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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
一般人イナリの受難

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445 脳破壊 ※別視点あり

「ところで折角お主に会えたことじゃし、少し聞いておきたいことがあるのじゃ」


「何か困っているの?」


「高確率で困ったことになる話じゃの。『時詠みの聖女』なる存在についてじゃ――」


 イナリは机の上のもちまるを揉みながら、問題の聖女について説明する。


「――というわけで、我がここに居るのは『時詠みの聖女』と鉢合わせるのを避けるためでもあるのじゃ」


「いい判断だったと思うわ。……でもそれって、貴方だけでいいのかしら?」


「む?」


 アースの不穏な問いに、イナリは首を傾げた。


「今、貴方の信者――エリスが教会に居るのよね?あの子も大概、貴方の秘密を握っていると思うのだけれど」


「……もしや、エリスも一緒に避難しておいた方が良かったかの?」


「『時詠みの聖女』がどの程度詳細に情報を得られるか次第よね……。話を聞いた限り、そこまで詳しいことはわからない気がするけれど……」


「そうなのかや?」


 首を傾げるイナリにアースが頷く。


「『時詠みの聖女』が能力を使うと、対象の過去や未来を記したスクロールが現れる……そう言ったわよね?」


「うむ。スクロールとは要するに、書物の事じゃよな?」


「そうね。つまり、それを読む作業が必ず発生するわ」


「ああ、もしや」


 何となくアースの言わんとすることに察しがついたイナリは、手をぺたりと叩く。


「察しがついたみたいね。何もかもが詳細に記されていたら、人間の処理能力では全部把握するなんて無理よ。記されている内容は、ある程度要約されていると見るべきね」


 アースは新しい紅茶を淹れながら頷いた。


「ただ、あくまで貴方の話に基づいた推理だから……例えば期間を指定して過去が読めるとか、スクロール云々は脚色で、実際は脳に直接情報が送り込まれるタイプの魔法だったりする可能性はあると思うわ。何にせよ、油断はしない方がいいわね」


 釘をさすアースの言葉に、イナリはごくりと唾をのむ。


「最悪の場合……それこそ、見られただけで過去が読み取れる類の魔法だったら、どうするべきじゃ?」


「うーん、出会わないのが一番なのは言わずもがなだけれど……いっそ読み取られた方が都合がいいかもしれないわね。貴方の何億年分の情報量に耐え切れず、脳が爆発するはずよ。そうすれば万事解決ね」


「代わりに別の問題が生まれてしまうのじゃが?」


 イナリがジトリとした目を向けて返すと、アースも本気で言っていたわけではないのだろう、冗談とばかりに笑った。


「あの信者、前に私が渡した指輪はまだつけてるかしら?アレを使えば向こうの様子がわかるかもしれないわ」


「指輪?ああ、そういえば向こうの音声が聞けるのじゃったか」


「そうそう。……よし、繋がりそうね。何か有益な情報は得られるかしら?」


 以前、イナリが死んだフリをした時は、エリスがイナリとイオリの違いを熱弁している様子を聞かされることになったが――今回はどうなることやら。


 イナリが尻尾を揺らしつつ待っていると、早速エリスの声が室内に響く。




「――だ、ダメです『時詠みの聖女』様。こんなところで――」




「む?」


 聞こえてきたのは、エリスの焦るような声であった。


 続けて、イナリが聞いたことのない、気品を感じさせる女の声が響く。エリスの発言からして、その女が「時詠みの聖女」なのだろう。




「――何も遠慮することなどありませんわ。今だけは互いの立場など忘れて、私に身を委ねて――」




 その声は、響き方からしてエリスのすぐ傍から発せられていた。エリスと「時詠みの聖女」は、物理的にかなり接近していることが察せられた。


 それに、聞こえた会話はどう考えても日常会話のそれではない。


「え、これ……え?」


 困惑混じりの声を漏らしながら何度も考えるが、最終的な結論は全て同じだ。


 エリスがぽっと出の聖女に奪われかけている――その事実に、イナリの脳は爆発した。




<「時詠みの聖女」視点>


 メルモート――グレリア王国の中でも最も安全な街と呼ばれる街。その街で一番大きな教会を尋ねると、私と同じ聖女であるアリシア様が私を出迎えて下さいます。


「――『時詠みの聖女』ランティス様。遠路はるばるお越しいただき、誠にありがとうございます」


「ごきげんよう、『慈愛の癒し手』アリシア様。こちらこそ、手厚く歓迎下さって光栄の限りですわ。ですが今回は調査が主題なのですし、簡易的なものでも構いませんでしたのよ?」


「いえいえ、私がお招きしたのですから、そんなことはできませんよ。先ほどの街の方へのご挨拶はいかがでしたか?」


「皆さま、静かに私の話を傾聴してくださいましたの。噂に違わず平和で、素晴らしい街ですわ。これもきっと、アリシア様やこの教会の皆さまの日々のご活躍の賜物でしょう」


「お褒め頂き光栄です。旅のお疲れもあるかと思いますので、早速ですがランティス様のお部屋をご案内いたします。お付きの方の皆さまのお部屋は他の神官がご案内しますので、しばらくお待ちください」


 私はアリシア様の誘導に従い、教会を抜けてゲストハウスへと案内されました。アリシア様は周囲に誰も居ないことを確かめると、肩の力を抜いて声を上げます。


「ハア……聖女同士の社交辞令って本当に疲れる!今日からしばらく、殆どこの感じで生活しないといけないのかぁ……」


「相変わらず上手く切り替えて過ごしていらっしゃいますのね。それ、窮屈じゃありませんこと?」


「窮屈だとは思うけど、もう今更といえば今更だからさ……」


「……確かに、性格が別物すぎて乱心を疑われますわね」


 アリシア様は、聖女同士とごく一部の親友の前でだけ素を見せる、中々に器用なことをされているお方です。私の場合……「親友」枠だと嬉しいですが、きっと「聖女」枠なのでしょうね。


「ともかく、色々と忙しいのに来てくれてありがとう。今回の件、私だけじゃ手に負えなくて……」


「魔王絡みの問題である以上、聖女として無下にはできませんわ。聞いただけでも複雑でしたし、私でも一人で対応したくない案件ですの」


「ランティス様でもそう思うくらいなんだなあ……」


 まだアリシア様からの手紙で大まかに概要を聞かされただけですが、それでも魔王崇拝者に、それを利用しようとする人間に、魔王に……関与する勢力が多すぎて、一人で考えていたら脳が沸騰するに違いありませんわ。


「とりあえず本格的な話は明日からということで、今日はゆっくり休んで。荷物は後で届けて貰えるらしいから」


「ええ、お言葉に甘えさせて頂きますわ」


 私が返事を返すと、アリシア様は優雅に一礼してゲストハウスを後にしました。


 折角居心地が良い場所を用意して頂けましたし、荷物の整理を終えたらさっさと身を清めて――。


「……いや、その前に軽く教会や孤児院の皆さまにもご挨拶をしないといけませんわね。日も短くなってきましたし、暗くなる前に済ませませんと」


 私はアリシア様の後に続く形でゲストハウスから出ることにしました。





 私の魔法は対象の過去と僅かな未来を視る――と思われがちですが、厳密には違います。


 この事実はごくわずかな者にしか知られていませんが、私の魔法は実は、対象の過去を視る魔法と、対象の「可能性」を視る魔法――二つで一つの魔法なのです。


 前者は対象に一定時間触れ続けることで、対象の過去を記したスクロールを生み出す魔法。


 後者は対象を少し見るだけで詠唱もなく発動できる魔法。「可能性」とは、寿命、商売の成否、仕事の成果――広い意味での未来を指します。経験上、善行を積んだ者は良い「可能性」、悪行を積んだ者は悪い「可能性」が多いという相関があります。


 ですから、孤児院や神官長を始めとした教会の皆さまにご挨拶して回れば、どの方々も良い「可能性」を持っている方ばかりで、真っすぐに生きてきた素晴らしい方々なのだろうと、すぐにわかりました。


 だから、本当にこの街は素晴らしい場所――そう思っていた矢先。


 私は、「その方」を見つけてしまいました。


「貴方、何をなさっているの?」


「……と、『時詠みの聖女』様……ですか?」


 私が声を掛けると、「その方」はギギギと壊れた人形のように私に顔を向けます。


「ここは、教会が保護している方が寝泊まりするためのお部屋ですわよね?」


 部屋の入り口には「イナリ」と書かれた名札と、「外出中」の札が掲げられています。


「貴方、お名前は?」


「え、エリスと、申します……」


 エリス。確か、アリシア様の親友の名前も似たような名前だった気がしますが……。


「ベッドに顔を埋めて深呼吸を繰り返していた理由を、教えて下さる?」


 私が問いかけると、エリスと名乗った神官は体を隠すように毛布で身を包み、さらに抱き寄せました。


「そ、その、私、この方から摂れる成分を摂取しないと生きていけなくて、ですね……」


 一体何を言っているのか、全く理解が出来ませんでした。解説されても理解できる自信はありませんが。


「……人の趣味趣向に口出しをする趣味はありませんが、それでも感心できる行為ではありませんわ。貴方がこんなことをしていると知ったら、ここで過ごしているこの、イナリという方は悲しむのではなくて?」


「え、ええと。ご本人から公認頂いているので、そこは大丈夫かと」


「……教会の皆さんも、失望されますわよ?」


「既に周知の事実です」


「神が見ていらっしゃるのよ?」


「きっとお許し下さいます」


「とんでもねえ化け物ですわね」


 一切の迷いが無いその目に、私は一周回って感動すら覚えました。こんな怪物、きっと碌な「可能性」を持ち合わせていないに違いありません。


 そう思いつつ、この怪物の「可能性」を覗き見てみたところ、そこには――。


「無限の、可能性……?」


 これまでも目覚ましい可能性を秘めている方に助言をしてきたことはありますが、こんな結果は一度も見たことがありません。突然の出来事に、私は思わず声を漏らしました。


「『時詠みの聖女』様?ど、どうかなさいましたか」


 もっと、この方の事を知らねばならない。


「貴方の過去を、私に見せなさい」


 私は一歩、寝室に足を踏み入れました。




 ……こうして夢中になっていたあまり、私は気づいていなかったのです。


「――だ、ダメです『時詠みの聖女』様。こんなところで――」


「何も遠慮することなどありませんわ。今だけは互いの立場など忘れて、私に身を委ねて――」


 見知らぬ誰かの寝室で、傍から見たらとんでもない誤解を招きそうな様相を呈していたことに。

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