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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
魔の森の騒乱

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94 イナリの短剣

「そういえばイナリさん、よくあの小屋を建てられましたね」


 水が入った鍋や杯を抱えた二人が森の中を歩いていると、エリスがふと話を投げかけてくる。その言葉にイナリはむっとした表情を作る。


「……何じゃお主、我を馬鹿にしておるのか?」


「いえ、純粋に思ったことと言いますか。ほら、イナリさん、扉も開けられないほどによわ……非力じゃないですか」


「今弱いって言おうとしたじゃろ」


「……弱いじゃないですか」


「別に、包み隠さず言えばよいという話ではないのじゃが……。まあなんじゃ。あの家には我の創意工夫が詰まっておるからの、一週間もあれば、我でも組めるような作りになっておるのじゃよ」


 イナリはふふんと胸を張ってエリスの疑問に答える。


「というかじゃな、扉も開けられないほどに非力という評価は不当じゃ!さすがに木の扉くらい開けられたのじゃ!」


「……ええっと、それ、開けられない扉がある事には変わりなくないですか?」


「……鉄の扉ごとき開けられなくても、生活には困らぬ。あるいは必要な時はお主や周りの人間に頼めば、それくらい遂行してくれるじゃろ」


「まあ、イナリさんに頼まれたら誰でも助けてくれるとは思いますけれど……」


「じゃろ?我の神聖さを目にすれば、誰もが我に服従するに決まっておるのじゃ!」


「どうでしょうか。それはまた別の話だと思いますけども」


 イナリは、「神である自分に頼まれたら断れるはずがない」と考えているが、エリスは「イナリのような可愛らしい子供に頼まれたら断れない」と考えている。


 残念ながら、ここにはとても深刻な考え方の齟齬が発生していた。




 二人がイナリの家に戻ると、エリックとディルはテントを地面に固定するための金具を打ち込んでいる。そしてリズは出発前と変わらず丸太と一体化している。


 イナリはそれを眺めつつ、持ってきた水を平らな床に置く。


「では湯を沸かすとしようかの。お主らがここに来たことに気づく前に、我は茶を一杯飲んでいるからの、その時に使った薪がそのまま使えるはずじゃ」


「そうなんですね。私も見ていてもいいですか?」


「うむ、構わんのじゃ。火をつける道具を持ってくる故、しばし待っておれ」


「火ですか?それならリズさんに……は、今は無理そうでしたね」


 エリスがリズの方を見て、言いかけていた提案を撤回した。


普段の様子から考えるに、そういった雑用的な役割も普段のリズは担っているのだろう。そんなことを思いながらイナリは小屋へ歩いていき、火打石と短剣を取って戻る。


「最初はうまく火を付けられず苦労したものじゃが、最近は我も慣れたものでの、これくらい造作もないことになったのじゃ」


 イナリは手に持ったそれを手際よくカチカチとぶつけて、薪に火を付ける。


「おぉ、何だかイナリさんがしっかりしているところを見ると感動を覚えますね」


「……誉め言葉として受け取っておくのじゃ」


 そう言いながら、イナリは普段使っている耐火性がやたら強い木製の鍋に先ほど汲んだ水を移して湯を沸かし始めた。


「木製の鍋なんですね。言っていただければ金属製の鍋を一つ、お貸しできたのですが」


「うむ……しかし始めてしまったものは仕方あるまい。次からはそれを借りるとするかの。というわけで、しばらくこのままじゃ」


 熱伝導性が非常に低い木の鍋は、お湯を沸かすだけでもそれなりの時間を要するのだ。


「そうですか……。あの、ちょっとその剣、見せてもらってもいいですか?」


「む?これかや」


 エリスが何か訝しんだ様子で短剣を見せるように求めてくるので、イナリは先ほど打ち金として使った短剣を手渡す。


それを様々な方向からまじまじと眺めたエリスは、何か確信すると、突然イナリに迫ってくる。


「これ、どこで手に入れたんですか?」


「む?いや、我の社にあったものを適当に取ってきたのじゃが」


「なるほど。流石に盗んだりはできないでしょうが……誰かに託されたとか、そういったことは?」


「無いのう。我が気がついた時にはあったのじゃ。多分、千年以上前に誰かが納めたものではなかろうか」


「そうですか。うーん……」


「何じゃ?その短剣がどうかしたのかや?」


「これ、神器っぽいんですよね……」


「ふむ?まあ、神である我が持っておったのじゃから、神器と呼んで差支えなかろ」


「……ここは普通、驚くところなのですが」


「まあ我、普通の存在ではないからの、当然じゃな」


「ちなみにこれはどのように使われたかご存じですか?例えば、人を殺すために使った、とかです」


「む?そんな物騒なことに使うわけないじゃろ。我がそれを使ったのは……そうじゃな、まず先ほどのように火を付けるときじゃろ?それに、昨日一昨日は田畑を耕すのに使ったのう。後は、そこの鳥居に装飾をしようと思って彫るのに使ったり、ここらの植物採取に使ったりじゃな」


「何といいますか、神器とは思えない扱いですね……」


「実際、我も神器と思うて使っておらぬし。お主、人の使った道具を人器と呼ぶかと聞かれたら、呼ばんじゃろ。それと同じように、神たる我が神器についてどう思うことも無いのじゃ」


「……そう、ですね?」


 イナリの言葉に、エリスは納得したような、そうでないような曖昧な表情を作る。


「とはいえ、それはイナリさんが神であるという前提のもとでの話ですよね。ともあれ、人を害するために使われていないのであれば結構です」


「のうエリスよ。先ほどからお主は一体何を気にしておるのじゃ?」


「ええっと、端的に言えばイナリさんが罪に問われるかどうかですね」


「どういうことじゃ、我は何もしておらんのじゃが!?何なのじゃ、ブラストブルーベリーの件といい、人間社会はようわからぬ法が多すぎるのではないかや!?」


 エリスの恐ろしい言葉にイナリは狼狽する。


「イナリさん、落ち着いてください。私は常にイナリさんの味方です。そのことを忘れないでください」


「う、うむ……」


 エリスがイナリの両肩を抑えて安心させるように伝えてきた言葉を聞いて、一度イナリは動揺していた気分を落ち着かせる。


「どうしたの?何かあった?」


「どうしたイナリ。ついにエリスに何かされたか?」


 何やらイナリ達の様子が変なことに気がついたエリックとディルも、何事かと様子を見に来る。


「ええっと、お二人も聞いておいて頂けますか。とても真面目な話です」


 茶化すディルを無視して真面目な面持ちで話すエリスを見て、二人にも緊張が走る。


「……一回、イナリちゃんにお茶だけ淹れてもらって、それからでもいいかな?」


「……そうしましょうか」


 その場には、グツグツとお湯が沸騰する鍋の音が響いていた。




「リズさん、イナリさんがお茶を淹れてくれたので皆で飲みましょう」


「ん?ああ、うん……」


 エリスが丸太と一体化したリズを起こし、一同は湯呑や杯を片手に岩や丸太に腰掛ける。


もはや言うまでもなく、イナリの隣にはエリスがぴったりとはりついているが、ここにそれを指摘する者など、イナリを含めて誰も居ない。


 むしろ、当のイナリは先ほどの一件以降ずっとそのことを考えていたために、放心状態で茶を淹れてしまって、ここまでの記憶が殆どないような始末である。


「リズ、あんまりお茶に詳しくはないけど、これは美味しいね!何か、ちょっと元気が出た気がするよ!……どうしたの皆、何かピリついてない?何かあったの?」


 この場の空気は、皆で茶を片手にワイワイするというよりかは、何か重要な会議をするような空気感であった。


 先ほどの一連のやり取りを知らないリズは、その理由がわからないために一人だけ温度差を感じてしまっている。


「それをこれからエリスが話すところだ。まあ……何かしらはあったようだな」


「ええ、できればトレント関係じゃないと良いな……」


「それじゃあ、早速だけど、詳しく聞いてもいいかな?」


「はい。結論から言いますとですね、イナリさんが所持していたこの短剣、神器でした」


 エリスがイナリから受け取った短剣を皆の前に提示する。


「……なるほど。エリスが言うっていうことは本当なんだろうね」


「ごめん、リズ、この話聞かなかったことにしていい?ずっとあの丸太で寝てたってことにしてもらってさ」


「リズ、ダメだよ。もうこの話を聞かされた時点で手遅れだ」


「燃やせば倒せるトレントより何倍も面倒な話じゃん!もうヤダ!!」


 短剣を見ただけで、エリックとリズは何かを理解したようだ。


「なあ、俺には何が問題なのかサッパリだ。もうちょい詳しく説明してくれ」


「我もわからぬ。何故我が罪に問われなくてはならんのじゃ」


「……罪?」


 イナリの言葉にディルが顔を顰める。話の流れはわからなくとも、不穏な話であることは十分に分かったからだ。


「一応、イナリさんのために、まずは神器の定義から説明しますと、平たく言えば、神性を帯びた物です。そして、今までに発見された神器は全て教会が管理しています」


「ふむ」


「基本的に神器は神託によってその所在が明らかになります。その生まれ方には諸説ありますので割愛しますが。しかし稀に、全くの偶然で神器が発見されることがあるのです。今回はそのケースですね」


 エリスは説明を続ける。


「ここで問題になるのが、先ほど説明した、教会が全ての神器を管理しているという点です。『神器集中管理法』というものがありまして、要約すれば、神器を見つけたものは特段の理由が無い限り、速やかに教会へ届けなくてはならない、という法です」


「何故そのような事をするのじゃ?」


「平たく言えば、神器の悪用や軍事利用を防ぐことが理由です。そういうわけで、まず神器を隠し持っていることで一つの罪。次に神器を悪用し、特に人を害した場合さらに罪が上乗せされます。幸い、イナリさんは打ち金や鍬、彫刻刀の代わりとして利用していたようですので、後者の心配はなさそうですが」


「神器の使い方が雑すぎる……」


「まあ、それは置いておいて、問題はわかった。こいつがその神器を持っていて、それもそれなりの期間だろうから罪に問われるって話でいいんだよな?」


「そういうことですね」


「うう、一体何故、我の私物を持つだけで罪になるのじゃ、意味わからんじゃろ……」


「まあ、流石にイナリが不憫ではあるな……」


「ディルさんは他人事のように思っているかもしれませんが、私達もすでに渦中です。他にも規定がありまして、神器を隠し持っている者を助長する行為も罪となります」


「……なるほど。そりゃ厄介だな」


 エリスの言葉に理解を示しながら、ディルはイナリを見る。イナリは小さく悲鳴を上げてエリスの背に隠れた。


「というわけで、大まかに、私達が取れる行動は三択ですね。一つ、イナリさんに自首させる。二つ、私達で全力で隠し通す。三つ、先ほど私が言った、『特段の理由』を作る。このどれかです」

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