453 自分を見つめる ※別視点あり
<エリス視点>
発熱してしまったイナリさんが眠ったあと、病室の近くを通りがかった神官にイナリさんの容態について報告しておきました。おそらく、明日には教会の誰もがイナリさんの体調不良を知ることとなるでしょう。
ついでにガーディさんも呼んで頂き、簡潔にイナリさんに命の危険が迫っていることと、信用できる人が少ないので、色々と協力してもらいたい旨を伝え――。
「――そういうことでしたら、喜んで協力いたします!綺麗な花を摘もうとする不届き者は、この私がちょん切ってやりますよ!」
仕事中に来てくれたのでしょう、手に持っていた木鋏をジャキジャキと動かしながら快諾して下さいました。……ちょん切るというのは、一体何を想定してのことなのでしょう?
ともかく、取り急ぎ必要な対応は済ませたので、あとはイナリさんのお世話をしながら一晩を明かすだけ……そのはずだったのですが。
「イナリちゃんの体調が良くないって聞いたから、少し様子を見に来たんだ。調子はどう?」
「……アリシアさん」
すっかり外が暗くなった頃。警戒すべき人物一覧に名を連ねているこの街の聖女、アリシアさんがランタン片手に部屋に訪ねてきました。
「ずっと高熱が出たままです。それに、時々うなされていて、辛そうです」
「そっか……備品は足りてる?ポーションとかは?」
「基本的なものは大丈夫です。それに、熱を冷ますのに丁度いい、ひんやりしている子もいますので」
私はイナリさんの額でじっとしているスライム、もちまるを指でつつきました。イナリさんの親バカ的な視点抜きにしても、大変に賢い個体です。文字盤で会話すら可能と聞いた時は何の冗談かと思いましたが。
私の動きに触発されてか、アリシアさんももちまるに手を伸ばすと――器用に体を凹ませて避けました。主たるイナリさんの言葉に従ってちゃんと警戒しているのですね……。
「ありゃ、人見知りな子なんだね。……ところで、呪いの可能性は確認した?」
「いえ、まだです。ガーディさんに頼んで、ファトラ様を呼んでいただく予定です」
私がそう返すと、アリシアさんは僅かに間を置いてから口を開きます。
「私も一応解呪魔法は使えるけど、やってみようか?」
……そういえば、アリシアさんも解呪魔法を修めているのでしたか。普段ならば頷いていたでしょうが、今のアリシアさんは警戒すべき対象の一人です。なので、ここは頑として断ることとします。
「いえ。以前、アリシアさんがイナリさんに魔法を使おうとしたとき警戒されていましたよね?イナリさんが不安になりかねませんし、今回は止めておきましょう」
「いいの?以前黒の女神に掛けられた呪いも、もしかしたら解けるかもしれないし……解けなくても、呪いの有無くらいならわかるよ?」
……気のせいでしょうか。食い下がってくるアリシアさんには、単にイナリさんを心配している以上の何かを感じます。まさか、イナリさんの体を調べる口実にしようとしている……?
だとすれば、イナリさんがアリシアさんを「なんだか怖い」と言っていた理由も察することができます。今は、多少強引にでもアリシアさんを引き離す必要がありそうです。
「アリシアさん、明日から『時詠みの聖女』様とお仕事があるのでしょう。今日は早く休んで、明日に備えるべきです」
「え? いや、でも――」
「お付きの神官に小言を言われたくないのなら、私が着いて行きますから。ほら、行きますよ」
私はアリシアさんの手を引いて、病室を出ていくことにしました。少しの間イナリさんを一人にしてしまいますが、従魔のもちまるが居ますし、すぐに戻れば大丈夫――。
――少なくとも、この時はそう思っていました。
<イナリ視点>
「――ごぼぼっ、もごっ!?」
顔がスライムの体に塞がれたイナリは、最大限の力で手足を動かし、もがいた。しかし貧弱な身体に体調不良が重なったイナリの抵抗などたかが知れているし、顔に張り付いたスライムを叩き落とすこともできない。
こんな訳も分からないまま、誰にも知られずに死んでいくのか? よりにもよって、自分が保護したスライムに殺されてしまうのか? 一体イナリが何をしたというのだ?
イナリの思考はあっという間に恐怖と混乱に塗りつぶされ、意識を失った。
イナリが地球で暮らしていて、まだ人々からイナリの存在を有難がられていた頃。イナリの社では毎年夏に祭りが行われ、屋台で賑わう光景や締めの花火が風物詩だった。
当然、イナリも毎年楽しみにしていて、しれっと屋台のたこ焼きやから揚げをつまみ食いしたり、親から離れた子供たちの内緒話を盗み聞きしたり、たくさん積まれた供物を見て喜んだりするのが恒例となっていた。
ある時、社の傍で二人の人間が休憩している場に居合わせたことがあった。一人は老婆、もう一人は孫と思しき子供だった。
「ばあちゃん、このお祭りって何のためにやってるの?」
それはきっと、子供特有の純粋な疑問だったのだろう。その言葉に、老婆はイナリを――厳密には、イナリの後ろにある社の中を見て、しわがれた声で答える。
「ここにはね、豊穣を司るお稲荷様が居られるのさ。昔からずーっと、この町で作物が沢山取れるのはお稲荷様のおかげだから。年も豊作になって、美味しいお米や野菜が食べられますようにって、皆でお願いするんだ」
「ふぅーん」
自分で聞いておいて、子供は露骨な生返事を返しながら、手に持っていた肉串を頬張った。一発叩いてやろうかとイナリが近づいたところで、子供はまた老婆に質問を重ねる。
「ばあちゃんはお稲荷様、見たことあるの?」
「いや、見たことはないよ」
「えぇー?」
「でもね、いるんだよ。ずっと、想像もできないくらい先祖の代の頃からずっと、見守ってくれているんだよ」
「なにそれ、どういうこと?」
「そのうちわかるさ。だから、罰当たりなことはしちゃいけないし、感謝の心も忘れちゃいけないよ」
「はーい」
果たして老婆の言葉の何割が伝わったのかわからないが、子供はまた生返事を返した。
それから数十年経ち、イナリの社の周囲から畑がどんどん消えていき、景色が町から街へと目覚ましい発展を遂げた。それと反比例して、少しずつ祭りの規模は小さくなっていき、ある年からぱたりと開催が途絶え、二度と祭りが開催されることはなかった。
それでもイナリは、ずっと大地に力を注ぎながら街を見守っていた。土地の所有者から手放されるその日まで、ずっと一人、見守っていたのだ。
だからというわけではないが。最期にこんな仕打ちを受ける道理はないはずだ。
「……?」
イナリは目が覚めた。自分は確かにもちまるに窒息死させられたはずだが……あれも夢だったということだろうか。数々の悪夢の中でも随分と現実味のある、嫌な夢であった。
外はまだ暗く、エリスの姿は無い。額に鎮座してイナリの頭を冷やしていたもちまるの姿も、ない。
だが代わりに、ベッドの隣に人影があった。
月明かりが反射して赤く光る瞳、小麦色の髪や尻尾、そして大きな耳――そこにいたのは、イナリ自身だった。
「……何じゃお主は?」
仮にも自分に対して「お主」呼ばわりするのも何だか変な気がするが、そうとしか言いようがないので仕方がない。
ともかく、偽イナリは、まるでこれから死にゆくイナリを看取るかのように、何も言わずにイナリを見下ろしていた。
「はあ……また変な夢を、見せられておるようじゃな。今度は何じゃ?」
ここまででも十分、悪夢の世界に閉じ込められたと言われて信じられる程度の仕打ちは受けている。今度はイナリの内面と向き合わされるとか、そういう類の夢だろうか?
そんなことを考えていると、ついに偽イナリがゆっくりと口を開き――。
「ばががびば、ばがが、ばげ……」
何か罵倒のようなことをごぼごぼ言いながら、溶けて床に崩れた。寝室の真っ白な床に、イナリ色の液体が広がってゆく。
「……何じゃ、今の?まあよいか……」
どんな不条理も起こりうる夢に理屈をつけても仕方がないことだ。イナリは次の悪夢に進むべく、毛布を深く被り直してまた眠りについた。
<エリス視点>
「ふう。アリシアさん、思ったより粘りますね……」
何とか要警戒対象のアリシアさんを自室へ送り届けることに成功した私は、急いでイナリさんが眠る部屋へと戻りました。
もし起きていた時のために、小声で囁きながら部屋に足を踏み入れます。
「イナリさん、今戻りました。具合は、いかが……です、か……?」
そこで私が部屋に戻ってから目にしたものは。
一つは、寝息で毛布を上下に動かしながらベッドで眠るイナリさん。
そしてもう一つは、床にドロドロに溶けた――よく見ると微妙に動いている、イナリさんと同じ色の物体でした。




