第31話 暇つぶし
「おはようございます、公方様(足利義材)。いかがお過ごしでしょうか?」
伊勢貞陸くんがボクを訪ねてきた。
「暇としか言えぬ……」
ボクは扇で首元に風を送りながら素直な感想を口にした。
国人一揆と休戦してから二ヶ月ほど過ぎて七月になっている。この間ずっとボクは丹波に滞在しているわけだが、することがあまりないのだ。政務は多少あるが、都での仕事量とくらべると雲泥の差がある。
もちろん武芸の鍛錬は怠っていないし、家臣への声かけも継続している。ただ、都にいる時よりもどうしても時間が余ってしまうのだ。
和歌とか絵画とか芸術方面に明るかったら無聊を慰めることができたのだろうが、あいにくボクは武人肌でそれほど学んでいない。前世でも芸術関係はサッパリだった。
芸術ガチ勢の八代将軍義政伯父さんとか、文武両道の九代義煕くんとかだったら、暇な時間をいくらでも潰せるのだろうが。
「公方様だけではなく。奉公衆も暇つぶしに苦労しているようです」
「案の定であるな」
奉行衆は裁判関連で大忙しだが、奉公衆はボクの護衛くらいしか仕事がない。必要最低人数だけ丹波に置いて、残りは京都に待機。交代交代で丹波にやって来るという勤務ローテーションにしたのだが、こちらでの娯楽の少なさに辟易しているようだ。
「暇すぎるのが悪いのか、奉公衆の一人が細川の足軽と喧嘩を起こしかけたと聞き及びました。幸い口喧嘩で済んだようですが」
「――余としては口喧嘩も謹んでもらいたいのだがな。手を出さなかったということで此度は何も聞かなかったことにする。とにかく喧嘩の類いは禁ずると、改めて触れ回るように」
お願いだから下らないトラブルは起こさないでよ。部下の不始末は上司の責任になるんだからさ。
「力が余っているのなら相撲でも取るように伝えよ。また褒美を出す」
相撲は道具不要だし、鍛錬にもなるしで都合の良い娯楽だ。普段から兵たちに推奨している。ただ、毎日同じだと飽きてしまうので、たまに将軍主催の大会を開催して盛り上がるようにしているのだ。
「良き考えにございます。褒美はこちらで支度致します」
「珍しいな。いつもなら銭がないと言ってくるのが伊勢守(伊勢貞陸)だろうに」
「ゆとりがある時は苦言を申したりしませぬ」
実は将軍御一行の滞在費の大半を細川家が出してくれている。恐縮してしまうくらいの厚遇だ。
おかげで浮いたお金を篠村八幡宮の修繕費にまわすこともできた。
「そうか。銭に困っていないとなると、伊勢守は手が空いておるな?」
「多少の暇ならございます」
「ならばちょっと付き合え」
ボクは部屋の隅に置いておいた将棋盤を貞陸くんの前に移動させた。
「小将棋にございますか。お相手致しましょう」
「やり方を変えて指したい。伊勢守に思うところがあったら素直に述べよ」
将棋と囲碁はこの時代でも楽しまれている遊びだ。
小将棋というのは未来日本で一般的な本将棋と同じ盤を使用し、駒もほぼ一緒である。ただし、ルールは少々異なる。
ボクは本将棋を広めてみようと考えたのだ。新しい遊び方を提供して、将兵の娯楽を増やしたい。
まずは貞陸くんから意見をもらっておこう。
「取った駒をまた盤に打てる? 何とも奇妙な……」
彼が困り気味の顔で戸惑う。
本将棋とこの時代の将棋の最も大きな違いは、持ち駒の再使用が可能か不可かという点だ。再使用を認めて、あとは醉象という駒を取り除けば、小将棋は本将棋に早変わりとなる。
たいした労力もなく新しい娯楽を提供できればお得と考えたのだが。
「これは難しいですな。駒数が多い中将棋よりも考えることが多いかもしれませぬ。空いたマスに相手の駒が飛び込んでくるとなると、どうやって守ったら良いのか……」
眉間に皺を寄せて貞陸くんが考え込んでいる。慣れないルールに戸惑っているみたいだ。
ボクは前世で将棋が得意というわけではなかったのだが、あっさり優勢になってしまった。ズルをしているみたいで申し訳ない気持ちになってくる。
失敗したかなと思ったが、貞陸くんもだんだんと本将棋ルールに適応し始めた。
「なるほど、取った駒を使えるというのは、戦場で伏兵が出てくるようなものにございますな。攻めにも守りにも幅が出ます」
「お主、慣れるのが早すぎではないか?」
「小将棋と似ているのが良いのかもしれませぬ。――さあ、公方様の手番です」
「くっ、厳しい手を繰り出してきおった」
想定外の手を彼が指してきた。これでボクの王将が一気に危なくなってしまう。
いくらボクが将棋下手とはいえ、さすがに初めて指す相手には負けたくない。身を乗り出して、本気で頭を回転させ始めた。
考え込んでいると、部屋の外から近習がボクを呼んだ。
「公方様、右京大夫様(細川政元)がお見えになりました」
「通せ」
盤面から目を離さないまま、ボクは返事をした。
「おはようございます――。お二人は何をなさっているのでしょうか?」
部屋に入ってきた政元が、不思議そうな声を出す。
「見ての通り将棋ぞ」
ボクは最低限の言葉で返す。頭の中が将棋で一杯になっていて、会話することが億劫になっているのだ。
「それにしては角や桂馬が有り得ぬところに置いてあるようですが?」
政元の疑問に貞陸くんが答える。
「実は公方様がお考えになった新しい将棋を指しておりまして。いやはや、なかなかに奥が深くて面白いですぞ。右京大夫殿も一局指してみては?」
「新しい将棋とな? よろしければご教示をお願いしたい」
「まずお互いに醉象を落とします。あとは取った敵の駒を……」
貞陸くんが本将棋ルールを説明し始めた。
ボクは聞き流しながら最善手を探し続ける。
「よし、指したぞ。話が終わる前で悪いが伊勢守の番だ」
「既にほぼ伝え終わっておりますので、支障はございませぬ。然らば御覚悟を」
貞陸くんが持ち駒の銀将をボクの陣に打ち込んできた。
「つ、辛い……」
ボクの王将の逃げ道を丁寧に塞いできた。あと数手でボクの負けとなる。
こうなったら一か八かで攻撃を仕掛けよう。貞陸くんの間違いを期待しての攻めだ。
「公方様も厳しく攻めて来られますね――」
しかし、貞陸くんは一向に間違えない。
「無念。余の負けだ」
結局、再反撃を受けたボクは素直に投了した。悔しいが仕方ない。
「ふむ、持ち駒を使うという新しい将棋も面白そうですな」
横で観戦していた政元が感心している。
一局終わったのでボクは将棋盤を横に置いて、彼女の方に体を向けた。
「暇があったらこの将棋をやってみてくれ。して、ここへ来たのは何用か?」
「実は、当家の足軽衆と奉公衆の間で――」
「そのことなら良い。さっき伊勢守から同じ話を聞いておる」
「左様にございましたか」
「此度の件は、余のあずかり知らぬことにした。今後は諍いが起きないよう、細川の方でも気をつけるように頼む」
「寛大な御処置、真に感謝致します」
政元が深々と頭を下げた。
「話は変わるが、右京大夫に尋ねたいことがある」
「ははっ。何なりと」
「丹波での暇つぶしを教えてもらいたい。何か手頃なものはないか?」
「暇つぶしにございますか? 丹波にいるときは山に入って修行をしておりますな」
聞いたボクが悪かったよ!
修験道バカの政元なんだから、暇があったらそりゃ山に籠もるよね。
横で聞いていた貞陸くんも呆れ顔だ。政元の修験道への傾倒っぷりに驚いたのだろう。
彼女の発言を聞いて、ボクは外に目をやった。緑色に覆われた山々が遠くに見える。丹波国は山がちな地形ということで、女人禁制がない山なら政元としては修行場所がより取り見取りに違いない。
修行云々はさておき、山登りで時間を潰すのはアリかもしれない。足腰の鍛錬にもなるだろうし。
「登ってみるのも良いかもしれぬな」
「公方様がお望みならば、ワシがいくらでも先導致します」
「――あのな一応言っておくが、余は山には登りたいが修行をするつもりはないぞ」
「は? 修行の他で山に入るとかあり得ないと存じますが?」
お前の思考回路があり得ないよ! 山菜採りとか柴刈りとか山へ入る理由は他にも色々あるからね!
そんな話をしていると、近習が部屋の中に入ってきた。
「公方様、お寛ぎのところ失礼致します」
「何事か?」
「京より早馬が駆けつけて参りました」
近習がボクに手紙を渡してきた。
「早馬の用件とは一体何事ぞ……?」
疑問に思いながら、ボクは手紙を開く。そこには驚くべきことが書いてあった。
「――伊豆国にて謀反だと?」




