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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
魔の森修復作戦(仮題)

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393 つかの間の休息

 魔の森へ店主の様子を見に行った翌日、イナリは朝からエリスと共に街を散歩していた。


「こうして街を歩いたのは久々な気がするのう」


 イナリは街の景色を眺めつつ呟く。


 何も考えずに公園で串焼きを食べ、朝市や商業地区の店を見て回る。それに満足したら見晴らしのいい場所から街を見下ろし、蟻のように動いている人々の往来を眺める。実に贅沢な時間の使い方である。


 昨日の今日で随分と悠長なものだと思われそうだが、これから忙しくなることを見越して、一旦森の事は忘れて気分転換をしておいた方がいいと提案されたのだ。


 言い換えるなら、イナリの貴重な休日なのである。かつて年中休日だった日々からは考えられないことだ。


 そんなイナリの呟きに対し、エリスが返す。


「私は教会に行ったりもしていたのでまだマシですけど、イナリさんは本当に森か家かの二択、辛うじて冒険者ギルドに足を運ぶ生活でしたからね、無理もありません。……イナリさんの感覚だと、森で過ごすのは特に苦にならないのですか?」


「そうじゃな。苦になるのはあの人間どもの存在じゃ」


 イナリが顔を顰めると、エリスはしまったと顔を覆って項垂れる。


「すみません、迂闊でした。今は森の事は忘れましょうって、私が言い出したことでしたよね」


「完全に忘れるなど元より不可能なことよ。忌々しいことに、あやつらは我の社だけでなく、脳内にまで居座っておるのじゃ」


「む、それはいけませんね。イナリさんの脳内は私の場所ですよ」


「何じゃそれは……?」


 前々からイナリが自分のものだと主張していた彼女は、ついにイナリの脳内領域にまで手を伸ばし始めたようである。何を言っているかわからないと思うが、イナリにもよくわからない。一つわかるのは、こうなったエリスを止めることはできないということだけである。


 もしや、ずっと魔の森を連れ回していたせいでおかしくなってしまったのだろうか。


「……お主には無理をさせておるし、一通り落ち着いたら我直々に労ってやるのじゃ」


「本当ですか?別に無理をしていたつもりはありませんけど、楽しみにしておきますね」


「うむ。神たる我が人を労うなど中々無いことじゃ、ありがたく思うがよい!」


 人を労う機会がそもそも皆無だったのだから当然と言えば当然なのだが。そんな悲しい事実は見て見ぬふりをして、イナリは胸を張って最大限の威厳を放った。


 さて、こうなるともちまるやエリスとの予定が山積みになってきている。しかし一番忘れてはならないのは、勇者と魔王の動向だろう。……あ、フルーティにも何か言われていた気がする。


 まあそれは置いておいて、そう、魔王のことだ。


 空模様を見るにまだ魔王は健在のようだが、そろそろいつ討たれてもおかしくない頃合いだろう。魔の森の件が片付くと同時に討伐されるなんてことも全然あり得る。


 カイトが魔王を討った後はアルトが迎えに行くらしいが、果たしてどうなることやら。アルトはちょくちょく危険思想に走るし、カイトはカイトでしばしば突飛な事を言い出す印象がある。変に話が拗れないことを祈るばかりだ。


 ……まあ、変な事になったらアースも巻き込んでどうにかするとしよう。




 昼下がり、やや遅めの昼食のために食事処を吟味していると、見知った顔に出会った。


「イナリちゃん、エリスさん、こんにちは!これからご飯ですか?」


「うむ。良き店を探しておる」


「なら、よければ一緒にどうかな?イナリちゃんと少し話したいことがあって……エリスさんもご一緒に、是非!」


「我は構わぬが、エリスはどうじゃ?」


「私も大丈夫です。大丈夫なんですけど……その、そちらの方もご一緒に?」


 エリスは困惑混じりに、ハイドラの隣に立っている、ここまで一言も喋っていない水色の魔術師を指して尋ねた。


「あ、そうです。この人、以前ご相談させて頂いたスティレさんです!」


「どうも」


 エリスの問いかけを受け、両手を駆使して元気に紹介するハイドラと対照的に、スティレは実に淡泊に小さく手をあげて会釈した。


 その様子にエリスはやや困惑しつつも挨拶を返す。


「は、はい。『虹色旅団』所属の回復術師、エリスです。イナリさんの保護者をさせていただいてます」


「噂には聞いている。森を守る同志の保護者なら、貴方も実質、森を守る同志」


「その概念って実質とか言っていいやつなんだ」


 随分と大雑把な判定なようだが、ひとまずエリスも同志となったようだ。実際、豊穣神の力を借りた聖魔法が使えるので、文句を付ける余地は無いだろう。




 かくして、ハイドラの案内によりイナリ達は「ウサギの箱庭」なる店に案内された。普通の喫茶店や大衆向けの飲食店とは違い、全て個室になっている形式の店である。


 壁に掛けられた絵や花瓶の草花と言った装飾もさることながら、耳がいいイナリでも他の客の話し声が殆ど聞こえない設計のおかげで、実に落ち着いた雰囲気である。


「ここ、錬金術関係の商談とかでよく使わせてもらってる店なんだ。店の名前も相まって私のお気に入りなの」


「中々趣がある店じゃの。して、ここは何が食べられるのじゃ」


「うーん、色々あるけど……名物は野菜鍋かな」


「肌寒いこの時期にはピッタリですね。それに、冒険者をしていると重めの食事に偏りがちなので、そういう意味でも嬉しいですね」


「同意。エルフ的にもいい」


 手を合わせて喜ぶエリスにスティレが頷く。そしてイナリは時間差で首を傾げる。


「……えるふ的に、とは?」


「私は気にしないけど、エルフは原理主義者ほど肉を嫌う。それはもう、吐くくらい」


「ああ、何となく理解したのじゃ。種族の問題というやつじゃな」


 ここには今、人間と獣人、エルフ、そして神が一堂に会している。冷静に考えるとかなり奇妙な空間だし、それぞれ価値観が異なっているだろうことは想像に難くない。


「じゃあ、種族を跨いで仲良くしましょうという意味も込めて鍋を注文します!」


「それはよい考えじゃ」


 同じ鍋をつついて親睦を深める考え方は異世界にもあるようだ。


 余談だが、イナリが地球でそういう経験をした事は無い。何故か境内で鍋を作り始めた人間から勝手に拝借したことが数回あるだけである。


「……時にハイドラよ。互いの話で盛り上がるのも一興じゃが、忘れないうちに我と話したかった件について聞いてもよいかの?」


「あっ、そうだね」


 話そうと思っていたことを後回しにした結果、時間が無くなってしまったせいで全然話せなかったり、別れた後でようやく思い出すことは往々にしてあることだ。


 だが、今のイナリには今後時間を取る余裕があるかは定かでない。ここは半ば強引に流れを切ってでも聞いておく必要があるだろう。


 そんな事情もありつつ、イナリの言葉にハッとした様子のハイドラは、居住まいを正して口を開く。


「改めて言うと、スティレさんと協力しつつ魔の森で除草活動をしてるの。その情報共有をしようかと思って」


「なるほどのう」


 確かにそれは気になると、イナリは納得の声を上げた。イナリが魔の森を燃やす準備を進めていた裏で、彼女らの首尾はどうなっていたのだろうか。

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