449 デス・センテンス
<ランティス視点>
「……んん、ここは……うぅっ!?」
目が覚めると、そこは見慣れない天井。そっと身体を起こすと、突然頭痛が私を襲います。
「ランティス様、大丈夫!?」
「その声は……アリシア様ですわね?」
傍で面倒を見て下さったのでしょう、アリシア様が回復魔法を頭にかけながら水を差しだしてきたので、受け取って飲んでおきます。
「私は、どの程度眠っておりましたの?」
「ええと……今日で三日目かな。状況はわかる?」
「……私はこの場所に魔王の調査に来て、挨拶回りをして……あの狐娘の過去を読んだところまでは覚えておりますわ。恐らく、私はそこで倒れたのですね?」
「うん、そうだね。記憶に混乱は無さそうみたい」
「ええ。看病して下さったのかしら、感謝申し上げますわ。ただ……少し、私が視た記憶を整理させてくださる?」
頭痛も収まってきたところでアリシア様に一言断り、私はあの狐娘の記憶の断片を整理することにしました。
――この街の近くにある魔の森に巨大なドームを作り、炎に包んだのは、あの狐娘だった。
――アルテミアの裁きが下るきっかけを作ったのは、あの狐娘とその仲間だった。
――魔の森を生んだのは、あの狐娘であった。
――あの狐娘は、アルト神により別の世界から招かれていた。
――あの狐娘は、神だった。
「……してやられましたわね」
魔法を発動する直前、執拗に禁言の制約について確認していた理由がよくわかりました。
あの狐娘は、自身の記憶を枷として「神々の裏事情の一切」を封じたのです。この重大な秘密を他者に伝えることなど許されるはずもない……私はこの真相を墓場まで抱えていくことになるのでしょう。
その事実から呼び起こされる感情は、出し抜かれた屈辱感と、たかだか一人の聖女の手に余る世界の真理に対する困惑、そして――長い長い孤独を生きてきたであろうことに対する、敬意と憐み。
全体からすればごく僅かであろう一万年程度の記憶ですら、その大半がまるで一枚絵のように大きな動きがなく、独りで過ごしている様子でした。きっと一万年以上遡ったところで、その光景に変化は無いのでしょう。
私の魔法は記憶を辿ることはできても、表に出ない感情までは知ることができません。それでも、悠久の孤独が醸成した悲しみはきっと計り知れないでしょう。
だからこそ、今の賑やかな暮らしを失うことを恐れているに違いありません。他所からやってきた私にそれを奪われないように、場当たり的にでもこの「枷」をつけたのでしょう。
「……あの狐娘はどうしておりますの?」
「ランティス様が起きるまで、エリスと一緒に自室に待機させてるよ」
「そうですの。少し彼女とお話したいことがありますから、すぐに向かいますわ」
主神たるアルト神以外を敬うつもりはありませんが、主神の大切な客人であるのであれば、ぞんざいに扱うことは許されません。
記憶の精査が出来ていない以上、アリシア様がどの程度狐娘のことを把握しているのかはわかりませんが……きっと聖騎士たちも多少気が立っていることでしょう。ひとまず、これ以上事態が大事になる前に収拾をつけなくては。
<イナリ視点>
イナリがランティスを気絶させた日から、イナリの生活は幾らか変化した。
「……落ち着かんのじゃ」
部屋を見回すと、昼夜問わず、出入り口や窓の外に聖騎士が控えている――もちろん、イナリを守るためではなく、イナリが逃げないようにするためだ。未だに満足に歩くこともできないというのに、ここまで厳重にするのは嫌がらせとしか思えない。
こんな状況では当然面会しに来る者も居らず、世話役の神官が現れる頻度も著しく減った。食事の質も一気に低下し、最低限の栄養食といった様相である。
きっと裏では、仮にも聖女を害した悪人だが、教会で保護した病人である以上は無下にもできないとか、そういう葛藤があったに違いない。
ちなみに、落ち着かない理由はこれだけではない。
「ふふ、イナリさん……ふふ……」
イナリの名前を呼びながら湿度を帯びた笑みをこぼしているのは、イナリと一緒にこの病室という名の牢獄に囚われている囚人、エリスである。彼女はどうやら「虹色旅団」全体に迷惑が掛からないよう、全力で庇ったのだとか。
その結果イナリと共犯のような扱いで同室に幽閉されることになったのだが、そのおかげでイナリは丸二日ほど、ほぼずっと抱き枕状態である。しかもランティスに過去を読ませたことが災いしたのか、湿度が普段の二割増しくらいになっている。
まあいつも通りと言えばいつも通りだし、夜は暖かくて逆に落ち着くのだが。日中は聖騎士の目もあるのだし、少し自重してもいい気がするのだ。
……ちなみに、エリスから今回の件の説教はしっかり受けている。彼女の名誉のためにも、決して現実逃避してイナリを愛でているわけではないということは補足しておこう。
さて、そんなエリスを放っておいて首を動かせば、イナリの従魔のスライム、もちまるの姿もある。魔物としてはイナリに匹敵する弱さだからだろう、このスライムもまた、イナリの部屋に居ることを許されている。
そして枕元にはアースと話した時に使った文字盤が置いてあるので、もちまるといつでも会話できるようになった。……が、如何せんスライムに何を話したらいいかわからず、今のところは持て余しているのが実情だ。
「やれやれ、聖女はいつ回復するのかのう……」
「あら、私をお呼びでして?」
イナリがぼやいた直後、部屋に凛とした声が響く。その声の主はランティスだ。
「お主、回復したのじゃな」
「獣人!この方はお前如きは本来口を利くことも烏滸がましい存在なのだぞ、もっと丁重に――」
「おやめなさい。フリンジさん、獣人を一括りに蔑視しないようにと、以前お伝えしなかったかしら?」
「『時詠みの聖女』様。しかし――」
「しかしも何もありません。私はこの方とお話しますから、人払いをお願いしますわ」
「……畏まりました」
フリンジと呼ばれた聖騎士はランティスに頭を下げると、イナリに鋭い視線を向けて去っていった。
「禁言があっては満足に話すことも叶わぬじゃろう。エリスよ、すまぬがお主もしばしの間席を外してくれぬか?」
「で、ですが……」
「我が心配かや?だいじょーぶじゃ、変な事をされたら声を上げるからの。あ、それと先ほどの聖騎士を懲らしめようとか思わなくてよいぞ。我、全然気にしておらぬから」
「……わかりました」
エリスは渋々と言った様子でベッドから身を起こすと、「イナリさんに手を出したら許しませんよ」と言わんばかりにランティスを見ながら離席した。
「くふふ、仲間に手を焼くのはお互い様のようじゃな」
「愛されているようで何よりですわね。それと、先ほどはこちらの聖騎士が無礼を働いてしまい――」
「よいよい。今言った通り、本当に気にしておらぬからの。こっちこそ、騙し討ちのような真似をしてすまなかったのじゃ」
「思うところはありますが、貴方について知った今なら、概ね事情は察しますわ」
ランティスはそう言いながら、床に転がったイナリの記憶が記されているであろうスクロールを回収していく。
「アリシアとは一悶着あったが、お主はどう思うかの?」
「アリシア様と一悶着?あの方はどこまで知っておいでですの?」
「我が神ということだけじゃ」
なるほど、禁言の関係で直接訪ねることができないのだろう。こちらから吹っ掛けておいて何だが、なんとも難儀である。
「それで、我の問いに対する答えを聞いてもよいかの?」
「……アルト神の御意思で招かれている以上、私があれこれ言う筋合いはありませんわ。もちろん、必要以上に敬うつもりもありませんが」
「まあ、聖女はアルトに仕える者じゃしな。そこは我も理解しておるし、むしろ鞍替えとかされても困るのじゃ」
あれはいつだったか、「信者を得るのは構わないが、聖女は勘弁してくれ」といった旨の話をアルトから受けていたはずだ。
「それと、これから実施する魔の森の調査をどうしたらよいか、禁言に抵触しないように考えないといけなくなりましたわ。どうしてくれますの?」
「それは……迷惑をかけるのう」
恨みがましく告げられた言葉に、イナリは苦笑いで返すことしかできなかった。ただ、この様子ならばイナリの味方とまではいかずとも、不利になるような動きはしなさそうである。
こうして話している間にも、ランティスは床のスクロールを回収し、広げて中身を一瞥していく。
「……しかし、勝手に家が売られたり、別人と誤認されて投獄されたり……貴方、随分な受難体質ですわね。憑き物でもあるのではなくて?」
「我、どちらかと言えば憑く側の気もするがのう。……そうじゃ、お主の例の魔法で我の『可能性』とやらを見てみぬか?」
イナリは僅かにベッドから身を起こし、胸に手を当てて申し出る。その言葉を予想していなかったのだろう、ランティスは目を丸くする。
「……よいのですか?」
「うむ。エリスが無限の可能性を秘めているのなら、きっと我もすごいはずじゃぞ?」
「そうですわね、ではお言葉に甘えて……少しじっとしていて下さいませ」
ランティスはイナリを数秒ほどじっくりと見つめると、わなわなと震え出した。
「ど、どうじゃ。その様子、我の秘める可能性によほど感動したと見える。……まさか、無限に受難を受けるとか、そういうのではないよの?」
「……ええ、違いますわ」
「ほっ、それは良かったのじゃ」
イナリは胸をなでおろした。「この先ずっと酷い目に遭い続ける」なんて言われたら、この先どんな気分で生きていけばいいのかわからなくなっていたところだ。
「それで?具体的にはどんな感じじゃ?」
「……貴方の可能性が、直近で途切れていますの」
ランティスの言葉が質素な部屋に重く響き、溶けていく。
「……それは、その、どういうことじゃ?」
「つまり、このままだと貴方……死にますわよ」
「ほえ……」
イナリの口から鳴き声が漏れる。
受難体質の豊穣神の未来は、お先真っ暗であった。




