444 逆こっくりさん
「もちまるが我の力を、吸っている……?」
「ええ。その様子からして知らなかったのね」
しばし間を置いてぽかんとした表情で復唱するイナリにアースが頷く。少しずつその言葉の意味を理解したイナリの背筋に、じわじわと嫌な汗が浮かぶ。
「そ、それは大丈夫なのかや?我、神でなくなってしまうのか!?大変なのじゃ、我が神でなくなったら、我はただの可憐な狐獣人になってしまうのじゃ!!」
「よかったじゃない、十分引く手あまたよ」
「よくないのじゃ!わ、我はどうしたら……!」
目に涙を浮かべてパニックに陥るイナリを見て、アースは慌てる必要は無いと言わんばかりに落ち着いた動作で紅茶を一口啜る。
「ま、安心しなさいな。あくまでも神の力は貴方の体内から生まれている物よ。当然、貴方が神でなくなることは無いわ」
「そ、そうか……」
イナリは胸をなでおろした。もしもちまるが時間をかけてイナリの立場に取って代わろうと企んでいたなんてことがあったら、イナリは人間不信……いや、スライム不信になっていたことだろう。
「とはいえ、うちのイナリの回復を妨げているのだから、理由くらいは説明してもらうのが筋よね?」
席を立ったアースは、膝上のもちまるをむんずと掴み、机の上に置いた。その様子はさながら、証言台に上げられた容疑者のそれである。
続けて、アースは一枚の紙を机に敷いた。そこには「はい」「いいえ」の二択と、数字を含めた文字がずらりと記されていた。
「質問に正直に答えなさい。イナリは貴方に激甘みたいだけど、私はそうはいかないわよ」
アースの言葉を聞いたもちまるは、しばしその場で震えた後、「はい」の上に移動して一回跳ねた。
「まず、貴方はどういうつもりでイナリに近づいたのかしら」
アースが問いかけると、もちまるは紙のあちこちを行き来し、ぴょんぴょんと跳ねて文字を指していく。見ている分には可愛げがあるが、時間がかかって眠くなりそうだ。
「……もちまるは、我が森で拾ったのじゃ。元は三体いたのじゃが、一体は我が事故で倒し、もう一体はその辺の草に刺されて吸収されたのじゃ」
先にイナリが補足している間に、文字を指し終えたもちまるが定位置に戻る。
『わがはい いきる ゆいいつのみち』
「イナリに保護されないと死にかねない状況だった、ということね。イナリの証言とも矛盾しないわ」
「それより、こやつの一人称が『吾輩』なことが衝撃なのじゃが」
アースが冷静に分析する傍ら、一人称「我」の狐少女はズレた感想を零した。
「貴方、普通のスライムではないわよね?元々そうだったの?」
『いいえ』
「違うみたいじゃな」
もちまるが続けて紙の上を這いまわる。
『あるじ ちから くれた』
もちまるの応答に首を傾げるのはイナリだ。
「我が力を与えたから賢くなったと?しかし、我はお主の世話こそしてやったが、力を与えたつもりはないのじゃ」
「つまり、無知なイナリに拾ってもらったのをいいことに、そのまま寄生していたということね?」
『いいえ』『いいえ』『いいえ』
アースがもちまるに圧をかけながら問うと、もちまるはわかりやすく必死に否定し、続けて紙の上を這いまわる。
『あるじ あうまえ もう ちから もらった』
「……我がお主を拾う前から、我の力を持っていた?」
『はい』
「……もしや、我の成長促進の影響を受けておったのか?」
「植物にしか効かないと思っていたけれど。もしかしてこの世界のスライムって、植物扱いされてるのかしら。アルトに聞かないとわかりようがないわね……」
イナリ達が推理を続ける間も、もちまるは文字を指し示し続ける。
『なぞちから わがはい かしこくした』
『あるじ あう わかる ちから しょうたい』
「イナリの力が貴方に知性をもたらしたけれど、その力が何かはわからなかった?」
「それが我と会ったことで、我の力だと理解した、と」
アースとイナリの言葉に、もちまるが「はい」の上で何度も跳ねる。
「それなら、イナリに飼われる選択をしたのは賢い選択だと思うけれど……イナリの治療を遅らせるほど力を吸うのは頂けないわ」
「そ、それはそうじゃが。もちまるよ、お主に我を害するつもりは無かったのじゃろ?」
『はい』
もちまるが即座に返したのでイナリは安堵した。これで「だましてわるいが」とか言われようものなら、普通に泣いていたかもしれない。
もちまるは続けて紙の上を動き回る。だんだん慣れてきたのか、体を器用に伸縮して軽快に動き始めている。
『あるじ たすけたかった』
「も、もちまるぅ……!」
「……感動的な雰囲気を出しているところ悪いけど、イナリの力を吸うことがイナリを助けることに繋がる意味が分からないわ」
アースが冷や水を浴びせるように告げると、またもちまるが動く。
『めすに いいよられて こまってた わがはい たす』
「ごめんなさい、ちょっと待って貰える?」
アースはもちまるの動きを手で制し、こめかみを抑える。
「どうか、何かの間違いであってほしいのだけれど……女に言い寄られてたって言ったかしら?」
「そ、そうみたいじゃな」
「……イナリ貴方、何をしているの?」
「は、はは。その、ちと、勘違いさせてしもうてな?大体、十人くらいから……」
目を泳がせ、手をもじもじと弄りながら言い訳するイナリに、アースは深いため息を零した。
「……忘れてるかもしれないけれど、一応私、貴方の生みの親でもあるの。自分の子が女性関係拗らせて、飼っているスライムに気を遣われたって知って、どうしたらいいのかしら?」
「す、すまんのじゃ……」
返す言葉が無いとはこのことである。方々に謝って事態を収束させたかと思っていたが、まさかスライムにまで心配をかけていたとは思わなかった。
……いや、その割に修羅場が始まったらすぐに逃げていた気がするが。それはそれ、これはこれということだろうか。
「まあ、そういうことなら、イナリの力を吸う意味はない……というか、もう十分吸ったでしょ?これからは勝手に力を吸うのはやめること。もし吸いたいなら、イナリに聞いてからにするように」
アースが子供に言い聞かせるように締めくくると、もちまるは「はい」の上で跳ねた。
しかし、イナリの成長促進が一部の魔物に直接効くというのは意外である。そういえば、ディルの言うことには魔の森にイナリが生んだと思われる妙な魔物がいると言っていたが、それもある意味もちまるに似たような事例なのかもしれない。
まあ、もちまるに関しては強くなってくれた方がイナリも嬉しいので、たまになら力を与えてやってもいいだろう。弱すぎてうっかり潰してしまった、なんて悲しい別れは御免である。
「何だか、心配して損した気分だわ。……エリスはさっきの話、知ってるの?」
「うむ。色々怒られたりはしたが、エリスが一番だと伝えたら許して貰えたのじゃ」
「……貴方の将来が、心配だわ」
項垂れて呟いたアースの言葉に、もちまるが「はい」の上で飛び跳ねた。




