第11話
「――ッ」
瓦礫を踏みつけ、高く跳び上がる小さな体。空中で二度、三度と身を翻し、振り下ろされるムーの尻尾。女性は俺を中央の水槽に放り投げ、両手でそれを受け止める。俺の体が水面に落ちると同時に、ズンと響き渡る衝撃が水の中にまで響いた。
「!」
女性は触手を伸ばしてムーを捕まえると、その勢いのまま大きくその身を振り回して床に叩きつける。みしりと音を立ててヒビ割れる床。揺れる水面。慌てて通路に這い上がった俺は、思わずハッとして息を飲む。
「ムー!」
「――ッ!!」
女性の腰回りに巻き付く尻尾。ハッと見開かれる眼。その瞬間、俺の目の前で女性の体が宙を舞う。轟音と共に立ち上がる水柱を背に、ムーは飛び起きてフンと息を吐いた。
あの巨体を、投げ飛ばしたっていうのか?尻尾の力だけで?
「……り、リヒトさん……!」
「だいじょーぶ……?」
「あ、あぁ。大丈夫だ。二人とも、怪我はないか?すまない、俺のせいで――」
どうやら二人共、怪我などはなさそうだ。ほっと胸を撫で下ろす間もなく、ぺたぺたと音を立てて駆け寄ってきたムーが俺の顔を覗き込み、両手で俺の顔を挟み込む。顔が、顔が近い。まだ怒っているのか。なんて考えていると、ムーは俺の顔をぎゅっと抱きしめた。
「む、ムー?」
「……」
返事はない。しかしその手は俺の頭をしっかり抱えて撫で回し、濡れた柔肌が俺の頬に押し付けられる。女性が俺にしていたものとほぼ同じ仕草。膨らみの大きさで言えば確かに劣るが、窒息する心配はないというだけでとても心地よいものに感じてしまう。
この、抱きしめるのは一体なんだ?魚人種が持つ習性なのか?ただのスキンシップ、というわけではないような……
――しかし。そんなことを考えている場合ではない。
「!」
叩きつけられる衝撃音に、ハッとして振り返る。泡立つ水面からぬるりと這い出た何本もの触手が巨大な水槽に沈んだ巨体を引っ張り上げる。揺らめく触手と、輝く眼光。振り下ろされた触手は石造りの床をクッキーのように打ち砕き、瓦礫を握りつぶす。その顔に、もはや笑顔はない。
当然ながら、彼女もまた魚人種。投げられた程度で動けなくなるほどヤワではないというわけだ。
俺達はすぐさま身を起こし、身構える。俺を前衛に、ヘレナとロココが後ろに控える陣形。しかし、ムーが俺の前に立つ。まるで怯む気配もなく、ずんずんと女性に近づいてゆく。女性もまた、歩み寄ってくる。
「……」
やがて、両者は互いの触手が互いに届く距離で足を止めた。
見上げる者と、見下ろす者。ひりついた沈黙。互いに一歩も退く気配はなく、同時に触手を振り上げる。水滴が爆発のように飛び散った。
「ッ」
ぶつかり合う肌と肌。唸りを上げて暴れまわる触手。途絶えることのない衝撃音。生まれて初めて目の当たりにする、魚人種同士の喧嘩。二つの赤色が激しく衝突を繰り返し、投げて投げられ、叩いて叩かれ、巨体と小柄が絡み合ってのたうち回る様を、俺達はただ見ていることしか出来ない。
「……」
立ち尽くす中、どうすればと言いたげな眼が俺を見る。
体躯も手数も圧倒的に相手のが上。加勢すべきなのかもしれないが、魚人種同士の同族争いに別の人種である俺達が割り込むというのも違う気がする。そもそも魚人種はモンスターではない。向こうから襲いかかってきたわけでもなく、こちらから攻撃を仕掛けるのは流石にまずいだろう。
そもそも、ムーの仲間を探しに来たはずだが……どうしてこんなことに。
「!」
ムーと女性は絡み合いながら何度もひっくり返り、やがてその勢いのまま巨大な水槽に飛び込む。二人の戦いは恐らく彼らの本来のフィールドである水中戦に移り、俺達は地上に取り残されてしまう。
「ギャッ」
「ギャギャ」
二人が水中に沈むのとほぼ同時に、聞こえてくる「奴ら」の声。この時を待っていたと言わんばかりに、三方向の通路からそれぞれ姿を現すゴブリンの群れ。先程までとは明らかに違う、敵意にあふれた顔つき。天敵がいなくなった途端にやる気を出してきたか。
「……どうやら、俺達の相手はこっちみたいだな」
剣を構え、ふうと息を吐く。彼女たちの戦いに割り込むのは気が引けるが、モンスターが相手なら遠慮なく戦える。
「ヘレナ。通路を一箇所塞げるか?」
俺がそう言うと、ヘレナはこくりと頷いて杖を一振り。その足元に魔法陣が浮かび上がる。
『――ステラ・プリズム』
放たれた光は輝く防壁となり、通路のひとつを見事に塞ぐ。本来は敵の攻撃から身を守るバリア系の魔法。それを通路の幅と同じ大きさにしたのだ。
「ロココ」
「ん」
差し出した俺の手に、重なる小さな手。手渡された「力」を握りしめ、俺は通路の一本に飛び込む。ロココのバフを受けた時は、体が軽くなる。普段よりずっと早く動ける。初めは少し戸惑ったが、動き方のコツは掴んだ。
「ギ――」
ゴブリンたちの動きが、止まって見える。
動かない相手を切り裂くほど、簡単なことはない。すれ違いざまに、刃を添えるだけでいい。そのまま振り抜くだけで首が飛ぶ。そのまま俺はゴブリンの集団の中を突っ切り、身を翻して反転。踵を返す形で再び地を蹴り、引き返す。「行き」で切りそこねたやつを、「帰り」で切る。簡単なことだ。
「……」
ロココとヘレナの元に戻った俺は、残った一方の通路に振り返る。ゴブリンたちがぎょっとして後ずさる。黙って刃を構えると、ゴブリンたちは顔を見合わせ、やがて一目散に逃げ出した。
光の壁を必死に叩いていた残りの奴らも、撤退すべきと判断したようだ。
「逃げていったな……」
ざばんと水をかき分ける音に、はっとして振り返る。水槽から先に上がってきたのは、ムーであった。




