第27話 篠村八幡宮
元弘三年(一三三三年)。現時点から百五十年以上前のお話である。
この頃、後醍醐天皇を中心とする鎌倉幕府討幕運動が各地で起こっていた。
そんな中、足利高氏は幕府に命じられて、後醍醐天皇勢力を鎮圧するために畿内へ出陣した。しかし高氏は後醍醐側に寝返ってしまう。彼は丹波国の篠村八幡宮(京都府亀岡市)にて願掛けを行い、そして倒幕の旗揚げをした。
その後、祈願の甲斐もあってか高氏は見事に京都の六波羅探題を攻め落とす。
六波羅探題が陥落してから間もなく、関東と九州でも鎌倉と鎮西探題がそれぞれ攻略され、鎌倉幕府は滅亡と相成った。
この功績が認められ、高氏は後醍醐天皇から偏諱を賜り尊氏と改名することになる。
しかし、後醍醐天皇と尊氏の仲は間もなく決裂。交戦状態になってしまう。
建武三年(一三三六年)、京都を巡る戦いで尊氏は後醍醐勢力に敗北を喫し、丹波へ逃げ込む羽目になった。
ここで、彼は三年前と同じく篠村八幡宮で祈願を行う。何卒再起できますようにと。
この祈りも天に通じたようで、尊氏は九州へ一旦落ち延びたが、彼の地の武士たちの支持を集めて態勢を立て直した。そしてすぐさま東上し、後醍醐勢力を撃破。室町幕府を開くことに成功する。
願いを二回も叶えてくれたということで、尊氏は篠村八幡宮に自らお礼参りを行い、また手厚く保護すると決める。尊氏以降も、室町幕府の歴代将軍は篠村八幡宮に対して多くの寄進を実施してきた。
このように篠村八幡宮は足利将軍家において特別な神社なのである。
「……荒れ果てておるな」
篠村八幡宮に到着して、ボクは思わず呟いてしまった。将軍家の庇護を受けているなんて信じられないくらいにボロボロである。
先の応仁の乱にて丹波国も戦場となった。篠村八幡宮は山陰道に面しているので、特に被害を受けやすかったのだろう。社殿が焼け落ちたりしていないのは不幸中の幸いである。
大乱後も丹波国内の政情が不安定で神社の再建は進んでいないそうだ。挙げ句の果てには、一揆勢が社領を横領するという事態になっていて、足利将軍家ゆかりの神社とは思えないみすぼらしい姿になってしまっているという。
「大変お恥ずかしいことながら、我々の力ではどうにもならず……」
篠村八幡宮の宮司さんが恥ずかしそうな表情でうつむく。
ボクとしては、宮司さんを咎めるつもりなんてない。今まで放置していた将軍家が悪いのだから。
「戦乱の中、社を守り通してくれたことに礼を申す。社を直すのに助力致すのでもう暫し辛抱をして欲しい」
「おお、もったいなき御慈悲にございます……」
ボクの申し出に宮司さんがはらはらと涙を流す。
一方、近くで話を聞いていた伊勢貞陸くんが少し険しい目でボクをにらんできた。そんな予算がどこにあるのかとでも言いたいのだろう。
ボクとしてもお金のアテなんて全くない。まあ、後で考えよう。たぶん何とかなる。
さて、丹波国に入ったものの、我が奉公衆は一戦もしていない。当たり前の話だが、ボクが総大将なのだから基本的に後方に置かれている。
実際に戦っているのは、細川家の面々だ。既に一揆衆と数回干戈を交えている。
篠村八幡宮付近の一揆衆は軽く応戦してきただけで、あっさりと撤退してしまったとのことだ。一揆衆としては、丹波国の北部で戦いたいから兵の損耗を避けたかったのだろう。一年前の一揆で、北部にある位田城(京都府綾部市)は細川の大軍相手に耐え抜いたのだ。今回も位田城を頼りにしているはずである。
というわけで、今のところ将軍であるボクは単なるお客さん同然である。
いささか拍子抜けではあるが、ボクにはすべきことがある。そもそも出陣した最初の理由は、臣下たちとの仲を深めるためである。
共通の敵を作って一緒に戦うというだけでも団結力は高まるだろう。ついでとして、可能な限り家臣たちに話しかけて、より親しくなっておきたい。
結局のところ、人間同士が仲良くなるには会話するしかないわけですよ。前世の営業職で培ったコミュニケーション能力を存分に発揮してやります。
身分の上下があるのだから完全に打ち解けるのは不可能だろう。けれども「この人は下の人間のことも考えてくれているな」って向こうに思ってもらえれば万々歳である。
てなわけで、暇を見つけては従軍してくれている面々に声をかけている。何でも良いから思うところを述べろって振ったら、出るわ出るわ。みんな色々と考えているようだ。
一番多かった意見は、国人一揆相手に将軍が出陣することの正当性を疑問視していることだった。既に篠村八幡宮の所領を取り戻したのだから帰京しても構わないだろうとのことだ。
ぐうの音も出ない正論ですな。実際にその通りです。「細川政元から要請されている」って風聞がなかったら、ここで撤収の流れになっていただろう。
政元はこうなることを見越して、変な噂を流したのだろうか? いや、彼女からしたらボクは邪魔者なのだから、むしろ早く帰って欲しいはずだ。やはり政元の考えが読めない。
次に家臣から多かった意見は、丹波よりも近江に出陣して欲しいとのことだ。
この気持ちも分かる。近江には奉公衆の所領が数多く存在している。その所領を六角行高が横領しているのだ。丹波の件が片付いたら、次は近江に出陣する必要がありそうだ。
他に気になった意見は足軽についてである。応仁の乱で足軽が大活躍をしたのは有名な話だ。今では大名たちが足軽を自軍の中に取り入れるようになっている。もう少し時代が下ると足軽たちが軍の主力部隊となるわけだが、今はそこへ至るまでの過渡期だ。
ここで奉公衆の軍制改革を実施したら将軍家の軍事力が高くなると、ボクの未来知識が教えてくれている。足軽部隊を大規模編成をして、長柄槍での槍衾戦法を教え込めば、相当に強力な戦力になるはずだ。
お金がないから、そんなことできないんですけどね! 大規模編成どころか、ボクが率いている軍勢の中に足軽部隊なんて一つもありませんとも。資金不足のせいで軍制が時代遅れになってしまっております。
お仲間である細川家は足軽を積極採用している。数だけではなく質も将軍家よりも上だ。
うちの家臣たちの意見で足軽云々というのは、細川家の足軽のことを言っている。早い話、足軽たちの存在が気に食わないようなのだ。
幕臣なんぞになれる人は、それなりの身分がある人ばかりだ。対して足軽は、あまり褒められた素性ではない者が多い。言い方は悪いが、ゴロツキ集団同然である。
にもかかわらず、いざ合戦が行われると足軽が大きな戦果を上げて多くの報償を得る。これでは「真っ当な」武士の皆さんが面白くない。当然軋轢が生じる。
この辺りのケアも征夷大将軍様のお仕事です。室町人の怒りの沸点はやたらと低いから、いつ刃傷沙汰を引き起こすか気が気じゃありません。足軽相手に限らず、喧嘩をしたら厳罰に処すって何回も釘を刺しているけど、はたして守ってくれるのでしょうか?
将軍家が足軽軍団を採用したら、ボクはストレス過多で倒れてしまいそうです。当面は見送りましょう。そうしましょう。




