第21話 強訴勃発
細川政元に近江出陣のことをどう伝えようか決めかねているうちに、一つ事件が起こった。
「公方様、悪僧たちが神輿を奉じて都に近づいているとのこと」
葉室光忠がボクに報告をしてくる。
そう、禁止したはずの強訴が発生したのだ。連中の言い分は「強訴禁止に反対する為の強訴」とのことである。煽りとしてはなかなか上等だ。
ボクとしては寺社勢力と事を構えるのは避けたいと思っているんだけどね。この時代での宗教勢力は経済や教育の面で大きな影響力を有しているし。ただ、寺の既得権益が征夷大将軍の利害と衝突しているのだからやむを得ない。
取りあえず、ボクがやるべきことは目前の強訴の鎮圧だ。
「洛中に坊主共を決して入れるでないぞ。侍所に伝えよ」
「侍所が動く前に、讃岐守殿(細川之勝)の手勢が既に食い止めていると伝え聞いております」
本当に頼りになるね、之勝くんは。細川讃州家をもっと贔屓してあげたくなっちゃうよ。
「神輿を担いでいるということは、毎度おなじみの叡山(比叡山延暦寺)か?」
「山崎(京都府大山崎市)の徳材寺という小さい寺のようです。」
「聞いたこともないな。裏にどこの寺院が付いておる?」
「叡山の末寺とのこと」
「結局は叡山か。――ったく、余に文句を言いたいのなら、末寺など使わずに日枝の神輿を自ら担いでくれば良いのに」
延暦寺としては、下っ端を使っての様子見って感じなのかな?
ボクの祖父である六代将軍義教と対立した時に、延暦寺は文字通りの意味で炎上したからね。正面切って反抗する前に、新将軍の態度を注視しているのかも。
延暦寺を燃やしたのは織田信長が有名だけど、それ以外にも時の権力者に攻められている。このまま史実通りに進めば、細川政元も延暦寺を焼き討ちするはずだ。
戦を嫌がるお嬢さんに攻撃されるなんて、延暦寺は一体何をやったんだろうかね。ボクの知識ではそこまでは分からない。
今回の延暦寺の態度はそこまで強気ではないものの、タイミングとしては絶妙だ。ボクの親父様が他界して政権の基盤が揺らいでいる時に強訴を起こしてくれた。対処を誤るとボクが将軍の座から転げ落ちかねない。
「それにしても、徳材寺ねえ……」
わざわざ「材」の字が入ったお寺を使ってくるなんて、ボクに対する当てつけなのかな? 言いがかりを付けるきっかけを向こうから用意してくるとは思わなかったよ。
「わざわざ喧嘩を売ってきてくれたのだから、余としても買ってあげるのが礼儀というものだ」
「――公方様、本当になさるのですか?」
「前々から決めていたことぞ、権中納言(葉室光忠)よ」
「はあ……」
光忠は乗り気ではないようだ。祟りとかが本気で信じられている時代だし、仕方ないよね。
「強訴なんぞ起こして、うちの妹を怯えさせたってことは万死に値するってことで」
「確かに聖寿様に限らず、洛中の民の多くが怯えておりますが……」
何やらブツブツと言っている光忠を残して、ボクは奉公衆を率いて南へ向かうことにした。
京の町中を進んでいると、大勢の見物客がボク達を見送ってくれた。どちらかといえば、好意的な目で見てくれているように感じる。
やはり富子伯母さんが言っていたように、自ら馬にまたがって出陣する将軍というのは、民衆から人気が出やすいのだろうか。事あるごとに発生する強訴にうんざりしていたのもあるのかもしれないけど。
相手が僧兵たちではあるが、これがボクの初陣である。皆に歓迎される形で出陣できたのは嬉しく思う。
前世でも今世でも戦いの場に赴くのは初めてなのだが、不思議と心中は平静である。ボクは応仁の乱の真っ只中で幼少期を過ごしたから、その時に恐怖心が麻痺してしまっているのだろうか。物心ついた頃は洛中での激しい戦いは減っていたけど、やはり死と隣り合わせの生活であったわけだし。
都の外に出ると、一気に田園風景となった。遠くに人だかりらしきものが見えてくる。
「悪僧連中はあそこかな?」
近づいてみると、僧兵の集団と武士の集団が言い争いをしている。僧兵たちが件の強訴勢で、武士が細川讃州家の手勢なのだろう。
「これはこれは、わざわざお越しにならなくとも」
ボクの姿に気付いた細川之勝くんが寄ってくる。
「珍しい祭りが行われていると聞いたからな。是非とも見物したくなったのだ。いやはや、立派な神輿ではないか」
僧兵たちにも聞こえるように大声で嫌味を言っておく。
すると、僧兵たちが怒声を浴びせてきた。
「祭りなどではないわ!」
「ええい、無礼な輩め! 神仏の怒りを受けよ!」
そんな中、先頭にいた大柄な僧兵が馬上のボクに恭しく頭を下げてくる。
「そこの武人殿、讃州殿の上役とお見受け致す。拙僧たちは悪御所に仏意を伝えに上洛しようとしておりまする。どうかお通し下さいませ」
……う、うん。他の僧兵連中と違って丁寧な物腰なのは良いのだけど、「悪御所」呼ばわりはちょっと酷くない?
それって義教おじいちゃんの蔑称だよね。おじいちゃんと違って恐怖政治を敷いていないはずなんだけどなあ。ボクもおじいちゃん同様に寺社へ圧力をかけているから、あちらには同一視されているのかな。
「ええい、無礼者どもが!」
「この御方をどなたと心得ておる! うぬらが声をかけて良いような御仁ではないわ!」
奉公衆の面々が時代劇の台詞みたいなことを怒鳴りながら、いきり立つ。
身分のことを考えると僧兵風情が征夷大将軍に直接声をかけるってのは、この時代としては無礼千万な行為である。てか、讃岐守相手でも無礼だ。この僧兵、言葉は丁寧だけど結構いい根性してそうである。
まあ、未来知識を持ってしまったボクとしてはどうで良いんだけど。
「捨て置け。余に言いたいことがあるなら、何なりと申すが良い」
周囲を制してから、僧兵たちに話しかけた。
「名を告げるのが遅れてしまったが、余が『悪御所』こと源右近衛中将である」
ボクが名乗り上げると、僧兵たちに明らかな動揺が走った。まさか、将軍自らが出向いてくるとは思っていなかったようである。
「然らば、お伝え致す!」
気を取り直した先ほどの大柄な僧兵が口上を述べ始めた。仏様の偉大さが云々かんぬん。寺の由来が云々かんぬん。ついでに神輿の由来が云々かんぬん。
要約すると「俺たちには仏様が付いているのだから、将軍は黙って言うことを聞け」ってことである。
「相分かった」
口上が終わると同時に、ボクは沈痛な表情を作って頷いてみた。
「余は御仏への礼を失していたようだ。甘んじて罰を受けようぞ」
言い終わると同時に、素早く矢をつがえて神輿に向ける。
「な、何をするつもりか!」
「神輿に矢を向けるなど失礼千万ぞ!」
ボクの行動を見て、僧兵達が慌てる。
「聞けば、霊験あらたかな神輿というではないか。余が放つ矢は、必ずやこの身に返るであろう。これにて、余への仏罰と相成る」
僧兵を無視して、ボクは高々に宣言した。
「南無薬師瑠璃光如来、愚かな我が身に罰を与え給え!」
そして、神輿に向けて矢を放つ。
外すような距離ではない。神輿のど真ん中に矢が突き刺さった。
「これは異な事ぞ。矢が余の元へ返って来ないではないか」
さも意外だという声を出しつつ、ボクは僧兵たちに顔を向けた。
「さては偽の神輿を担いでおったな! 罰当たりなのは、この者どもである! 奉公衆よ、悪僧を全て生け捕りにするのだ! 讃岐守も加勢せよ!」
兵たちにも宗教的な恐怖心があるだろうから、わざわざ芝居をしてそれを取り除いてあげようと思ったのだ。
個人的に小っ恥ずかしかったものの、演技をした甲斐もあってか僧兵たちを全て捕まえることに成功した。
「公方様、そういうことをなさるのなら事前に仰って下され。肝を冷やしましたぞ」
之勝くんが小声で文句を言ってきた。
「此度の強訴が急だったからな。そなたに告げる間がなかった。許されよ」
「あと、芝居が少々怪しかったですな。もう少し声音を柔らかにするべきかと」
ダメ出しが来ちゃったよ。芝居に関しては完全に素人なんだから見逃して。
ともあれ、今回の強訴はこれにて一件落着である。将軍自ら強訴を武力で潰したのだから、今後は他の寺社も強訴をやりにくくなったはずだ。
事後処理を済ませてから洛内に戻ると、都の民たちから盛大な歓声を浴びせられた。どうやら、将軍が強訴を撃退したという話が早くも伝わっているようだ。
ここまで歓迎されるとなると、非常に気分が良い。意気揚々と市中を凱旋する。
通玄寺まで戻ると、寺の者や幕府の役人が山門の前で出迎えてくれた。
ボクの姿を見て、聖寿が前に出てくる。
さあ妹よ、この兄のことを賞賛したまえ。ふはははは。
「……兄上、何たる涜神なことをなさってしまったのですか」
聖寿はそう言って目頭を押さえてしまった。
「え? どういうことぞ?」
ボクとしては、妹の反応に戸惑うばかりだ。
「神輿に弓を引くなど、御仏をも恐れぬ振る舞い。私は悲しゅうございます」
「ま、待て。それは勘違いで……!」
「違ってなどおりませぬ!」
そう言い残して、聖寿は寺の中へ駆けていってしまった。
「いや、だから、違うって……」
ショックだ。妹があんなに泣くのを初めて見た。そして、原因を作ったのは他ならぬボク自身である。
たとえ偽物の神輿だとしても、それを傷つけることなどお寺育ちの娘として許せないのかもしれない。
呆然としているボクに葉室光忠が近付いてきて耳打ちをした。
「聖寿様を怯えさせたら万死に値するとのことでしたが、泣かせてしまったらどれほどの罪になるのでしょうか?」
嫌味かよ! うるさいよ!
戦勝気分が一気に吹っ飛んでしまった。ああ、ボクも本気で泣きたくなってきた!
徳材寺は架空のお寺です。




