87 第二回 神様会議
魔の森を流れる川の上流の畔に、誰にも見られることも無く、地面に座り込み、無心で地面に剣を刺し続ける少女の姿があった。イナリである。
「……一体、我は何をしているのじゃろうか……」
イナリは現在、ビル群に囲まれる前の神社から見た田畑の景色を頼りに、田を作ろうとしている。
覚えている情報は「何か水で浸されてたなあ」程度のものなので、細かいところは何も知らず、果たして、正しいことをしているのかすらわからないままに作業をしていることが、なおの事虚無感を加速させていると言っていいだろう。
何というか、イナリがかつて神社でそうしていたように、何もしないでいるのとは違うのだ。あるいは、ギルドの椅子に横になって板の数を数えて時間を潰すのともまた違う。
ただの暇つぶしではなく、目的をもって作業をしているはずなのに、その終着点がはっきりしないのが問題なのだ。
しかも、鍬ではなくイナリに丁度いいサイズの短剣を使って耕しているのだ。大した敷地は必要ないとはいえ、効率も最悪である。
こんな事になるなら、その辺の木と石を使って鍬を作ってから作業したほうが、余程生産的であったと思い始めるようなレベルの効率の悪さだ。
「……アルトと話して気を紛らわせるとするかの」
この虚無感に耐えかねたイナリは、畑を作った後にアルトに話しかけるという計画を前倒すことにした。
何なら、前回よりも時間に余裕があるのだし、もしアルトに余裕がありそうであれば、雑談でもしたらきっと作業も捗ることだろう。
イナリは短剣を一度目の前の土に刺して川で手を洗ってから、指輪の通信機能を起動した。
「……はい、狐神様!お待たせしました!前回に次いで、お久しぶりです!」
青色の宝石がしばらくの間赤く点滅してから点灯し、アルトの声が聞こえるようになる。今までは気づかなかったが、アルトからの応答があるまでは点滅するようになっているようだ。
「うむ。久しぶりと言うほどではないかもしれぬが……十日ぶりくらいじゃろか?」
「そうなんですか?あ、もしかしたらこちらと体感時間が違うのかもしれませんね。私としては二十日くらい経っている感じがしますし。……厳密にいえば日の概念が無いので、何日と表現するのも変と言えば変なのですが」
どうやらアルトがいる天界は時間の流れが地上の倍くらいのようである。
「我がいる場所と天界は別の場所なのじゃな」
「一応連続性はありますが、時空が違うって感じですかね」
「……我、そこから半ば強制的に落とされたのじゃが?あの瞬間、我、時空を跨ぐことになったのかや?何かあったらどうするつもりだったのじゃ?んん?」
イナリはこの世界に連れてこられた際の事を思い出してアルトに問いただすことにした。
「……狐神様なら大丈夫だと思ったんです!実際、現在もご健勝のようですし、流石、狐神様です!すごいです!スカウトに向かった私の目に狂いは無かったですね!」
「……ふむ、確かにそうじゃな。ふふん」
若干応答に間があったのが気になるし、話がズレた気がしないでもないが、とはいえ、アルトはイナリなら大丈夫だと見積もったうえでの行いだったようだ。
「ところで、今回はどのようなご用件でしょうか?」
「ちと作業中の時間つぶしも兼ねて、色々と話をしようかと思うたのじゃ。アルトよ、お主は今何をしておるのじゃ?」
「私は前回に引き続いてずっと歪みの対処ですね。次地上に出現する歪みの実体化の遅延と、世界の歪みの修復を並行して行っています。一応、今のところ次の歪みの実体化は、前回と同じく二ヶ月くらいです」
「……待つのじゃ。それはそちらの世界での二ヶ月かや?」
「……あっ、そうですね」
「となると、こちらでは一か月ということかや」
「そうなりますね。まあ、誤差です、誤差」
「流石に誤差で済ませられる範疇ではないようにも思うがの……」
「ところで狐神様は何をしていらっしゃるのですか?」
「我は今、地面に剣を刺しておる」
「……確かに何か、ザクザク音がしますね。……え、どうしてですか……?」
指輪越しにアルトの困惑する声が聞こえる。
「田を作っておるのじゃ」
「田、ですか……?人間の営みの一つでしたっけ?」
「そんな感じじゃ。ともあれ、こちらの事は気にせんでも良いのじゃ。それよりの、人間の話をしたいのじゃが」
「人間の話ですか?」
「うむ。この前、我は特に何かする必要もないとは言われたものの、何じゃかお主、地上の事は殆ど見ておらぬじゃろ?じゃから、それを軽く探ってみることにしたのじゃよ」
「おお、そうなのですか!歪みの対処に追われていて、そちらには手が回らなかったのでありがたい限りです!いかがでしたか?」
「我が見た限り、魔術を用いた道具や設備が至る所に出回っていての、結論から言えば、既に魔術に依存した社会が形成されていると見受けられたのじゃ。世界中が全てそうなっているかはわからぬが、少なくとも我がいる地域だけということは無いじゃろう。よって、それを覆すような方向性の文明の進化は、見込みづらいということじゃな。……流石に、魔術に農業や食事の文化で対抗できるかと言ったら、無理じゃろ?むしろ、我の力でもって農業で土壌が出来たら、それこそ魔術研究は加速するじゃろうて」
「ふーむ、そうですか……。何か、面倒になってきましたね。やっぱ一回、世界滅ぼします?それで科学文明が引けるまでガチャりましょう」
「ま、待て待て、早まるでないのじゃ!」
「ガチャる」の意味は分からないが、文脈からして、魔術文明ではなく科学文明が基盤になる社会が形成されるまで、ひたすら破壊と創造を繰り返すという話だろう。
「あ、狐神様はちゃんと回収可能ですから、ご安心してください」
「それはよかっ……いや、そういう話でもないのじゃ」
もしこれが地上に来る前の話だったら同意していたかもしれないが、今はある程度見知った者がそれなりにいることもあり、とてもアルトの提案に頷くことは出来ない。
「ほ、ほれ、折角お主が作った世界じゃ。我らの力でどこまでやれるか見てみるのも、一興ではなかろうか?」
「……それもそうですね。狐神様の思慮深さには感銘を受けるばかりです……」
「そ、そうじゃろ?ふぅ……」
この瞬間、イナリは人知れず、この世界の危機を救った。
「ひとまずその辺の対策は歪みの問題に対処出来てから考えましょうかね。一応次の歪みの実体化を乗り越えれば安泰ですし」
「ふむ。……少し相談があるのじゃが、良いかの?」
イナリは土を耕しながらアルトに呼びかける。
「はい、何でしょうか?」
「魔王……もとい歪みの実体化を早めることは可能かの?」
「可能ですし、何なら遅延を止めれば今すぐにでもって感じです。……しかしそれでは人間の対処が間に合わず、地上の生物が多大なダメージを受けてしまうでしょう。人類に神託を出して急いで体制を整えさせる期間を設ける必要性を考えると、最短でも一週間程度、でしょうかね。……いや、一回、人類だけ潰させて魔術文明を滅ぼしてもらうのも……?」
「一週間後じゃ!一週間後で頼むのじゃ!」
アルトの言動が不審になってきたのを察知したイナリは食い気味で意見を述べた。
イナリは今までにも薄々感じていたが、アルトは気まぐれが過ぎるように思われる。ある意味神らしいと言えば神らしいのだが、規模が規模だけに笑って済む話ではないのだ。
尤もイナリもちょくちょく気まぐれで虹色旅団の面々を振り回しているし、今の魔の森やイナリが魔王扱いされているのも元を辿れば気まぐれによるものなのだが、それは一旦棚に上げておくとして、である。
「……まあ、そうですね、あまり人類を振り回すのも可哀そうですし。……しかし、どうして早めるのですか?」
「この前話した時、……何じゃっけ、ぷろんぱがあだ?みたいなことをお主が言っておったじゃろ?あの後わかったのじゃが、人間がどうやら我の事を魔王だと思っているようでの、ちょっと困っておるのじゃ。下手したら我の事を攻撃してくるかもわからぬし」
「む、そんなことになっているのですか?どうします?滅ぼします?」
「滅ぼさんで良いのじゃ。話を戻すと、本物の魔王をさっさと出現させておけば、誰が言い出したのかは知らぬが、我が魔王などと言うことが勘違いであったと気づくじゃろうし、ついでに本物の魔王の噂で、我が魔王などと言う噂は立ち消えると考えての事じゃ」
「なるほど……。確かに、狐神様は恵みをもたらす一方で、魔王は被害しか生みませんからね。それは一理あります」
「うむ、そうであろ?」
「となると、予定を修正して、この交信が終わったらすぐに神託を出すことにしましょう。多少神託のコストが増えますが、狐神様の誤解を解く文言も添えますか?」
「うーむ、どのような感じじゃ?」
「直接的に伝えるほど地上への干渉力を費やしますので、迂遠な方法になりますが……あ、いい感じに抑える方法を思いつきました!『賽は投げられた。認識を正し、危機に備えよ』でどうでしょう?地球の割と有名なフレーズを引用しましたが、これなら文字数を抑えつつ魔王の出現に対する警鐘と再考の促しができますよ!」
「……そんな短くて有耶無耶な文言で良いのかや?また我の例みたいな変な誤解が生まれるのではなかろうか」
「でも今までもこんな感じで、なんやかんやうまく回ってましたし、大丈夫ですよ。昔は長めにやってたのですが、少しずつ簡素にしていっても割と何とかなってます」
「そうじゃろうか。もっと『魔の森を作ったのはイナリという偉大な神であって魔王ではないのじゃ、真の魔王は一週間後に出るのじゃ』とかじゃダメなのかや。誤解する余地もないじゃろうて」
「それは直接的過ぎてダメですね。干渉力の消費が多すぎて、世界の歪みの対処に回す資源が減ってしまいます」
「ふーむ。ようわからんが面倒な仕組みじゃのう……」
「創造神と言うと何だか自由の極みのような響きですが、意外と資源管理に追われて自由とは程遠いのですよ……」
「中々苦労しておるのう……。しかしお主の気持ちはわかるのじゃ。我も地球に居たころに―」
この後も、イナリは短剣を片手に作業をしつつ、アルトと雑談をした。
「ふう、やっと終わったのじゃ」
辺りが夕日で照らされる中、イナリは短剣を片手に立ち上がり、川の水が流れ込む田を眺める。
川の水を引くのは、手を使える分思っていたより楽であった。果たして正しい方法かはわからないが、多分イナリの力で成長を促してやればどうとでもなるだろう。
「おお、それはよかったです!ではキリも良さそうなので、私はこの辺で失礼します!神託もしっかり出しておきます。お互い頑張りましょう!」
「うむ、健闘を祈っておるのじゃ」
アルトの挨拶が終わると、指輪の宝石がただの青い石となる。
アルトとの雑談は、お互いに神ということもあって色々と話が弾んで、実に有意義な時間であった。
「さて、我の仕事は終わったし、あとは成長促進度を上げて、一日くらい雨を降らせておけば何とかなるじゃろか」
イナリは川で体を洗って家へと戻り、成長促進度を第四段階まで引き上げ、風を操って雨雲を生成すると、さっさと寝ることにした。
労働による疲労と雨が小屋に当たる音が良い塩梅に作用して、実によく眠れた。




