第30話 不可解な降伏条件
一揆衆の動きは速かった。空が茜色に染まる前に和睦を申し出てきたのだ。月見曲輪が半日足らずで陥落したことによるショックが大きかったのだろう。
ちなみに、東側からの攻撃も月見曲輪が落ちた後に休止されたが、こちらでも細川方が押し気味だったらしい。東西両面からの圧迫に一揆衆が音を上げたのだ。
「やはり、降伏してきたか」
報告に訪れた葉室光忠に、ボクは大きく頷いてみせた。同時に安堵の吐息も出る。
「ところが、一筋縄ではいかなそうな話でして……」
「どういうことだ?」
光忠の話をまとめると、一揆勢は降伏するのに条件を出して来たとのことだ。
その条件とは「幕府の裁判を受けられるのならば降伏する」だそうである。
何のことかサッパリ分からなかったが、詳しく話を聞いたら理解できた。
そもそも、丹波の国人一揆は、守護代である上原親子が国人たちの土地を横領しまくっていることへの抗議で始まったらしい。
――何というか、上原親子もやっぱり室町武士だったのねという感想しか出てこないぞ。こういう話を知ることができたのだから、わざわざ丹波までやってきた甲斐があったというべきか。京の都に籠もっていたら、うかがい知ることすらできなかったかもしれない。
室町時代の裁判制度は二十一世紀の日本とは大きく異なる。この時代では、それぞれの共同体にて裁判が実施される。村の裁判・寺社の裁判・守護国の裁判・幕府の裁判という具合にだ。
こんなことになっているのは、法が複数存在するからである。村の法・寺社の法・守護国の法・幕府の法といった成文法に加えて、古くからの慣習法も並び立っている。現代人感覚からするとカオスの極みだが、室町人たちはたいした問題と思わずに生活をしている。
さて、ここで丹波の国人一揆の話に戻ろう。守護代の非道を訴えるのだから、幕府の裁判を求めるのは適当だ。国人たちが持つ権利でもある。しかし所定の手続きを踏んでいないわけだから、ボクはこの直訴を突っぱねることも可能だ
懸念事項として、判決がどうなるのか全く予想できないという事実がある。上原親子が負けたら面目が丸つぶれとなってしまうし、彼らを守護代に任命した細川政元も同様になってしまう。
こうなると、ボクの政権構想にも影響が出る。細川家を箱推しするのが基本戦略なわけだし。
「どうしたものかな……?」
「公方様(足利義材)、ここは一揆衆の求めを受け入れるべきかと存じまする」
側近としてはそう言うよね。守護大名の権威が失墜するかもしれないんだから。
「この話を受けると、なんと須知城だけではなく位田城の一揆衆も降伏するとのことにございます」
「位田城もだと?」
「これにて丹波の国人一揆が全て落着致します。是非とも沙汰を認めましょうぞ」
「……少し考えさせよ」
魅力的な話だ。これ以上の被害を出さずに一揆を終結させられるのだから。お得なんてレベルじゃない。
ただし疑問が残る。どうやってこの短時間で位田城の一揆衆と意思疎通をはかったかだ。須知城と位田城の距離は、三十キロメートルくらいある。移動手段も通信手段も未発達なこの時代では、昼から夕方までの数時間で相談するのは不可能に近い。
狼煙という手段も一瞬だけ頭に浮かんだが、「須知城は降伏する」「どういうことだ?」「敵が強すぎる」「それなら仕方ない」「降伏条件で幕府の裁判を要求する」「じゃあ、認められたら位田城も一緒に降伏する」なんて複雑なやり取りができるはずがない。
何か裏があるはずだ、この話には。
少し悩んだが、ボクは受け入れることにした。不可解な点はあるものの、条件をのんだ方が得なのは間違いない。
「沙汰を受け付けよう。権中納言(葉室光忠)よ、そなたに奉行衆の取りまとめを命ずる」
「御意にございます。丹波まで奉行衆を連れてきて良かったですな」
「どれほどの数の訴状が届くか分からぬから、都に残している奉行衆もこちらへ呼ぶぞ」
「となると、また銭が入り用になりますな」
「――伊勢守(伊勢貞陸)と話し合わねばならぬか」
何をやるにも銭勘定の問題が立ちはだかってくる。貧乏って本当に辛い。
「いっそのこと、湯起請で済ませれば銭も時もたいして使いませんぞ」
光忠がとんでもない提案をしてきた。お前、本音は早く都に帰りたいんだな?
「あのな権中納言よ、そう易々と湯起請は行わぬぞ。きちんと理非を糾すべきである」
湯起請というのは、室町時代に流行した裁判形態である。当事者が熱湯に手を入れて、中にある石を拾うという手法だ。火傷をしなければ勝訴となる。神仏に審議をお願いするという形式なので、正しい者は火傷を負わず、偽りのある者は火傷を負うというわけだ。民事裁判で原告と被告がいる場合は、両者の火傷を比較して小さい方が勝者になる。
未来人の目線からすると日本版魔女裁判と呼ぶべき非科学的な裁判なのだが、室町時代では幕府の裁判から村の裁判まで貴賤都鄙を問わず行われている。ちなみに、室町幕府で湯起請を始めたのは「悪御所」こと六代将軍義教おじいちゃん。
裁判を受け付けて良いのかどうか、一応政元の意見を聞いてみることにする。細川が転ぶと将軍も一緒に転んでしまうという現状を鑑みると、細川がマイナスになることを勝手にすることはできない。ボクの個人的な感情も入っていることは素直に認めます、はい。
「これは公方様、わざわざお越しにならずとも、呼びつけて頂ければワシの方からお伺い致しましたのに」
政元の陣を訪れたら、鎧姿の彼女が恭しく頭を下げてきた。
「気を遣わずとも良い。それよりもだ、国人衆が降るという話を耳にしておるか?」
「はい、先ほどそのような話が舞い込んで参りました」
「ならば話が早い。余は国人どもの沙汰を受け付けるつもりであるが、右京大夫はどう思う?」
「ちょうどワシも公方様と同様に考えておりました。是非ともお願い致しまする」
「――良いのか?」
政元があっけなく承諾してきたので、ボクの方が心配になってくる。
「血をこれ以上流さずに済むのなら、ここで矛を収めたいところにございます」
「確かに本日の戦いでずいぶんと被害があったからな……」
月見曲輪での戦いで讃州家から数十名の死傷者が出ている。後詰めだった奉公衆からは数名ほど怪我人がでた。
東側の戦闘も激しかったらしく、味方の損害がかなりあったとのことだ。
「相分かった。右京大夫が構わぬのなら、沙汰の支度を始めるぞ」
「よろしくお願い致します。ところで、公方様は都に戻られるので?」
「いや、しばらく丹波に残る」
ぶっちゃけた話、ボクがここに残っていても何の役にも立たないのだから京都に帰っても全く問題ない。けれども、元来の目的である家臣たちとの仲を深めるというミッションが、まだ未達成なのだ。もう少しだけ都から離れて好きに動きたい。
「御意にございます。ならば公方様のお住まいを手配致します」
「うむ、もう少し世話になる」
裁判の結果がどうなるのか不明だが、取りあえず国人一揆と当面の休戦が決まったのであった。




