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彼女と過ごす日常怪奇譚  作者: くずカゴ
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廃アパートに囚われた少女 前編

 夜も深まった廃アパートの中を二人の少女が肩を寄せ合い歩いていた。懐中電灯を照らしながら、埃が舞うカビ臭い場所を進む。


「ね、凄い雰囲気あるね。もしかして、ほんとに出ちゃうかも? 」


「ちょっと、止めてよ。んな事言ったら、ほんとに出てきちゃうでしょ! 」


 壁がボロボロに崩れ落ち、中の鉄骨が見える所もある。殆どの部屋のドアは外され、床や天井の罅割れが酷い。色んな意味で危険な場所である。


「これさ…… 普通に危険だよね? 今、床が崩れたら痛いじゃ済まないよね? 」


「今更何言ってんのよ、あんたが来たいって言ったんでしょ? 早く写真撮って帰るわよ。三○四号室で良いんだよね? もうすぐ着くから、準備しなさいよ」


「う、うん、分かった」


 二人の少女は、目的地である三○四号室へと辿り着く。他の部屋と違い、しっかりと金属製のドアがついている。少女の一人がドアの前で深呼吸をして、意を決してドアノブを掴み、ゆっくりと回してドアを手前に引くと、錆びた金属が擦れる音が重く響かせながら開いていく。ドアを開いたその先は、まるで異界への入り口かと錯覚してしまう程に、異質な空気を醸し出していた。


 少女達は恐る恐る部屋に入り、デジカメで中の様子を撮っていく。三枚目を撮り終わり、四回目のシャッターを押そうとした時、男の呻き声のような音が聞こえてくる。


「ひっ!? ねぇ、今の、聞こえた? 」


 隣にいる少女に問い掛けても答えは返ってこない。ただ強ばった顔で部屋の隅を見詰めているだけ。


「ねぇ、無視しないでよ。聞こえたよね? ね? 」


「…… 逃げるわよ。合図したら走って、絶対に振り向いては駄目」


 何かに怯えるような声で話しかけてくるその様子に、決して冗談ではないと察してしまう。今もまだ部屋の隅を見詰めているその横顔は恐怖に染まっていた。二人の息が段々と荒くなっていく。重苦しい空気に息苦しさを感じる。息が荒くなるのと比例して、呻き声も徐々に大きくなっていく気がしていた。


 いや、これは大きくなっているのではなく、こっちに近付いてきている。


 震える両手でデジカメを握っていた少女がそれに気づくと同時に、「走って! 早く!! 」 その叫びに押されるように、反射的に脚が動き出す。崩れかけのアパートなんて関係なく、全力で走る。でないと今も追い掛けてくる何かに捕まってしまう。怖くて振り向ける勇気はないけど、確実に気配がする。直ぐ後で荒い息遣いが聞こえる。


 涙目を通り越して、涙をボロボロと流しながら必死に走る。廃アパートから出ると追いかけてきている気配は完全に無くなり、ホッと一息ついて辺りを確認すると、もう一人の少女の姿が消えていた。もう一度あの部屋に戻る勇気はない。逃げた少女は警察に連絡して、消えた少女の捜索をしてもらう。捜索の結果、消えた少女の死体が見つかった。あの廃アパートの三○四号室で、首を吊っていたのだ。


 逃げた少女のデジカメには部屋の隅で笑っている中年の男性が写っていた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 朝、窓から差す日の光で日明の目蓋の裏が赤く染まる。それに気付いたのは頬のくすぐったい感触で目を覚ましたからだ。もう少しだけ朝の微睡みに身を任せたいという欲望に駆られてしまうが、頬に感じていた感触が顔全体と首の方までに伸びてきた事で、観念して目を開ける決意をした。


「おはよう、アリア」


 開けた眼だけを彼女に向けて挨拶をするが、アリアは小さく口角を上げるだけだった。それでも日明は満足気に頬笑みを浮かべる。


 日明が着替えをしている間に、長い髪を操り丸テーブルに朝食を用意していくアリア。ご飯に味噌汁、鮭の塩焼きと卵焼き。まさか一人暮らしを始めて、こういうきちんとした朝食を食べられるとは思いもしなかった日明であった。


 ワンルームの狭いキッチンで頑張って朝食を作ってくれたアリアに感謝して食事をする。味噌汁はちゃんと出汁が効いているし、卵焼きは日明が好きな甘めの味となっている。自分の好みを覚えていてくれていた事に、日明は嬉しさで胸が一杯になった。


「ありがとう、アリア。今日も凄く美味しいよ」


 アリアの頭を胸に抱き、感謝の想いを込めて優しい手つきで撫でる。口角をめいっぱい広げて笑顔を浮かべたアリアは、キビキビとした動きで食器を洗っていく。


 一通り用意を済ました日明は、大学へと向かう為部屋を出た。当然アリアも一緒だ。日明の右肩の近くで浮きながらついてくる様子はもうお馴染みの光景。もし、日明以外の人にもアリアが見えていたのなら、パニックを引き起こしてしまうだろう。


(まぁ、見えていたとしても別に隠すつもりもないけどね)


 日明にとって、アリアと共にいられるのなら見ず知らずの人がどう思おうが知った事ではない。まるで呪われているかのようにアリアに執着している様子が窺える。


 駅に着き、電車に揺られること二駅分。そこから歩いて数十分の所に大学がある。


 日明が大学に通うのは就職に有利だからという理由で、それ以外は何もない。それでも今の社会では必ずしも就職出来るとは限らない。別段やりたい仕事もないし興味もないのだ。このまま適当に卒業して、何処かの会社にでも就職出来させすれば良しと思っていた。


 だがアリアと出会い、この不思議が体現した存在に日明は興味を持った。


(一体アリアは何なんだ? 幽霊とか妖怪と呼ばれる存在なのか、それとも俺にしか見えないただの幻覚か。いや、アリアが掴んだ物が他の人達には浮かんで見えている事から幻覚ではない筈だ)


 講義中だというのに、アリアのことで頭が一杯の様子。無理もない、今まで生きてきてこういった不思議な経験はなかったのだから。日明本人は自分の事を零感、つまり霊感がゼロだと思っていた。今もその考えは完全には消えてはいない。何故ならアリア以外のそういった存在に出会っていないからだ。


 ならどうすれば良いのか? 答えは簡単、心霊スポットと呼ばれる所にいって確かめればいい。幸いにも、近くに有名な心霊スポットがある。そこは帰り道とは反対方向だけど、大学の最寄り駅からたったの四駅しか離れてはいない。これなら日が沈んでから行っても終電までには帰れると思い、バイトの休みの日に心霊スポットとして有名な廃アパートへと行く事にした。



 行くなら日が沈んでからと、大学内を無意味に回ってみたり、敷地内をぶらぶらと歩いたりと、日明は大学の構内で適当に時間を潰していた。日が沈み掛けた時、アリアはそわそわとしだした。何時もならこの時間には、住んでいる部屋の近くにあるデパートの食品売り場で、タイムセールが始まるのである。その品物で夕食の献立を決めていたアリアは、どうしようかと少し焦っていたのだ。

 だけど日明にはその思いは通じない。なんだかキョロキョロして気になる物でもあったのかな? 程度にしか思わなかった。日明がアリアの思いに気づけるようになるには、まだまだ時間が掛かりそうだ。


 日が完全に沈んだ午後八時頃、夕食を外で済ました日明は電車に乗り、噂の心霊スポットである廃アパートへ向かった。その廃アパートには少女の幽霊が出るという。何人もの人が廃アパートの中で、時には外から、少女の霊が必死な表情で何かを訴え掛けているのを目撃している。まるでこっちに来るなと言っているようだった。それを無視して入った者には、大声で帰れと叫びながら走って追いかけ回すという噂がある。


 廃アパートは三階建てで、外ではなく中に階段があるタイプのものだった。


「ねぇ、貴方、学生さん? ここは危険よ。遊びで来るような所ではないわ」


 突然後ろから声を掛けられ、日明が振り向くと、そこにはスーツ姿の女性が冷やかな目で見詰めていた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



 斉藤(さいとう) 静香(しずか)は夜が来るのを恐れている。必ずと言っていいほど悪夢に苛まれてしまうからだ。それは過去の過ち、後悔、恐怖。あれから十年は経つというのに、未だに夢に見る。


 静香は十年前、友人の香苗(かなえ)に無理を言って、共に話題の心霊スポットへと赴いた。当時はちょっとした心霊ブームが起きていて、雑誌は季節関係なく心霊特集が頻繁に組まれるくらい。多くの雑誌が懸賞をかけて心霊写真を募集していた。

 そのせいで怖いもの知らずの若者達がこぞって心霊スポットに行き、写真を撮りまくる。各会社の雑誌編集部の元に、数多くの心霊写真が送られてくるが、その殆どが勘違いだったり合成写真だった。しかし編集者達には本物かどうかは関係ない。読者が驚いてくれればそれで良い。そんな偽物を送る者達に混じって、本物の心霊写真を撮ろうと躍起になる者達もいる。静香もその一人だった。


 本物の心霊写真が撮れれば、懸賞金は確実に手に入る。そのお金で新しい服を買おう。そんな軽い気持ちで廃アパートに行こうとしていたが、やはり一人では怖いので昔から面倒見の良い香苗についてきて貰うよう頼んだ。だけど、まさかあんな事になるとは露程にも思わなかった。


 自分だけが逃げてしまった罪悪感、こんな所に誘ってしまった後悔、きっと恨んでいるだろうという恐怖が悪夢となって静香を襲う。今でもハッキリと思い出す。葬式で泣き崩れる香苗の両親の姿を……


 デジカメには、気味の悪い笑みを浮かべた男性が写っていたけど、とても雑誌に投稿する気にもなれなかった。その気持ち悪い男性の顔を撮ってしまったデジカメを静香は処分した。まるで全てを忘れるように、過去に蓋をしたのだ。


 だが就職して社会に出ても、一時も忘れることが出来ない。まるで見えない鎖に縛られて一歩も進められずいるみたいだと、そんな閉塞感をずっと抱き続けている。


 この日も最悪の目覚めをして、会社へ出勤する。何時もと変わらない、変わってほしい日常が過ぎていく、静香はそう思っていた。しかし、そうはならなかった。今年に入社してきた同じ町出身の後輩から聞いた話に、静香は驚愕する事になる。


 それは有名な心霊スポットである廃アパートの話、それだけなら別に驚く事はない。でも後輩の話は昔と少し違っていて、十年前、あの廃アパートに出ると言われていたのは三○四号室の男性の幽霊だったが、今は少女の幽霊が訪れる人達を追い払うという話になっていた。


 静香は眩暈を覚える。根拠はないが香苗だと思った。今もあの廃アパートにいるのだと、ずっと囚われながらも、静香の時と同じ様に、走れと、逃げろと、来るなと、警告をし続けているのだ。そう考えた静香は目の前が真っ暗になる。結局この日は気分が優れなくて会社を早退したその足で、ずっと避け続けてきた廃アパートへ十年ぶりに訪れていた。


(ここは、全然変わらないのね…… あの時のままだわ)


 町並みはこの十年で変わってしまっていたが、廃アパートへと続く道も回りに無造作に生えている草木も当時のまま、不気味な雰囲気を漂わせていた。暫く歩いて行くと、目的の廃アパートが見えてくる。あの時の恐怖がフラッシュバックして、一気に静香へと襲い掛かる。


(駄目よ、今も香苗が彼処にいるのは私のせい。だから、私が香苗をこのアパートから開放しなくちゃならない)


 誰にも相談出来ず、後輩の話を聞いて衝動的に行動した静香には、これと言って策などはない。兎に角じっとしていられず、正に出たとこ勝負だった。

 ふと、静香は廃アパートの前で懐中電灯を片手に一人立っている人影を見付ける。


(こんな時間にここにいるということは、肝試しかしら? )


 ここは心霊スポットだ。昔の自分もそうだったように、あの人も遊び半分で此処に来たのだろうと決め付けて、注意しようとその人影に近づき声を掛ける。


「ねぇ、貴方、学生さん? ここは危険よ。遊びで来るような所ではないわ」



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