93 水汲み
「お主らは以前一度ここに来たことがあるじゃろうが……改めて、我が家……いや、社……?うーむ……とりあえず家で良いじゃろか。我が家へ来たこと、歓迎するのじゃ」
家に到着したイナリはパーティの面々に向き直り、自身の家をどう呼称するか悩みながらも歓迎した。
「……何でそんなあやふやなんだ?」
「ほれ、我、神じゃろ?じゃから、これを社と呼ぶべきかと思うたのじゃが……。自身の手で建てたものを社と呼ぶのは、何か違うじゃろ?」
「は、はあ……?」
ディルは「何言ってんだこいつ」とでも言いたそうな顔をした。
「まあ、ひとまず我が茶を振舞ってやるとするのじゃ。しばし待っておれ」
彼らに茶を出すことにしたイナリは、小屋へと入って備蓄していた茶葉が入った籠をひっぱり出す。しかしそこで、湯呑が自分が普段使っている一つだけしかないことに気がつく。
「む、これではいかんのう。……のう、お主ら、何か湯呑として使えるものはあるかや?我は自分用のものしか持っておらぬのじゃ」
イナリは小屋から顔を出して、外で何か作業をしている面々に声をかける。
「ああ、あるよ。ええっと……これでいいかな?」
イナリの呼びかけに、エリックがエリスの周辺に置いてあった鞄から杯を四つ取り出してイナリに手渡す。
「うむ、よかろ。……ところでお主らは何をしておるのじゃ?」
エリックの手元には何か布のような物や何かの金具が見え、奥ではディルも同じようなものを手に持って何かしているが、一体何をしているのだろうか。
「ん?ああ、僕とディルはテントを用意しているんだよ。……ええっと、テントっていうのは……野営するときに安全に寝るための場所みたいなものだよ」
イナリがテントという言葉にピンときていないことを察したエリックが、先んじて補足する。
「なるほどの。そうか、我は最悪どこでも寝られるが、お主ら人間はそういうわけにもいかんのじゃよな……。ちなみに、リズとエリスは何をしておるのかや」
「エリスは荷物の確認だね。何がどれだけあるのかとか、さっきの戦闘で損傷したりしてないかとかね」
「ふむ、それは重要な事じゃな」
「で、リズは……とりあえず、休ませてあげて」
「……まあ、あの様子ではしばらく動けぬじゃろうな……」
二人の視線の先には、イナリが切り倒して放置していた丸太の上でへばっているリズの姿があった。
「では、我は茶を淹れる作業に戻るのじゃ」
「うん、ありがとうね」
イナリは再び小屋に戻り、受け取った杯を並べる。
「さて、湯を沸かさねばの。……む、待つのじゃ、五人分……?」
イナリはいつも、お茶を淹れるときに使う水は、湯を沸かす際に使う鍋を使って、その都度川まで汲みに行っていた。
それは、普段であれば自分の分だけなので一往復で済むが、しかし今回は訳が違う。五人分用意するということは、普段の方法では間違いなく一往復では済まない。
「う、ううむ……。これはちと骨が折れるのう……」
「イナリさん、どうかしたのですか?」
イナリが一人、小屋の中で唸っていると、入り口の方からエリスの声がかかる。
「む、エリスよ、お主の役目はもう終えたのかや?」
「ええ、さしたる問題はありませんでした。それで少し手が空いたので、イナリさんの様子を見に来たのですよ」
「ふむ。ならば、ちと手を貸してくれぬかの?」
「ええ、何なりと!」
「うむ。我と共に水を汲みに行くのじゃ」
イナリはそう言いながら、先ほどエリックから受け取った杯を二つエリスに手渡す。
「ああ、先ほどイナリさんが言っていた、お茶を淹れるために使うのですね。うーん、先ほどここに来る前に汲んでおけばよかったですね」
「先ほどの状況でそこまで考えるのは難しいじゃろうて、気にせんで良いのじゃ」
「そう言っていただけると助かります。……あれ、イナリさんと二人で行動できる時間が作れたと考えるとむしろファインプレーだったかもしれませんね……?」
「お主が何を考えておるのかは知らぬが、さっさと行くのじゃ」
「あ、すみません待ってください!」
鍋や杯を抱え、草履を履いてスタスタと歩いていくイナリをエリスは追いかける。
「ん?お前らどっか行くのか?」
二人がディルの横を通過すると、彼が声をかけてくる。
「うむ、ちと水を汲んでくるのじゃ」
「そうか、トレント共は近づいて来れなさそうだったとはいえ、一応気をつけていけよ」
「大丈夫です、私もついて行きますから!」
「……そうか。イナリ、身の危険を感じたらすぐに戻って来いよ」
「うむ」
「……えっと、お二人とも、トレントについて話しているんですよね?」
「さあ、どうだかな。おっと、俺はテントを立てないと行けねえんだった。さっさと行ってきな」
ディルは露骨に話題を逸らしながらテントを立てる作業へと戻っていったので、イナリも再び川へ向けて歩き出した。
「それにしても、イナリさんが無事で本当によかったです」
木々に囲まれた道を二人で歩いていると、エリスが喋りかけてくる。
「む?」
「イナリさんの体はとても頑丈なようですし、不可視術やこの安全地帯もあるから大丈夫だと皆さんは言っていましたが、とはいえ怖い思いをしているんじゃないかと、心配で心配で。ほら、実際、あのトレント達が並んでいる景色は中々に来るものがあったでしょう?」
「それは確かにそうじゃな。見なかったことにして解決したのじゃ」
「そ、そうですか……。精神的ショックやトラウマになっていないなら結構ですが……」
「というか、それを言ったらむしろ、お主らの方が大変だったじゃろ。あんなのに全方位を囲まれてはの」
「ええまあ……しかし私たちも、ある程度場数は踏んでいますからね。もっとしんどいのは過去にいくつかありましたから……」
「そ、そうかや……」
エリスが苦い表情をするので、イナリもあまり深堀はしない方が良いと判断し、ただ頷くだけに留めることにした。
「というか、イナリさん本当にあの小屋で生活しているんですね」
「何じゃ、まだ何か変な疑いを持っておるのかや?」
「あ、いえ、そういうわけでは無く。何というか、その……狭くないですか?」
エリスが気になったのはイナリの家の広さのようだ。
確かにイナリの家は小さく、恐らく虹色旅団の面々が全員入ったらほぼ満員になるくらいの広さだ。
イナリが昔自身の手で組んだ小さな社ほぼそのままなのだから当然と言えば当然なのだが。
「お主らの家と比べたら小さいに決まっておるが……しかし思い出してみるがよい。我の私物は箱一つに収まるほどじゃったじゃろ?つまりそういうことじゃ。我はそれで十分ということよの」
「うーん、リズさん程とは言わずとも、もっと色々持っても良いと思いますけどね……」
「そもそも人間社会に関わったことが碌にないのじゃから、私物もさほどあるわけあるまいて。きっと今後は色々増えるやもしれぬし、もし狭いと感じたら拡張できぬわけでもなし。そこまで気にすることでもないじゃろ」
「……それもそうですね。イナリさんには今後、私が色々と与えていくことにしましょう」
「なんじゃか、微妙に会話がかみ合っておらぬ気がするのじゃ」
「ふふ、そんなことないですよ」
そんなことを話しているうちに、二人は川に到着した。相も変わらず、トレント達は侵入できる場所ギリギリのところでびっしりとひしめいている。
「お主らがここに来るまでに結構な数が倒されていたと思うのじゃが。一体どれだけおるのかや……」
「わかりませんが、ここに来るまでは一切トレントに出会いませんでした。あくまで推測ですが、魔境化の影響を受けたトレントは全てここに向かって来ているのではないでしょうか?」
「ふむ、外はそんなふうになっておったのかや。……これ、我ら、街に戻れるじゃろうか?」
「どうでしょうか。幸いこちら側は安全ですから、数日かけて討伐してから帰るのが一番よさそうでしょうね。後でエリックさんに提案しておきましょう。あるいは、イナリさんと一生ここで暮らしていくのも悪くは無いですが」
「我は勘弁じゃ。また人間の街の美味いものを食べたいのじゃ……」
人間の料理に慣れてしまうと、今までイナリが食べていたその辺の植物を齧ったりするのでは、少々物足りなく感じてしまうのだ。
「……そうですね。まだイナリさんを連れていきたい場所もありますし、やはり帰らないといけませんね」
「うむ」
そんな話をしながら、二人は川の水を汲んで、家へと戻っていった。




