242話 むー
フラウハイム王国とヘイムダル法国の国境。
ややヘイムダル法国寄りにある森林地帯。
その中に、小さな小屋が建てられていた。
旅人が足を休めるためのものではなくて。
迷い人が避難をするための場所でもなくて。
……とある王族が利用する、秘密の隠れ家だ。
「ようこそ、シロ王女。こうして、再び会えて光栄だ」
「むー」
エルトシャンは、極上の笑顔を浮かべていた。
そのまま昇天してしまいそうな、そんな多幸感を覚えるほど。
一方で、シロは頬をぷくーっと膨らませていた。
不機嫌なのは当たり前だ。
なにしろ、両手足を縛られて、虫のように転がされているのだから。
ついでに、口も枷をつけられていた。
「むー」
言葉は出すことができない。
だからせめて、シロは視線で抗議をした。
エルトシャンを睨みつけるのだけど、彼の笑顔が崩れることはない。
「すまないね、少々手荒な招待になってしまったようだ。本来なら、もっとスマートに……僕の婚約者として連れ帰りたいところだったのだけど、なにやら、今のシロ王女にその気はないという話を聞いてしまってね」
「むぅ?」
シロは小首を傾げた。
確かに、表から来ても裏から来ても、エルトシャンと婚約するつもりはないと言った。
しかし、それはほんの数日前のこと。
しかも、ブリジットの執務室での話だ。
エルトシャンの使者はやってきていたものの、彼本人はいない。
どこでその話を聞いた?
もしかして、他にネズミが潜り込んでいた?
でも、ヒカリとセラフィーがいた。
アルムもいた。
それらの猛者が気づかないほどのネズミ?
そんな人、いるわけがないと思うシロだけど……
しかし、シロは研究者だ。
ものを考える過程で、まず最初に、全ての可能性を否定しない。
全ての可能性を受け入れて、話を進めていく。
だから、アルム達以上の力を持つ者がいるという可能性も否定できなかった。
「むー……」
シロは、ちょっとまずいかも、と焦る。
……昨夜。
そろそろ寝ようとベッドに横になったところで、何者かが部屋にいることに気づいた。
なぜ?
どうやって?
混乱するシロだけど、助けを求めることはできない。
騒ぐようならば城の兵士を殺す。
それだけではなくて、街の民も殺す。
そう脅されたため、素直に従うことにした。
ただ、考えがなかったわけではない。
あえて敵の懐に飛び込むことで、その目的をはっきりさせたいと思ったのだ。
捨て身の戦法である。
それに、さらわれたとしても、アルムがきっと助け出してくれる。
そう思い、安心していたのだけど……
「むーむー」
もしも、アルム以上の強者がいたら?
返り討ちにあってしまったら?
それは、シロが原因と言えなくもない。
「……むぅ」
その時のことを想像して、シロはとても悲しくなった。
涙が出てきた。
自分はどうなってもいい。
王族として生まれた以上、こうした謀略に巻き込まれることは覚悟していた。
死んでもいいというわけではないけれど、いつ、こういう事態に巻き込まれてもいいように心の準備はしてきた。
だからこそ、今、このような状況下なのに狼狽することはない。
ただ。
アルムが殺されてしまうとなると、話は別だ。
それだけは絶対に嫌だ。
認めるわけにはいかない。
それを避けるためには……
「キミは、とても賢い女性だ。子供とは思えないほどに……ね。ならば、僕の言うことを聞かなければいけないと、理解できるだろう?」
「……むぅ」
シロは、全てを諦めたような表情で、床に転がされたまま、こくりと頷いた。




