260 熱意があればいいわけではない ※別視点あり
<???視点>
大人しくベッドで横になって待っていると、先ほど部屋を出ていった魔術師の少女が、妙に緊張感を持った銀髪の女を引き連れて現れる。
その女の装いは、間違いなく神官の物だ。しかも、他の三人が私を「イナリ」として扱い、その生還に安堵している中、この女だけは異様に動揺しているように見える。何か予想外のことがあったのか、あるいは、不都合なことでもあったのか……?
「……あれ?エリス姉さん、イナリちゃんに抱きついたりしないんだ」
「言われてみれば。エリスはイナリちゃんと一ヶ月以上一緒に居なかったし、しばらく退室することになる覚悟もしてたんだけれど……」
「え、ええ。ええっと……ほら、イナリさんは、大変な状態なのでしょう?いきなりそんなことをしては、イナリさんも困ってしまうと思いまして」
「それはそうだけど。エリス姉さんにも、まだまともな倫理観が残ってたんだね、安心したよ!」
「何か、サラッととんでもない暴言を吐かれてませんか……?」
この会話から察するに、神官の女と「イナリ」は、ここに居る四人の中でも特に親密な関係にあったらしい。ただ、少々過剰と言うか、普通で無さそうな雰囲気も窺える。
……もし私が「イナリ」に成り代わるとしたら、私はこの女と過ごすことになるのか?それならば、時機を見て脱走することも視野に入れた方がいいのかもしれない。
「まあ、その話はいいとしてだ。イナリに何があったのか聞きだした方がいいんじゃないのか?」
「そうだね。イナリちゃん、あの後何があったのか、覚えている範囲で教えて欲しいな」
青髪の男が私に話を振ってくるが……「あの後」とは何だ。
知らないものは知らないし、答えようが無い。やや強引ではあるが、記憶喪失ということにさせてもらおう。
そうすれば先ほどの会話もある程度自然になるし、これからどれだけ妙な質問をしても言い訳が効くはずだ。
「すまない。妾は……何も思い出せない。妾のことも、貴様らのことも」
「……そっか」
「となると、今度こそ記憶喪失ってことか?」
私の返答に、部屋の一同が黙り込む。
「……いやごめん、黙ってた方がいいと思ったけどさ、『今度こそ』って何?イナリちゃん、一回記憶喪失したの?」
「何というか、説明がものすごくややこしいんだが……とにかく、それっぽいことはあった」
「わお。リズが居ない間にそんなことがあったんだ、すごいね……」
どうしよう。知れば知るほど「イナリ」という少女の異様な経歴が浮かび上がってきて、成り代わりの難易度が少しずつ上がって行っている感が否めない。
「あの、少しいいですか?」
「どうしたの?」
「その……この方、イナリさんじゃないと思うんです……」
神官が言いづらそうに、しかしかなり核心をついた発言をする。……頼む、黙っていてくれ。
「……何言ってるんだ?」
「そうだよ。ほら、エリス姉さんが大好きなイナリちゃんだよ?……確かに体に流れてた力は全く無いけど、衰弱してたらそういうこともあるでしょ?」
私が反論せずとも、三人の仲間が口々に擁護してくれる。そうだ、もっと言ってやれ。
「いやいや。服も違いますし、声もちょっと低くて、より獣人らしくなっています。それに、あの特徴的な話し方でもありませんよね?」
「いや、話し方だって、場合によっては変わらないとも限らない。実際そういう人がいたのを知っているし……」
「ぐ、ぐう……でもやっぱり、違いますよ。証明して見せますので、ちょっと時間をください」
神官の女はまじまじと私を観察し始める。
この女はどうしても私の事を邪魔したいらしいが、変に反抗するのは「イナリ」としては不自然な気がする。なので、嚙みつきたい気持ちでいっぱいな所をぐっとこらえ、私はただ、正体が割れないことを祈ることにした。
<イナリ視点>
イナリは尻尾を右へ左へと揺らしながら茶を啜る。
「イナリ、さっきから落ち着かないみたいね?さっきの信者の話が気になるの?」
「うむ。……もしその、我モドキが我として浸透してしまったら、我は……我は、どうなる?」
「何を阿呆な事を言っているのかしら。貴方は貴方だし、その辺のぽっと出の輩に入れ替わられるような器じゃないでしょう?不安になる事なんて無いのよ」
「それはそうじゃが……」
「全く、変なところで心配性なんだから。そんな事なら、ちょっと様子を見てみましょ」
「ほう、そんなことができるのかや」
「ええ。まさか私が、信者と対等にやり取りするために指輪を渡したと思ったの?」
アースはにやりと笑いながらエリスとの通信用の指輪を外し、イナリの前に置いた。
「実はこの指輪はね、私の側から一方的に向こうの声を受信できるように作ってあるのよ。この前も一回だけ、それを使って異常を察知して、地上にお邪魔したことがあったのだけれど……あの時、貴方はすやすや寝ていたわね」
「そうなのかや。……む?ということはお主、我の声も盗み聞――」
「さ、信者の様子を探ってみましょう」
アースはイナリの声を遮り、指輪の縁を撫でて操作した。すると、エリスの声が部屋に響きわたる。
「――耳を見てください。本物のイナリさんの耳は大体私の手二つ分ほどの大きさがありますが、こちらのイナリさんはそれよりもやや小さくなっています。それに角度や間隔もやや開いていますね。次は尻尾。モフモフ感はありますが、こちらも少々ボリュームが少ないですね。それに、よく見てください。イナリさんは常に尻尾の先端を伸ばす癖がありますが、こちらのイナリさんは先端が曲がって折り返していますね。続いて手と腕。手の様子は明らかに労働や戦闘を経験した者のそれですし、腕にもある程度筋肉がついているように思えます。あとは、眼つき。どちらのイナリさんもツリ目ではありますが、こちらのイナリさんの方が目の色がやや薄く、狡猾さを感じさせるような一定の知性を感じる点で異なりますね。後は――」
「よしわかった。話が終わらんから、一旦部屋を出て、落ち着いたら戻って来い」
「えっ、ちょ、ちょっと!?まだ話は――」
アースは無言で指輪の機能を停止させ、一言呟く。
「人選を間違えた気がするわ」
「我、一定の知性を感じさせない目をしておるのかや……?」
アースはイナリの問いには答えず、別の問いをイナリに投げかける。
「……ねえ。あの信者、本当に大丈夫なの?」
「うーむ、信用できるかという点では大丈夫じゃが。正気かどうかという点では……」
イナリはそこで言葉を濁し、目を逸らした。
「まあ、我の事を想ってくれているから、よしということにしておこうかの」
「……まあ、貴方がそう言うのなら」
<???視点>
よくわからないが、女神官は勝手に暴走して退場した。何というか、今までに経験したことが無いタイプの恐怖を感じた。
ともあれ、もしかしたら……というより、間違いなく「イナリ」はあの神官に溺愛されていたと言ってよさそうだ。
ただ、そうすると気になるのは、あの神官は私を見る前から動揺していた点だ。私を見て動揺するというのならばわかる。だが、そうではない。
それに、どうしても私を「イナリ」ではないことにしたがるメリットとは何だろう?
……ダメだ。まだ情報が足りないような感じがする。
私がため息をついたところで、扉を閉めた黒髪の男もほぼ同時にため息をつく。
「はあ、久々にアイツの長話を聞かされたな」
「リズも、流石にアレはちょっとすごいなって思っちゃったな……」
「いや、お前も魔術の話になると大概だぞ。……だがまあ、エリスの話にも頷ける点はあったな。体格の話なんかは特にな」
「確かにそれは気になったね。だけど、イナリちゃんであろうとなかろうと、保護の必要性がある事には変わりないと思う。イナリちゃん……という体でひとまずは進めるけど、どうかな?」
青髪の男が私に話を振ってくる。
やや疑心は芽吹いたようだが、どちらに転んでも保護されるというのなら、一旦それに乗っておくのは悪くない。ここは頷いておこう。
「ああ。申し訳ないが、しばらく世話になろう」
「……なあ、俺の言いたいことが伝わるかわからないが……こっちの方が、イナリよりイナリっぽくないか?」
「……ディル。流石に、言っていい事と悪い事があると思うよ」
黒髪の男の言葉に、他の二人が白い目を向けた。




