411 豊穣神は魔王と紙一重
四方八方から植物が魔術師に向けて勢いよく伸びていく。
イナリは今、神生の中で一番と言っていいほど感覚が冴えていた。それ故、己の成長促進を制御し、魔の森のすべての植物を意のままに操ることができる状態になっていた。
こんな芸当ができている理由にはある程度当たりが付いている。それは「怒り」――エリスが植物を操った時に「カッとなって」できたと言っていたのと同じことだ。
これが普段から活用できるようになれば、イナリは飛躍的な成長を遂げたと言えるのだが……今はそんなことより、イナリの大切な者に手を出した目の前の男に神罰を与えてやるのが最優先だ。
「まず一つ、この我が貴様の大きな勘違いを教えてやろう――」
「『ウォーターブレイド』!」
「――ひゃわっ!?つ、冷たいのじゃ!貴様、我の話を聞かぬか!」
イナリが指を立てて口を開いた直後、魔術師が植物たちを切断するために放った水魔法の飛沫がイナリに降りかかる。冬のような寒さのせいもあり、折角出していた威厳は台無しになってしまった。
「『フィールドミスト』」
慌てたイナリが目を離している隙に、魔術師が発動した魔法により彼の周辺が霧に覆われ、あっという間に姿を見失った。
「ぐぬぬ、厄介な……いや、今ならやりようがあるのう?」
名案が浮かんだイナリはポンと手を叩くと、深呼吸して神経を研ぎ澄ませる。
まず、自身を中心に適当な半径――魔術師もすぐに逃げることはできないだろうし、ここに来る前に休んだ村を囲むくらいの大きさでいいだろう――そのくらいの大きさで円状に生えている木々に意識を割き、それに向けて集中的に成長促進を注ぎ込む。
すると、イナリを取り囲むように、地面を割るような音を鳴らしつつ巨大な木々が聳え立つ。魔術師が逃げるのを防ぐための壁としては十分だろう。
「うむ、上出来じゃ。あとはこれを――」
イナリは続けて、壁となった木々の外側から別の植物で押し込み、少しずつ半径を狭めていく。
「む、意外と難しい……というかこれは、街の方は大慌てに違いないのう……」
……地面が振動しており、外側がとんでもないことになっているのは想像に難くない。きっと今頃、街の人間は大慌てだろう。
豊穣神とはかけ離れた所業をしていると思うと些か複雑な心境にもなるが、あの魔術師を逃がしたときの面倒さを考えれば全く気にならない。そう、今は手段を選んでいられないのだ。
「エリスよ、すぐに片をつけるのじゃ。もう少し待っておれ……」
イナリは花畑に倒れたエリスの傍に寄り、姿勢を整えてやりながら声を掛けた。
「――ハア、ハア……どうやら、俺が逃げることは、叶わないようだな」
こうして少しずつ壁を狭めて、約五分ほど――壁となった木々の上方が曲がって上方で絡み合い、日光すら遮り始めた頃。
イナリの暴挙が止まらないことを察したのだろう、魔術師の方から姿を現した。外套はあちこちに土や葉がついてボロボロになっていた。
「よくわかっておるのう。さ、堪忍して大人しく捕まるがよい」
イナリはそう告げると、魔術師の足元の草に集中的に成長促進を発動し、あっさりと魔術師を縛り上げた。
「……拍子抜けじゃな。もう少し抵抗するかと思っておったが」
「こんなものを見せられて、ゲホッ……どう抵抗しろと?……俺はもう、疲れた。ゴホッ……」
魔術師の男は咳き込みながら答えた。彼は呼吸器が弱いと言っていたし、体力自体はそう多くないのだろう。
さて、こうなった以上、この魔術師の命はイナリが握ったも同然だ。
この男はイナリ達の秘密を知っている敵である以上、もはや生かす選択肢は無い。一刻も早くこの男を始末してエリスの救助にあたりたいところだが、その前に話しておかねばならないことがある。
「貴様は強くなるために魔核片を取り込んだと言っておったのう。その詳細を話すのじゃ」
これは単純にイナリだけでなく、アルトも関わる重大な問題だ。魔核片を取り込み、神の紛い物じみた能力を持つ人間がポコポコと現れるなど、洒落にならない。
以前イナリが牢獄に入れられていた時のように、アルトは時折こういった人間に「対処」していると言っていたが、できることなら根本的に解決できた方が彼の手間も減るはずだ。
そんな意図をこめたイナリの問いに、魔術師は地面に唾を吐いて返した。
「誰が話すか、化物め」
「あ?」
イナリは怒気を孕んだ低い声を上げ、僅かに魔術師の身体に纏っている草の締め付けを強くした。草木がギリギリと音を鳴らし、魔術師の男の口から息が漏れる。
「ぐっ……貴様が、化物だと、言ったんだ。ゴホッ……間違っているか? 俺を捕えるためだけに、天変地異を起こすような存在を、化物と呼ばずして、何と呼ぶ?」
「……貴様がエリスに手を出さなければ、我もこんなことをする必要は無かった」
イナリはエリスを一瞥しつつ返した。魔術師を捕えることに集中していたためにやや沈静化していた怒りが、またふつふつと込み上げてくる。
「……貴様は我の力の代償が何だと宣っておったが、我の力は生来のものじゃ。貴様がしたことは、ただの憂さ晴らしに過ぎぬ」
「そうだな。俺は貴様が、心底気に入らない。この俺が代償を払って得た力すら満足に通用しない、理不尽極まりない、貴様と言う存在がな」
「どうにも、我らは全く相容れぬ存在のようじゃ。もうよい、先の疑問も我自身で調べるとしようぞ」
「そうか。では、俺は用済みだろう。殺したければ、殺せ」
魔術師の言葉に、イナリは改めて、この男に手を下してよいか考える。
状態が不安なエリスを放置してでも、この男から情報を聞き出すことに価値があるのだろうか。果たして信用に足るかどうかも分からない情報を?
どう考えても、ここで時間を費やすことは不毛でしかないだろう。そう判断したイナリは、一歩前に踏み出し、男の姿を見据え、口を開く。
「お望み通り、そうさせてもらうのじゃ。苦しませないことを冥途で感謝するがよい」
イナリは一言答えると、草花で魔術師を包みこみ、圧し潰した。一瞬だったので、きっと痛みは無いだろう。
「……全く、最後まで嫌な気分にさせてくれる」
魔術師を拘束していた草花は、奇しくもこの花畑に相応しい巨大なつぼみのような形状になっていた。ここまでの魔王の如き所業の中、唯一の豊穣神らしさであろう。
「――エリスよ、今助けるからの」
イナリはエリスに声を掛けつつ、鞄に入ったポーションを漁る。出発する前にポーションの内訳は一緒に確認したので、途方に暮れることはない。
「……ええと、まずは解毒ポーションから……」
イナリは一つ少し前にも使ったものと同種のポーションを手に取ると、エリスの身体を起こして口に流し込んだ。
「で、次は回復ポーション……いや、ここは『群青神薬』かの」
回復ポーションはどちらかと言うと怪我などに効くが、その点「群青神薬」は体力や気力を回復するためのポーションだ。今のエリスの状態を鑑みると、後者の方が適当だろう。
イナリは「群青神薬」の栓を抜き、少しだけ自分も飲んでからエリスに飲ませる。
「……うっ!?けほっ、けほ……」
「エリスよ、気が付いたか?気分はどうじゃ」
咽るエリスを心配しつつ、一旦回復したことにイナリは安堵する。
「……イナリさん?あの、敵は?」
「我が倒したのじゃ。ああ、動かなくてよいのじゃ」
身を起こそうとしたエリスをイナリは引き留めた。彼女は回復術師だが、だからと言って気絶から復帰した直後に活動させるのはイナリとしても本意ではない。
「ごめんなさい、私が、不甲斐ないばかりに……」
「よいよい、あれは相手が悪いのじゃ。それに今の我は強いからの、お主を運ぶこともできるじゃろう」
イナリは細い腕で力こぶを作って見せた。なお、運ぶとしたら植物を利用するしかないので、今自慢げに見せつけているイナリの筋力は何の役にも立たない。
「ただ、人に遭遇すると拙い故、不可視術だけ解除して欲しいのじゃ。……それだけ、どうにかできそうかの?」
「……大丈夫です」
こうして、準備を終えた二人は花畑を後にした。
そして後には、巨大な蕾と気を失った悪党だけが残された。……ここはイナリの力により隔絶されているし、魔物に食われたりはしないだろう。多分。




