281 議論の渋滞
もはや今のイナリに対話する余裕などない。故に、目前に現れた偽者と思しきエリスに対する煩わしさに身を任せ、振り上げた短刀を振り下ろす。
「わっ、危ないですよ」
……が、次の瞬間には、イナリが振り下ろした腕はあっけなく受け止められて持ち上げられ、あろうことか、そのまま手に持っていた短剣を取り上げられてしまった。
宙にぷらりと浮いた状態のイナリはしばし硬直した後、じたばたと足を動かして叫ぶ。
「は、離すのじゃ!」
「あっ、ごめんなさい。痛かったですよね?」
エリスに謝罪と共に地に降ろされたイナリは、唯一の武器となった金槌を両手で持って構える。
「き、貴様、ずっと我の事を弄びおって。今度は何なのじゃ、我をどうするつもりじゃ!?」
「イナリさん、落ち着いてください。少しお話を――」
「もう騙されんのじゃ!そうやって我を捕らえようという魂胆なのはわかっておるのじゃ!」
イナリの知人を模した偽者の目的は単純、油断させて捕らえることである。その後どうなるのかは不明だが、碌なことにならないことも分かりきっている。
イナリが声を上げてエリスを威嚇すると、エリスはしばし考える仕草を見せる。
「……あ、もしかしてそういう感じですか?そういうことなら、私に考えがありますよ」
「な、何じゃ。……もしや、アレの事かや?」
しばし首を傾げたイナリだが、すぐにあるものが思い当たる。
――これです。ひとまず私だけにでも、何があったのか、そっと教えてくれませんか?
それは、エリスとイナリの間だけで使える神託だ。イナリはこの能力を忘れがちだったが、これで本物であることを証明できる。……というか、最初からこれを使っていれば、イナリが精神を病むようなことも無かったのではないだろうか?
過去を悔やんでも仕方がないので、イナリは早速目の前の人間達の真贋を見極める作業に入る。
――もし我の前にいるなら、神器を反対の手に持ち直して。
イナリが神託で命じると、エリスは指示通り、神器を右手から左手に持ち替える。
――どうですか?
――認める。本物で間違いない。他の皆も本物?
――ええと、偽者が何かがわからないですけど、本物じゃないですかね?
エリスの反応からして、虹色旅団とイオリは偽者と遭遇していないらしい。
何にせよ、ここにいる皆は信用して問題無さそうだ。イナリは今一度己の判断が誤っていないことを確認した上で、エリスに近づくべく一歩を踏み出す。
その様子を見たエリスも両腕を広げてイナリを待ち受けるが、その二人の間に割って入る者がいた。
「待て、イナリ」
「ぬ?」
それはイオリである。彼女はイナリの移動を手で制し、口を開く。
「ここにいる化け物は皆、イナリが倒したのだろう。私はそれに敬意を表さないといけない」
「む?うむ。我、すごいじゃろ?」
これは彼女の獣人的価値観によるものか、あるいは勇者を助けるために重要な工程であるからか……。何にせよ、褒めてもらえるのであれば悪い気はしない。故にイナリは胸を張って返した。
「ならばこそ、私はイナリを助けるために動く必要がある」
「ふむ?」
いまいち真意が掴めないが、イナリに代わって化け物退治をしてくれるとか、そういう話だろうか。
その申し出はありがたいが、途中から考えることを止めていたものの、イナリはそれなりの数の化け物を討伐しているし、「虹色旅団」の面々が化け物と遭遇した様子が無さそうな辺り、もしかしたらもう一体も居ない可能性がある。だとすれば、もはや助力は不要であろう。
そのことをイオリに告げようとすると、彼女は何故かエリスに向き直り、ビシリと指を差す。
「この期に及んでイナリを脅迫するとは、つくづく見下げた奴だな?神官」
「……のじゃ?」
「きょ、脅迫?何の話ですか?」
イオリの言葉に、イナリもエリスも困惑の声を上げた。
ついでに、エリスの後方に控える三人も顔を見合わせている。大方、喋り出す時期を待っていたら話が急展開を迎えて困惑しているのだろう。
「イナリが怖がっていたのに無理やり迫り、思い通りに行かないとみるなり『考えがある』などと仄めかして、イナリを脅していただろう。きっと何か弱みを握っているのだろうが……それが神官のやることか?」
「はい?」
エリスはわかっていないようだが、イナリは何となく事態を察した。
イナリとエリスの間で交わされた神託でのやりとりがわからず、か、つ神官に対して先入観を持っているイオリから見ると、一連のやりとりは「怖がるイナリを無理やり連れていこうとする外道」として映りうるのだろう。
イオリの申し出は、それを受けての「助ける」であったらしい。
しかしそれではあまりにも話が拗れるので、イナリは即座に訂正してやることにする。
「イオリよ。エリスは別に、そういうつもりでは――」
「イナリ、もう耐えなくていいんだ」
「は、話を聞いてくれんのじゃ……!」
哀しきかな、妙に優しく接してくるイオリの中では既に物語が完成しているようだ。その中における被害者イナリが、加害者エリスを擁護するのは、寧ろ事態を悪化させてしまうまである。
「そ、そもそもですよ。私がイナリさんを脅す動機は何だって言うんです?」
「あくまで惚けるつもりなんだな。なら、改めてこの神官の悪事を告発する」
イオリはそう前置き、エリスの「罪状」を告げ始める。
「こいつは無理やりイナリに迫って、思い通りにならないからと殺そうとした。私を偽者と知りながら匿ったのは、私を『イナリ』にすることで事態を隠蔽しようとしたからだ。だがその計画も破綻した今、どうにかすべてを無かったことにしようと、イナリを脅迫して事態を収束させようとしているというわけだ。どうだ?」
イオリはまるで名探偵かのように自信満々に、全てが的外れな推理を展開する。
「……どうだ、って言われても。エリス姉さんは絶対そんな事しないよ」
「本当、大した推理だと思いますよ。イオリさん、小説家にでもなったらどうですか?」
「エリス姉さん、そのセリフは犯人が言うやつだと思うな」
リズがエリスに白い目を向けるが、ともかく、イオリの推理が的外れだということはこの場の皆の共通認識ではあるらしい。
その事実にイナリが安堵していると、エリックが声を上げる。
「そもそもイオリって、獣人を扇動している獣人の名前だったよね?今の話からすると、エリスもそれを知っていたように見える。どうして黙っていたのかな」
「えっ?……えーっと。それはまた別に意図がありまして。あの、言える感じではないんですけど」
エリックは、イオリの推理は一旦放置して、別の意味でエリスが不審であることを指摘する。それに対するエリスの返答は不信感たっぷりである。
「気になっているといえば、エリス姉さんってイナリちゃんが居なくなってからも全然取り乱してなかったし、一回も禁断症状を起こしてないからさ、何か変だなーとは思ってたんだよね。エリス姉さん、何かリズ達に隠してない?」
「いや、えっと、それは……あの、あれです!私なりにイナリさんがいないときの気の紛らわせ方を研究してたので何とかなったのですよ。例えば……ええと、毛布をイナリさんに見立てて話しかけるとか!」
禁断症状って何だとか言いたいことはあるが、そんな疑問を消し飛ばすような苦しすぎる言い訳に、イナリは心の中で涙を流した。そんな訳の分からない対策、誰がやるというのだろう?
「俺もそれは気になっていた。付け加えるなら、イナリが洞窟に入った時、俺たちが洞窟に到着する前からエリスはそれを知っている様子だったな。あの時は現実が受け入れられていないのかとも思ったが……現にイナリがここにいるしな」
「え、えっと。あの……」
答えに詰まり次第に絶望していくエリスを見て、イナリはイオリの背後から応援することしかできなかった。
「というか、イナリもイナリだな。何故か当然のようにここにいるが、お前がどうしてここにいるのかだとか、イオリとの関係だとか、聞かなきゃいけないことがたくさんあるよな?」
「のじゃ?えっと、あー、何じゃ。アレじゃ、アレ」
傍観に徹していたイナリも土俵に引き上げられ、言い訳にすらならない言葉で返した。イナリにせよエリスにせよ、この件に関しては一存で話せないことが多すぎる。
「なあ、私の推理は……?」
その傍らで、完全に置いてけぼりを食らったイナリモドキもまた、己の存在を示すように絞り出したような声を上げた。




