んで婚約したのです。ですからシュリオス様以外のどなたの手も取りません!」
そう言ったのに! なぜかよけいに皆さん似たようなことを言いだして、次から次に迫ってくるー!
壁際に追い詰められて、ぐるりと囲まれた。
いやああああ~! いったいどうなっているの~~~っ!?
「セリナ!」
男性の垣根の向こうから、殿下の鋭い呼び声が聞こえた。
「は、はい! ここに!」
「今すぐここに参れ!」
垣根が割れた。よかったあ! さすがに彼らも殿下の求めを阻むつもりはないらしい。走って御前に駆けつけ、膝をついて頭を垂れる。
「遅くなりまして申し訳ございません!」
「これはどういうことだ」
「はい、あの、……皆様、殿下にお祝いを申し上げるのを待ちわびて、いつお目もじ叶うかと……」
本当のことなんか言えない。殿下へのお祝いが目的ではなく、私を拐かす計略でここに集まったなんて。どんな罰が下るかわからない。
考えるより先に口から出て来た言い訳を、話しながら必死に吟味する。……えーと、えーと、やはりこれでは殿下の命令を邪魔したことになっている?
「あ、あの、いつ呼んでいただけるだろうかと殿下のご様子なども聞かれ、私もつい、フレドリック様と仲睦まじくしていらっしゃるお話をしてしまい……、会話が盛り上がって遅れてしまいました。誠に申し訳ございません!」
さらに身を屈めた。いつもほがらかな殿下をこれほど怒らせてしまうなんて、申し訳なくて堪らない。それに、どんなお咎めがあるか、考えるのも怖い。
シュリオスの婚約者として力になりたかったのに、これでは足を引っ張ってしまっている。情けない……。
「セリナ」
カツ、と間近で靴音がして、しゃがんだ人影に引き寄せられた。抱きしめられる。シュリオスの嗅ぎ慣れた香と体温に、思わずすり寄り、涙がこみあげてきた。
私を庇って、シュリオスまでご不興を買ってしまったらいけないのに。それをわかっているのに、体が動かない。シュリオスの腕も、絶対に離さないというのを伝えてくる。……そうだったわ。シュリオスは、私となら苦難の時も共に助け合えることを喜びにできると、言ってくれたのだった。
「立って、セリナ。私は怒っていないわ」
和らいだ声がかかり、シュリオスに助け起こされた。頭を彼の肩にくっつけたままでは殿下に礼を失する。離れようとしたのに、かえって、ぎゅっと頭ごと抱えこまれた。
シュリオスの片手が目の前を横切って上がり、一拍の後、下りてくる。その手には眼鏡が握られていた。
あっ、それをはずしたら、まずいのではないの!?
ほら、どよめきが起こっている。神の造り給うた奇跡ですもの、誰だって感嘆の声をあげてしまうのは当たり前よね……。
「おまえたち」
低い、低い、威圧に満ちた声が、くっついているところから体に響いて、少々陶然としてしまう。だって、すっごく良い声なんだもの。だけれど、とんでもなく怒っているのもわかって、同時に緊張もしてきた。
「それほどヴィルへミナ殿下に忠誠を示したいのなら、これからは殿下に犬のように侍るがいい。――殿下の命令をよく聞く、猟犬になれ」
猟犬!? またそんな辛らつな言葉選びをして! たぶん、私が跪くはめに陥ったことに腹を立てているのでしょうけれど、――ああ、うん、そうね、公子だもの、下位の者どもに婚約者を貶められたら、侮られないよう高圧的に出ておかしくないわね。
衣擦れの音が次々起こる。異口同音の言葉が聞こえてくる。
「閣下の仰せのままに」
今度は顔を上げるのを邪魔されなかった。振り返ると、子息たちが全員四つん這いになっており、目は爛々とシュリオスを見ていた。
「私は殿下に侍れと言った」
子息たちは四つん這いのまま、殿下のお側へと移動していく。視線は殿下に向けられたと思ったら、目を離しがたいとでもいうようにシュリオスに戻ってきて、思い切るように殿下にまた向けられては、どうにも抗い難そうにシュリオスに戻る。
これって、もしかして。
「ちょ、ちょっと、シュリオス、やりすぎよ」
殿下がたじたじと後退り、フレドリック様に身を寄せた。
「殿下の命令をよく聞けと言い聞かせておきました。躾はどうぞ殿下ご自身の手で」
「そんな無責任な!」
殿下が悲鳴じみた声をあげる。シュリオスは真顔で瞬きを一つすると、うっすらと笑い返した。美しいお顔が禍々しく輝く。殿下とフレドリック様は息を呑んでブルブル震えだした。
「私は自分の責務は果たしました。これで失礼させていただきます。……さあ、行きましょう、セリナ」
そうは言っても、他のお客様が、と思って見まわしたら、誰もいない! どうなっているの!? 私たちだけで、使用人すらいないなんて。
もう、わけがわからないわ……。
肩を抱かれて、促されるまま呆然と、惨憺たる状態となったお茶会会場から出た。




