336 無難な滑り出し
イナリは馬車に乗るまで同行してきたリーゼやエリスにも一旦の別れを告げ、現在、主要路に沿って目的地へと向かう馬車に揺られていた。
この馬車は辛うじて四人乗れるかどうか程度の広さだが、毛皮や毛布などが設えられたそこそこ上質な造りになっていて、左右の硝子窓からは外の様子がよく見える。それに今回は護衛ということもあって、左右に馬が並んで歩いている。
「……今回は四本足の馬なのじゃな」
「四本足の馬の方が機動力が高いからね。護衛にはそっちの方が向いているんだ」
「ほーん」
対面に座るエリックの言葉に、イナリは気の抜けた返事を返した。
彼は今回、設定上「貴族イナリの付き人」になっている。つまり、緊急事態でイナリの身に危険が及びそうになった時の最後の砦である。勿論そんなことは起こらないだろうから、その実態は監督兼指導者である。
「時にエリックよ。此度の旅の計画を確認しても良いかや」
「勿論。まずは――」
イナリの言葉に、エリックが今回の日程について確認し始める。
その内容を要約すると、一日目は日が暮れるまで進む。二日目で目的地の町に着いたら補給を行い、その日のうちに折り返すか判断する。三日目か、遅くとも四日目の朝にはメルモートへと到着、解散の流れとなる予定である。
「――今は主要路だから安全だけど、そのうち道を外れるから、魔物の襲撃もあるだろうね」
「ふむ。その時はあの『疾風』の者らのお手並み拝見というわけじゃな」
「そういうことだ。僕たちは余程の事が無ければ、ここで皆の様子を見ることに努めよう」
「つまり、我がしていた事とは対して違わぬということよの。なら、我はここから応援してやるとするのじゃ。神直々の応援なぞ、そうそう賜れるものでもあるまい。くふふ、きっと魔物を撃退した暁には、あやつらは我を崇めずにはいられまい……」
「そうだといいね」
エリックは棒読みでイナリの言葉に同意した。
「さて、それまでは首を長くして待っておくとするかの。エリックよ、何かあったら声を掛けてくれたもれ」
イナリはエリックに声を掛けると、もぞもぞと姿勢と尻尾の位置を調整し、車輪が鳴らす小気味良い音を聞きながら目を閉じた。
何かが起こった暁には、何かいい感じの立ち回りを経て敬われる存在になるのである。そんな未来を夢見て。
だが、現実はそうはならなかった。いや、案の定と言った方が正しいかもしれない。
「何も起こらんのじゃ。どうなっておる、話が違うぞ……!?」
イナリが窓にぺたりと張り付いて外を見れば、既に空が紫がかり始めている。ついでに、それに気が付いた護衛の少女エナがギョッとしているが、それは置いておこう。
「エリックよ、魔物は現れなかったのかや!」
忙しくイナリがエリックに迫れば、彼は苦笑しつつイナリの肩に手を置いてそっと押し返し、座らせる。
「居たか居なかったかで言えば居たんだけどね。単発的なものばかりだったから、それで起こすのも悪いかと思って……」
「うううむ……確かに、そういうことなら、仕方あるまいな……」
イナリは腕を組み、うんうんと唸った末に言葉をひねり出した。
「細かい立ち回りの指導とかもしてたけど、そういうのも興味は無いでしょ?」
「それはそうじゃな」
先ほどとはうって変わって即答するイナリに、エリックは項垂れた。彼はイナリを一人前の冒険者にしたいのかもしれないが、今のところイナリ当人にその予定はない。
「まあ良い。明日以降に期待するとするとするのじゃ。しかし――」
イナリは再び外へと視線を戻し、馬車に並んで馬を歩かせる「疾風」の面々に目をやる。
「我、あやつらと全然話しておらんのう。貴族というのはこう、こういうのが普通なのかや?」
イナリは右手を空中に円を描くように動かしながら問う。
「冒険者と会話しないのかって話だね?結論から言うと、貴族次第って答えになるかな」
「これまた随分とあいまいじゃのう」
イナリが苦笑すると、エリックもまた苦笑する。
「気さくに話しかけてくる人も居るし、視界にすら入れたくない人も居る。最近はそこまで極端なところは少ないけれど」
「まあ、後者の輩の気持ちは分からなくもないのじゃ」
神という絶対的地位にあるイナリには、貴族がお高く留まる心理がわかる。
というのも、遠い昔、まだイナリが奉られていたころに、そういう時期が少しだけあったのだ。こう、ちょっと人間の行いが気に食わないから強めの嵐を呼んでやろうとか、そういう感じで。
それも加減を間違えて色々と収拾がつかなくなる一歩手前まで及んで以来、そういうことはしなくなった。イナリは反省ができる豊穣神なのである。巻き込まれた側は堪ったものではないだろうが、そこは時効ということにしておこう。
イナリが半ば黒歴史ともいえる過去の回想をしているうちに、エリックが言葉を重ねる。
「ただ、冒険者から見て貴族のスタンスを見極めるのは難しい。話せる貴族だと思って話しかけたら不敬で処刑なんて、そんな笑えない話は御免だよね」
「それはそうじゃの。……なるほど、ならば最初から話しかけないのが無難というわけじゃな」
「その通り。冒険者講習でもそういうふうに教えているよ」
エリックはどこか得意げに話を締めくくった。消極的な対処法ではあるが、いちいち状況に応じて判断するよりも圧倒的に明解かつ確実なのは間違いないだろう。
「で、その講習に参加しておる者はどれくらい居るのじゃ?確かお主、以前それについて言っておったよの。あれから人は増えたかや?」
「……少しだけ、ね」
日が沈むのと同じくらいの速度で暗くなっていくエリックの表情からして、冒険者講習の参加人数はあまり芳しくないようである。
それにしても、ギルドの事務員でもないのに、いったい何が彼をそこまで駆り立てるのだろう?そんな疑問こそあるものの、今聞くことではないだろう。
「あー……その、何じゃ、悪かったのう。我はお主のこと、応援しておるぞ?」
イナリは席を立ち、エリックの肩にぽんと手を置いて励ました。
「大丈夫。今回のこれが本命なんだ。今までのことは一旦忘れて、切り替えていけばいいんだ」
「うむ、その意気……で良いのかは分からぬが、まあ、元気が出たなら良いのじゃ」
「気を遣わせてごめんね。というわけで、話を戻すとして……全然『疾風』の人たちが話しかけに来ないのはそういう理由なんだけど、イナリちゃん、『疾風』の皆と話してみたいかい?」
「うーむ、そういう事は考えておらんかったのじゃ。ま、あやつらが我と話したいというのなら、その時は付き合ってやらんでもないがの?……あるいは原点に立ち返って、人間との繋がりを増やすのも悪くは無いかもしれぬが」
イナリはうんうんと唸ってはあれこれ思考を巡らせ、それを口に出した。その様子をエリックは微笑みながら眺めていた。
「とりあえず、折角だから一緒に夕食を食べられないか聞いてみようか」
「そうじゃな。その辺の調整はお主に一任しようぞ」
「わかった。皆話してみたいと思っているはずだから、きっと快諾してくれるよ」
「うむ。お主らは忘れてしまっておるようじゃが、神たる我と話すというのは名誉なことなのじゃからの。断るはずがあるまいて」
イナリが胸を張って告げた言葉に、エリックは小さく笑って返した。
既に空は暗くなり、星と月らしき星が浮かび始めている。一日目の旅路は、このままつつがなく終わりそうだ。




