333 魔の森のウワサ
イナリは現在、エリスとともに、ディルに代わって夜番をしていた。
その実態は、二人で隣り合って丸太に座りながら、鍋を煮込んでいる様子を眺めてぼうっとしているだけである。イナリが夜番に付き合っているのも、専らこの鍋を食すためだけなので、辺りの警戒など微塵もしていない。
「熱いので気を付けてくださいね」
「うむ」
料理をよそった木の器と匙を受け取ったイナリは、掬い取ったそれに息を吹きかけて冷まし、口に入れる。
「美味じゃ」
イナリはもはや定型句となりつつある台詞を零した。
この鍋は辺りで採れたものを主体としているようなので、ものすごく自然の味がする。昔からその辺の草やらを採って食べていたイナリにとっては食べ慣れた味だが、野菜が苦手なサニーやリズなどの子供組が食べたらひっくり返ってしまいそうだ。
「子供にはわからぬ味というわけじゃな、くふふ」
イナリが独り言を呟くと、エリスが生温かい視線を向けてきた。何だか不服なことを考えられているような気がした。
「……時にエリスよ」
「はい、何でしょうか」
「我が居らぬ間に、どれくらいの人間がここに来たのじゃろうか?」
イナリは野菜を頬張りながら、何となく気になったことを問いかけてみた。辺りに転がるゴミの量から、ある程度推測できるのではないかという意図である。
「そうですねえ……」
エリスが辺りを見回して長考する。
「……低めに見積もって百人くらいでしょうか」
「そ、そんなにかや」
「場所が場所ですし、大抵は団体で来るでしょうから。考えてみてください。この計算だと、五人組が二十回ここに来たら、それで百人です」
「確かに。そう考えると、むしろ少ないのやもしれぬな」
「そうですね。しかし、どうしてそんなことを?」
「いや、大したことではないのじゃが」
イナリはそう前置くと、食事を一口頬張り、嚥下してから続ける。
「我の狙いの一つが順調に達せられつつあると知って安心したのじゃ」
「狙い……人が来ることが、ですか?」
「然り。この地が我の物であると知らしめねば、またどこぞの馬の骨に、勝手に土地を明け渡されてしまうやもしれぬ。人に来てもらう事が、それの対策の一つとなるわけじゃな」
「ああ、イナリさんがここの前に住んでいた場所の話ですね。以前交流を深めるという話もありましたが……ここで繋がってくるわけですね」
「うむ。しかし、来る者が増えると問題が起きるのもまた事実。ゴミやら何やらを投棄されてしまうのは困るし、その旨はしっかりとギルドに伝えてほしいのじゃ」
「はい、お任せください」
イナリの言葉に、エリスは胸に手を当てて頷いた。
食事を終わらせた後は、カイトとイオリが起きてくるまで取り留めのない雑談で時間を潰し、再び寝床に戻った。
翌朝、イナリは何かが焼ける香りに目を覚ました。
「……なんのにおいじゃ?」
目をこすりながら身を起こして外を見れば、イナリを除く面々と、見知らぬ冒険者三名が向かい合って話していた。
その中央には焚火……ではなく、魔術師の女が出した炎で、イナリと同じくらいの大きさの獣を丸ごと焼いている様子が見える。
寝起きにしてはやや情報過多気味の光景にイナリが固まっていると、それに気が付いたエリスがぱっと笑みを浮かべて歩み寄ってくる。
「おはようございます、イナリさん。もう少ししたら声を掛けようかと思っていたところだったんです」
「うむ、おはようじゃ。あれ、誰じゃ」
イナリはやや呂律が回っていない声で問いかけた。
「つい先ほどここに来た冒険者の方々です。ディルさんの知り合いみたいで、朝食のお誘いをして下さったのですよ」
「ほーん……」
イナリは気の抜けた声を発しながら草履を履いて、冒険者たちの前へ向かった。
「おはよう。君も食べるか?」
「うむ」
イナリにとってはほぼほぼ初対面に等しい彼らの言葉に、イナリは尻尾を揺らして頷いた。
「しかし、その前に少し田を見に行っても良いかの?そうじゃな……十分くらいで戻るのじゃ」
「田というのは分からないが別に遠慮する必要はない。……一人で行くのか?」
「いえ、私が付き添います」
「私も少し用がある。付いて行こう」
冒険者の言葉に手を挙げたのはエリスとイオリだ。
「三人もいれば大丈夫だな。ちゃんと君たちの分も残しておくから、焦らず行ってくるといい」
「うちの狐が我儘言って悪いな」
ディルがイナリの頭に手を乗せて謝ると、冒険者の男は首を振る。
「いやいや、こちらが押し掛けた身だし、構わない。ここ最近は変な噂も多いからな、気を付けるんだぞ」
「うむ。……変な噂とは、この森の植生のことかや?」
「……兄貴もそうだが、誰も知らないでここに居るのか」
首を振って驚愕する冒険者の男の言葉に、イナリは無言でディルの方を見た。兄貴と呼ばれた彼は恥じらいを隠すように手を払うと、強引に話を進める。
「今は休暇中で、エリックもあまり情報を入れてないんだ。二度手間で悪いが、説明してやってくれ」
「……掻い摘んで説明させてもらう。いくつかあるんだが――」
彼の話曰く、この森には色々な噂があるらしい。
例えば、この辺りに盗賊がうろついているとか、盗賊とはまた別に謎の異教徒の集団が潜んでいるといった不穏な話から、夜になると女の悲鳴が聞こえるとか、いたく珍しい魔物が潜んでいるといった眉唾物まであるらしい。
要するに、良いことから悪いこと、真偽不明の謎まで、無駄に種類に富んでいるようだ。当然、樹浸食の魔王が復活した噂も含まれていた。
「まあ、これだけ広大な森があればさもありなん、じゃな」
「そういうものなのか……?」
暢気なイナリの言葉に、イオリとカイトが首を傾げた。冒険者の面々は特にそう思っていないようなので、イナリの認識はズレていないはずだ。
「臨時調査の依頼こそ規模が縮小されたが、代わりにこの手の依頼が別で立ち上がってな。冒険者で仕事に困ったらここに来れば間違いないからありがたい話だ。まあ今日は、激レア魔物で一攫千金を狙いに来ただけなんだが」
「げきれあ……その、居るかどうかも分からん魔物の事かや。あまり賢い選択とは思えぬが……」
イナリが耳を傾けて首を傾げると、突如として冒険者がこぶしを握り、声を上げる。
「何を言っているんだ、存在しない物を追いかけてこその冒険者だ!ここは兄貴にも譲れないところだ!」
「……まあ、よそのパーティの話だ。好きにすりゃいい」
そう言うディルの顔にはありありと「やめとけ」という言葉が浮かんでいた。ついでに、魔物を焼いている魔術師もどこか呆れたように無表情を貫いていた。
「……こほん。失礼、取り乱した。長話で引き留めて悪かったな、行ってくるといい」
「う、うむ」
こうして、イナリは川へと向かうべく、同行者の二人とともにその場を後にした。
「ううむ、問題が山積みじゃのう……」
「本当ですね。冒険者や兵士の活動である程度抑えこんでいるみたいですが」
「あの実現できるかどうか怪しい理想を追い求める感じ、ものすごい獣人みたいだったな」
イオリが腕を組んで頷くのを見て、イナリは彼女の方に目をやった。
「エリスはともかく、お主が来るのは意外だったのじゃ」
「ああ、少し聞きたいことがあってな。アースの事なんだが……勇者様と会わせることはできないか?」
「多分無理じゃ。あやつは忙しいからの」
「やっぱりそうだよな……」
実際のところがどうなのかは知らないし、ぶっちゃけ、しばしば顔を見せに来る辺り暇なんじゃないかと思った時期すらあったが、地球の管理で忙しいはずなのだ。それを抜きにしても、多分良い方向に事態が運ぶことは無いだろうという、理由のない確信があった。
「あと、アースの正体をカイトに告げたりしてはならぬぞ。最悪、我ら全員まとめて暗黒の世界に旅立つことになるからの」
「そ、そうだな。アースの力は十分理解しているし、勝手なことはしない……」
イオリはぷるぷると震えながら答えた。……逆説的に、イナリの力を理解していなさそうなことも察せられたが、イナリはあえてその事実から目を背けることにした。
ともあれ、全くと言っていいほど懸念していなかったアースの正体について、このタイミングでイオリの口止めができたのは僥倖であった。
さて、細々とした問題は一旦置いておくとして、整理もかねて、まずは直近の方針を立ててみることにしよう。
カイト達が魔王討伐のためにここを発つのを待つ。そして、適当な時機を見て、この森で再び成長促進を発動し、外来種問題を解決するとともに、メルモートの民に恵みを与える。
今でも順調にイナリがこの世界で暮らすための種は芽吹きつつあるが、人間に益があると示すことができれば、イナリが神だろうが魔王だろうが、皆に受け入れてもらえる余地が増え、より未来が盤石になるはずだ。
イナリは脳内で理想の未来を思い描き、小さく笑みを零した。
なお、イナリが一生懸命用意した田は、普通に川と見分けがつかなくなっていた。イナリは泣いた。




