98 予期せぬ危機
「―というわけじゃ」
イナリが一通り説明を終えると、一同は頭を悩ませる。
「……つまり私はあの時、教会の一員故に危険だと判断して除外されていたわけですか」
「まあ、そういうことになるのう」
「くっ……イナリさんともっと早く親密になっていれば、イナリさんがこんな葛藤をせずに済んだのに……!」
「そうじゃろか」
エリスの言っていることはよくわからないが、元々敵対する余地があったかという議論は一旦置いておくとして、ひとまずイナリと彼女が敵対する事態は避けられたようである。
「それにしても、お主らが我を襲ってくる可能性も懸念しておったのじゃが、杞憂で済んだようで良かったのじゃ」
「うーん、まあ僕は実感がわかないというか……」
「俺もあまり話に追いつけてないな」
「ひとまず、我は魔王として扱われておるが魔王ではなく神であるということを理解してくれれば良いのじゃ」
リズやウィルディアがすんなり事態を飲み込めたのは、割とすごいことであったようだ。
「リズはちょっと残念。万が一のために、昔一回だけ使って暴走した防御魔法、もう一回試そうと思って準備してたんだけどなあ」
「なんか物騒なのがいるが……まあこいつは昔からこんな感じだったか」
何故か残念がっているリズをよそに、エリックが口を開く。
「イナリちゃんの体に神の力が流れてるから神だっていう理屈も、魔王扱いされているっていう主張もわかったけど、僕達にはそれがわからない以上、いまいち確証を得られないんだけど……」
「確かに、今のところは、普段の言動に輪をかけて意味不明な事を供述している少女でしかないですね。結局その神の力が流れているっていうのも、リズさんの先生しかわかってないようですし」
「な、なんと酷い言い草じゃ……。ならば我の力、見せてやるのじゃ。そこの畑をとくと見ておれ」
イナリは皆に畑の作物を指さし、皆がそちらを向いたところで成長促進度を最大にする。
すると作物はみるみると成長していき、葉を青々と伸ばし、実を生した。
作物が収穫できる段階まで成長したところで、イナリは成長促進度をもとに戻す。
「……どうじゃ?我の神としての力に、恐れおののき、敬うが良いのじゃ」
イナリは手を腰に当てて胸を張る。
チラリと男二人組を見ると、二人ともぽかんとした表情になっていた。
きっとイナリが神であることが証明されて驚いているのだろう。イナリは自尊心が満たされる。
後はエリスの反応も気になるところだ。果たして、イナリが神であるという事実が確かなものになった時、どのような反応をするだろうか。
「さて、エリスはどう……む?あやつはどこへ行ったのじゃ」
イナリは先ほどまでエリスが座っていた場所に目をやるが、そこにはエリスが座っていた岩があるだけだ。イナリは首を傾げる。
「イナリさん」
「んひゃ!?……な、何じゃ」
突然後ろからエリスの声がかかり、イナリの口から思わず変な声が漏れるが、体裁を繕ってエリスに向き直り、返事を返す。
するとエリスはイナリの両肩に手を乗せてしゃがみ込み、イナリと目線を合わせて、笑顔で問いかけてくる。
「今、尻尾、増えてましたよね?」
「ぬ?……あっ」
―マズい。非常にマズい。
イナリが成長促進度を上げると、一段階ごとにイナリの尻尾が一本増え、今は自身の能力を分かりやすくするためにも、一瞬ながら最大まで引き上げた。つまり、先ほどのイナリには尻尾が九本あったのだ。
イナリは自身に関する重要な話題を伝えることに意識が割かれていたが、エリスに自身の尻尾が増えることを伏せるというのは、イナリと樹侵食の厄災が同一の存在であるという事実に並んで、非常に重要な秘匿事項であった。
イナリは自身の体から汗が浮かび上がるのを感じながら、脳内をフル稼働させ、どう返答するかを考える。
「えーっと、気のせ―」
「増えてましたよね?」
「えっ、あっ、いや、その……」
ダメ元で気のせいで押し通せないか、あるいは少しでも時間を稼げればという僅かな期待を持って言ってみたものの、食い気味で押し切られてしまった。
今のエリスには、「はい」以外の返答は許されないと思わせるような迫力がある。
それに、イナリの肩にやさしく手を乗せているようでそこには微妙に力が入っているし、瞳は常にイナリの方へと向けられている。その様はさながら捕食者であった。
「ちょ、ちょっとエリス姉さん、イナリちゃんが怖がってるから!一回離れて!」
そんなイナリの危機を察知したリズが慌てて間に割って入る。
「あっ、すみません、少し力が入ってしまいましたね」
「う、うむ、構わぬよ」
「で、どうなのですか?増えてましたよね?」
「い、いや、そのようなことは無いぞ?のう、リズよ?」
イナリはリズがうまいこと誤魔化してくれることに期待して話を振る。
「うん、全然増えてないよ。いやー、ほんと。エリス姉さん、疲れてるんじゃない?」
リズは若干棒読みがかってこそいるものの、ひとまずエリスの主張を否定しにかかった。
「いや、そんなはずは……。エリックさん、ディルさん、お二人も見ましたよね?」
「いや、僕は畑の方を見てたからわからないな……」
「俺も同じくだな。てかお前、神の力そっちのけでイナリの事眺めてたのか……?」
「いえ、一瞬イナリさんを見たらそのように見えたので……。あの、イナリさん、もう一回やってもらっていいですか?」
イナリの外堀がどんどん埋められていき、遂にもう一度確認したいという要望すら出てきてしまった。
もはや逃げ場は無いかとイナリが観念したところで、リズが喋り出す。
「待って!あのさ、周りの木、またちょっと伸びてるよね?必要以上にイナリちゃんの力を使わせるのは良くないと思うな。イナリちゃんの魔王としての実績が増えちゃうし」
「……!!そうじゃ!!あー困ったのう!!そうなると我も力の行使が難しいのう!!」
思わぬ助け舟に、イナリは水を得た魚のように饒舌になる。
幸い、エリスにイナリの能力が九段階で調節できることは知られていないので、促進度を抑えての再行使という選択肢が生まれる余地は無いだろう。イナリはそこに付け込むことにした。
「……確かに、それはあまり良くないですね」
エリスが引き下がったのを確信し、イナリはほっと溜息をこぼす。
「イナリさん、いつか見せてくださいね」
……エリスがイナリにだけ聞こえるように呟いた声は、きっと気のせいのはずだと思いながら。
一同は再び、イナリが茶を淹れる際に使った火を囲んで座る。
「ところで、何故お主らは我が樹侵食の厄災であると聞いても平然としておったのじゃ?」
イナリは先ほどは襲ってこなくてよかったとしか思っていなかったが、普通このような話をしたら、戦うか戦わないかの一悶着くらいあってもいいものだろう。
思いのほか滞りなく話が進んだことに、イナリは改めて疑問を抱いた。
「簡単に言えば、もしお前が魔王だったらあまりにも間抜けすぎると思ったからだな」
「……何とも複雑な気分じゃ」
「ディルの言い方はちょっと悪いけど、でも実際、イナリちゃんはメルモートの街を魔境化させようと思えばいつでもできたわけだしね。そういう意味では魔王とは考えにくいとは思ったんだ。それに、本物の魔王は環境の変化だけじゃなくて、本体もそれなりの戦闘力……って言えばいいのかな?そういうのも持っているから、イナリちゃんが魔王ならあまりにも……その、力が無さすぎる、よね」
「ううむ、詳細に説明されても気分が晴れぬが……。エリスはどうなのじゃ?我が警戒していたのが馬鹿らしく思えるほどすんなりじゃったな」
「まあ、私は、元々イナリさんが何であろうと受け入れられるだけの余裕がありましたからね。流石に神だというが本当だったということも、魔王扱いされているということも驚きはしましたけど、それ以上に重要なことが目に留まってしまって、そっちに全部持っていかれましたけど。どうやらそれも、私の勘違い、だったようですがね?」
エリスはイナリの頭を撫でながら、勘違いという部分を強調するようにイナリに告げる。
「は、はは……。ともあれ、我が生贄だとかそういう話もてんで的外れだということもわかってくれたかや?」
「それは私がイナリさんを案じた結果ということで水に流して欲しいです……」
エリスに対する反撃のようなイナリの問いかけに、エリスは少し顔を赤くしながらイナリに抱きつく。
「とはいえ、僕たちはイナリちゃんとそれなりに過ごしてたからこそ良いけど、間違っても他の人とかには言わない方が良いだろうね。イナリちゃん、他にイナリちゃんが魔王であることを知っている人は?」
「我は魔王ではないのじゃが、まあ良い。他にこのことを知っておるのは先に名が挙がったウィルディアのみじゃ」
「なるほど。最終的な判断はイナリちゃんに任せるけど、その辺は慎重に考えるんだよ」
「言われなくてもじゃ。何なら、お主らに伝えたのも我が悩みに悩んだ結果じゃぞ?我、お主らと離別することすら覚悟しておったからの。そこのリズも似たような覚悟をしてくれておったのじゃ」
「そっか。そうだよね、余計な事を言っちゃったかな」
「いや、我を案じての事じゃろ?構わぬよ」
「そう言ってくれると助かるよ」
エリックの言葉を最後に、沈黙が流れる。それを気まずく感じたのか、ディルが口を開く。
「……なあ、とりあえず日が傾き始めてるし、今日は飯食ってさっさと寝ようぜ。明日からまた色々やらないといけないだろ」
「それもそうだね。じゃあ早速準備をしようか」
エリック達がテントの方へ歩いて行ったところで、イナリもエリスの腕から抜け出して立ち上がる。
「ふむ、では、そこの作物は明日以降に取っておくとして、我がここ一帯に生える美味な実やキノコを収穫してきてやるのじゃ」
「でしたら私もついて行きます。この辺をうろつく不審者やトレントいては危ないですからね」
「りょうかーい、いってらっしゃい!」
「気を付けろよ、何度も言ってるが何かあったらすぐ叫ぶなり逃げるなりしろよ。特にイナリな」
「わかっておるのじゃ、すぐ戻るからのー」
手を振りながら森の方へと歩いて行くイナリとエリスを面々が見送る。
「よし、じゃあリズ、水出してくれ」
「うん、わかった。……あ」
「あ?何だ、どうした?」
「いや、リズの思い違いというか、考えすぎならいいんだけどさ……イナリちゃん、毒効かないじゃん?」
「はあ?それがどうした?」
「多分イナリちゃん、この森で『虹色の悪魔』食べてるんじゃないかなって思ってさ。だとするとイナリちゃんが持ってくるものって……」
「………いや、そんな、流石に考えすぎだろ」
「そうだよね。今回はエリス姉さんもいるもんね?」
「ああ、恐れているようなことにはならないはずだ。……最悪、持ってきたものは俺たちで確認すればいいしな」
何か拭いきれない不安を抱きつつ、ディルとリズは作業を開始した。




