378 スライムの価値
魔の森から帰ったイナリ達は、街門横の詰所へと案内されていた。イナリは、石がむき出しの冷たい床を草履でてしてしと叩きながらぼやく。
「相変わらず圧迫感のある場所じゃな。石畳が冷たいのじゃ」
「そうですね。ですが、こうして身を寄せれば簡単に暖が取れますよ」
誤解が無いように断っておくと、今回取り調べを受けているのはイナリではなくスライムである。だからこそ、エリスは兵士の視線を気にも留めず、待合室の椅子でイナリにべたべたとくっついてくるのだ。
イナリは尻尾張り付き神官に好きなようにされながら、スライムが連れていかれた取調室の扉を眺めていた。
ここで少し、従魔の登録手続きについての話をしよう。
そもそも従魔とは、ざっくり人の管理下に置かれた魔物の事を指している。具体的には、飛竜便のドラゴン、冒険者や曲芸師が従えた魔物、スライムゼリーのもととなるスライム牧場のスライムたちがわかりやすいところだろう。
また、人にとって有益なものや躾けられたものである必要はない。戦闘訓練用に捕獲された、ただその辺で捕まえただけの魔物であっても、一応は従魔に括られるそうだ。
すなわち、イナリが「虹色旅団」の面々と出会った後魔物と判定されていた場合、イナリは定義上従魔となっていたわけである。もしそうなっていたら、イナリの人間社会での生活は全く別のものになっていたに違いない。
閑話休題。
意外なことに、従魔の手続きは至って単純だ。管理者の名前を紙に書いて提出し、一緒に手数料を納めるだけである。どこぞの「危険物なんたら」とかいう制度も、このわかりやすさを見習ってほしいものだ。
ただ、その手数料は一律ではなく、従魔の性質などを考慮して決定されるらしい。イナリが持ち込んだスライムは、今まさにその査定を受けているところなのである。
「……我がもし従魔だったら、果たして人間は、我の価値を如何ほどと見積もるのじゃろうな?」
「イナリさんに価値をつけるなんて、できるわけがないじゃないですか」
「くふふ、そうじゃな。人間が我に価値をつけるなぞ、不遜極まりないのじゃ」
気をよくしたイナリは、くつくつと笑いながらエリスに身を寄せた。
それから十分程経つと、取り調べ室に連行されていたスライムが、箱に入った状態でイナリの元へと返却された。中を覗いてみれば、透き通った色のスライムがもちもちと動いている。
「うむ、無事に戻ってきたようで安心したのじゃ。して、こやつを街に入れるのに、我はいくら払えばよいのじゃ?」
「銅貨一枚になります」
「さ、最低金額じゃ……」
「こんなことは滅多にないのですが、あらゆる観点から無害と判断されましたので」
絶句するイナリに、調査を行っていた兵士も微妙な面持ちで返した。
決してこの兵士の評価で従魔の価値が決まるわけではないことは分かっている。しかし、タダ同然と言われている事も知らずもちもちしている無垢なスライムを見て、同情しない者などいるだろうか?いや、いないだろう。
イナリは箱に収まっているスライムに手を伸ばし、今度は落ちないよう細心の注意を払いつつ、そっと抱え上げた。
「おお、もちまるよ。何と哀れな命じゃ。お主の事は、我がしっかり育ててやるからの」
「……もちまる?」
「こやつの名じゃ。今決めたのじゃ」
「なるほど、可愛くていいお名前だと思いますよ」
したり顔で告げたイナリは、スライム改めもちまるを箱に戻し、抱えて立ち上がった。その様子を見て、兵士がイナリ達を出口へと誘導する。
「これにて従魔登録は完了になります。それとは別件でご提案なのですが、無用なトラブルを避けるためにも、そちらのスライム……もちまる様が従魔であることが分かるようにしておいた方がよいでしょう」
「一理あるのじゃ。少し方法を考えてみるとしようぞ」
イナリはもちまるを「様」付けしたこの兵士に好感を持ちつつ頷いて返し、そのまま家路についた。
「――というわけで、新たな家族を迎えるのじゃ」
夕食の場にて、イナリは箱に入ったもちまるをパーティの面々に紹介した。それに対して肯定的な反応を見せるのはリズだ。
「生まれたてのスライムなんて中々お目に掛かれないよ。かわいいね!」
「くふふ、そうであろ。案外愛い奴なのじゃ」
イナリとリズがもちまるを指でつついて感触を楽しむ傍ら、懐疑的な態度を取るのは男性陣だ。
「このパーティハウス、従魔は大丈夫だったかな?飼うことを想定していなかったから、その辺の規定は確認してなかったんだ……」
「でしたら明日、私が確認しておきましょう。今日狩った魔物の素材をギルドに卸すので、そのついでにでも」
「ごめん、お願いするよ」
エリックはこの家の決まりについて懸念していたようである。人間は決まりを破ると何かと大変なことになるので、妥当な心配と言えよう。
「して、ディルはどうじゃ」
イナリはパンを一口齧り、ディルに目を向けた。彼はしばし言い淀んだ後、頭を掻きながら口を開く。
「まあ、イナリが責任を持つってんなら文句は無え。ただ……今後どう成長するかがわからねえのが怖えな」
「それはそうかも。スライムは環境の影響を受けやすいから、育て方次第だとは思うけど」
「その育て方について、アテがあるやつは?」
ディルの言葉に、一同の間に沈黙が訪れる。薄々感じていたことではあるが、誰もスライムの育て方はわからないようだ。
「……とりあえず明日、リズが魔法学校を当たってみる。先生なら何か知ってるかもしれないし、図書館もあるから、何かしらの情報は手に入ると思う」
「感謝するのじゃ」
イナリは手元でぷるぷる震えるスライムをつつきつつ、リズに礼を告げた。
「それと、どこで飼うかも考えないとね。無害と判断されたとはいえ、適当な管理はしない方がいい」
「ううむ、確かに……色々考える必要があるのう」
ディルやエリックの指摘に、衝動的にもちまるを飼うことにしたイナリは早速唸ることとなった。
その日の夜、イナリが眠る前のこと。
結局、今日のところは物置にもちまるを幽閉することになった。部屋としてすぐに施錠できるようになっている場所がここしかないのが一番の理由だ。さらに念には念を入れ、箱にも錠前を付けることになっている。
「もちまるよ、今日だけ我慢してくれたもれ」
イナリはもちまるを軽く抱きしめると、そっと箱の中に入れて蓋をした。
たかがスライム一体に対してここまでするのは可哀想に思えてしまうが、明日、起きたらどこかに行ってました、なんてことが起こると洒落にならない。これは仕方がないことだ。
一応申し訳程度に、箱は大きめのものを採用し、ついでにおやつとして果物と、水を入れた皿も用意しておいた。果たしてこれが適切な対応なのかは定かでないが、少なくとも、明日の朝までの対応としては十分のはずだ。
「イナリさんは優しいですね。実を言うと、少し意外でした」
後方から覗き込んで告げるエリスに、イナリは振り返る。
「我とて、あまりらしくないとは思っておる……が、あやつは我が守ってやらねばならぬと思うてしまっての」
それは、自分よりか弱い生き物に対する憐みかもしれないし、無数のスライムを知らぬ間に屠っていたことに対する、一抹の後ろめたさによるものかもしれない。
魔物に同情の余地など無いと言われてしまってはそれまでだが、少なくとも生まれたてのもちまるに関しては別のはずだ。
「ふふ、いい事だと思いますよ。私がいつもイナリさんに感じている気持ちと一緒ですね」
イナリは、微笑みながら告げたエリスとしばし見つめ合い、そして口を開いた。
「……我、もちまる並に弱いと思われておるのか?」
「流石にそこまでじゃないです」




