448 イナリの過去.zip (46MB)
「ほれ、触れないと過去は見えないのじゃろ?早う触れぬか」
イナリが催促しても室内に満ちた困惑の空気は消えない。そんな中、エリスが皆の意思を代弁するように問いかけてくる。
「イナリさん……どうして?」
「どうしても何も、この聖女はエリスの過去を知りたいが、エリスは我の過去を知られまいとそれを拒んでおるのじゃろ?ならば我がその問題を排除してやれば解決じゃ。何か問題があるかの?」
「問題あります!」
イナリの言葉をエリスは即座に否定する。
「だって、私ですら知らないイナリさんの過去を、一緒に過ごしながらゆっくり知っていこうと思っていたそれを、出会って数十分の他人が全部知るんですよ?そんなこと、許せないじゃないですか。イナリさんは私のものです。イナリさんのことを一番知っているのは、私でないと……」
「ひえっ」
イナリの軽率な行動により、久々に割と強めのエリスの闇が漏れ出てしまった。これには散々過去を知りたいと騒いでいたランティスもドン引きである。
「わ、悪いことは言いませんわ。貴方、この方とは距離を置いた方がいいですわ」
「気持ちはわかるが、エリスはこういう者だととうに知っておるし、気遣い無用じゃ」
ランティスの本心からであろう忠告にイナリは首を振った。この間にもエリスは濁った瞳でぼそぼそ何か言っているが、今は一旦聞き流すことにする。
「ご、ご友人の皆さまからも何か言って差し上げたらどうかしら?」
「本当に困っていたら別ですが、基本的に人間関係には口出しはしない主義でして」
「冒険者稼業は危険が察知できないと成り立たないんでね」
「リズ、ドラゴンの尾は踏みたくない……」
「そ、そうですの……」
エリック、ディル、リズはそれぞれの言葉でランティスの言葉に首を振った。エリック以外の二名に関しては、エリスの事を危険人物扱いしているのが丸わかりである。
「そんなに我らの関係が心配なら、それこそ我の過去を見ればよかろう。……エリスのことは、我が後でどうにか言いくるめるのじゃ」
幸い、といっていいのかはわからないが、独占欲が暴走したエリスはイナリ達の会話を全然聞いていないようである。多少悪いと思う気持ちこそあるが、話を進めるなら今のうちである。
ランティスもその意図を汲んでか、イナリが差し出していた手を掴む。
「……そうですわね。健全な関係であることが分かればそれで十分なのですから。第三者として、客観的に判断して差し上げます」
ランティスはそう宣言すると、聖女らしい凛とした表情をつくる。
「改めまして、これからあなたの過去を覗かせて頂きますわ。先ほども確認しました通り、知りえた情報はあなたの同意がなければ他人に伝えることはできません。最後に確認したいことがあれば、今のうちにお尋ねくださいませ」
「特に……ああいや、一つあったのう。お主が知った過去はスクロールになると聞いたのじゃ。この場に居る者を退室させた方がよいのじゃろか」
「いえ、その必要はございません。スクロールは聖魔法で構成されますから、私以外触れられませんの。当然、盗み見ることも不可能ですわ」
「つまり、伝説の聖魔法を生で見ることができるってことだよね?」
そういえば、リズは「時詠みの聖女」の聖魔法に興味があると言っていたのだったか。どうやらイナリは思わぬ形で彼女の望みを叶えることになったようである。
「それが聞けて安心したのじゃ。では、始めるがよい」
「一度儀式を始めたら中断はできません。途中で気が変わったと言われても、私からは何もできませんが……準備はよろしいですわね?」
「うむ」
確認するランティスにイナリは肯いて返した。
「では――『我が主神よ、かの者の歩んだ道を我の前に示したまえ』」
瞳を閉じたランティスが詠唱すると、イナリと触れていた手が仄かに白い光を放ち始める。きっと今、ランティスはイナリの過去を覗いているのだろう。
その証拠に、何もない空中からぽんと一つ、また一つとスクロールが現れては地面に落ちていく。きっとそこにはイナリの神生の足跡が記されているのだろう。
「……ん?……あれ?ちょっと……」
神聖な空気が部屋に満ちたのも束の間、早速ランティスの様子がおかしくなり始めた。そうしている間にも、ぽんぽんとスクロールは出力され続けている。
「ちょ、ちょっと待ちなさい。長い、長くないかしら!?」
「そりゃあ我、そこらのエルフの比ではない時間を生きてきたからの。大体三十秒くらい経ったと思うが、今は何年分くらいじゃ?」
「二千年ですわ……一体どうなってますの!?」
「ふむ。まだまだ先は長そうじゃな」
イナリは自分の厳密な歳はわからないが、最低でも一億年は生きているはずだ。
だから、仮に三十秒で二千年遡れるとしたら、一分で四千年、一時間で二十四万年、一日で五百万年そこらだろうから……一億年分遡るには半月くらいかかるだろうか。この部屋がスクロールで埋め尽くされないで済めばいいのだが。
ランティス視点がどうなっているのかはわからないが、イナリの異常性は既に十分伝わっているようである。
「あ、貴方。一体、何なんですの……?」
「くふふ。我が答えずとも、そのまま読み続ければそのうち分かるじゃろうて」
「読み続けてって……一体どれだけの時間がかかると思って!?」
「さあ……。実のところ我も厳密には分からんのじゃ」
イナリが返すと、ランティスの顔が僅かに歪み、イナリを握る手に力が入った。
「しかし困ったのう。中断することもできないようじゃし……気が変わったと言われても、我には何もできないのじゃ」
「あなた、最初から、このつもりで……」
一度脳をめちゃくちゃにされた意趣返しと言わんばかりに、イナリは笑みを浮かべてランティスに告げた。といっても、目を閉じている彼女には見えていないだろうが。
「くっ……このままだと、頭がッ……!」
「……のう、頭が爆発したりとか、せんよの?」
聖魔法とはいえ、スクロールを作る過程でランティスの脳へ負荷がかかっているのだろう。ランティスが苦悶の声を上げる間も、スクロールは容赦なく生み出されていく。
これには上位者としての余裕を見せていたイナリも表情が強張る。だが既に、この状況に介入できる者は誰一人として存在しない。
ランティスはイナリの過去を読み続け、そして――。
「ミッ゜」
――変な声を上げた直後、立ったまま気絶した。
儀式が始まってから約三分――推定一万二千年ぶんの過去を読み取ったランティスは、ついに限界を迎えた。
気絶した瞬間、最後に生み出されたスクロールが床に落下する音だけが、部屋に虚しく響いた。
その後、エリック達が聖騎士を呼びに行き、気を失ったランティスはどこかへ運搬されていった。
重要な来賓の聖女が気を失ったとのことで、案の定大変な騒ぎになった。特にイナリの部屋に何人もの聖騎士が訪ねて来たと思えば、イナリを取り囲んで取り調べをしてくるものだから、なんと肩身の狭いことか。
エリスがいればもう少しマシだったが、彼女も事情聴取のために連れていかれてしまった。故にイナリは孤軍奮闘、水掛け論を余儀なくされてしまう。
「――じゃから、我はただ『時詠みの聖女』……様の厚意で過去を見てもらっただけなのじゃ!我は何もしておらぬ!!」
「ふん、獣人風情の言葉など信じられないな」
しかも相手は獣人をよく思っていない類の輩ときたのだから堪ったものではない。
「……まあいい。『時詠みの聖女』様がお目覚めになれば全て明らかになる。その時まで変な考えは起こさないことだ」
聖騎士たちはそう言い残して去っていった。仮にも病人で、見た目幼女なイナリに対してあんな態度を取れるなど、きっと碌な人間でないに違いない。
しばらくは聖騎士に対する苛立ちで悶々としていたイナリだが、誰も触れないせいで放置されたままになっている大量のスクロールを見て、イナリは冷静さを取り戻した。
いや、取り戻してしまった、というべきかもしれない。
「……我、もしかしてとんでもないことをしたのでは?」
何時だかイナリが危惧していた、治療もそこそこに見知らぬ土地に放逐される未来は、案外すぐそこにあるのかもしれない。




