215 異変のはじまり
定期的に駆け寄ってくる魔物を倒しつつ、イナリ達は、ニエ村へつながる道を進み続け、森に入る手前で一旦休憩を取ることにした。というのも、昨晩の夕食時にニエ村に獣人が集まっているという噂を共有した結果、リスクも鑑みて、ニエ村へは立ち入らず、ここで休んで一気に森を抜けることにしたからだ。
時折魔物の死骸が道のど真ん中に放置されたままの事も多く、さらには道中何度か獣人を追い抜く機会もあって、ニエ村に獣人が集まっているという噂が信憑性を増している辺り、この判断についてはある程度妥当そうである。
なお、イナリ達が追い抜いた獣人らが何かしてくるようなことは無く、街で騒いでいたのは何だったのかと思うほどに静かに列を成して歩いている様子は、少々不気味であった。
「さあ、休憩しましょうか」
「……ううむ、とは言ってものう」
エリスの言葉を聞きながら荷台から飛び降りたイナリは、道中に倒して荷台に乗せた、比較的小型の動物系の魔物を解体していくディルの様子を一瞥して唸る。
「魔物がいては、休むどころではないのでは……?」
「そうでもないぞ。イナリは知らんだろうが、視界が開けている草原で、遠くからはるばる走ってくる魔物はそんなに多くないからな」
「そういうことです。本来は簡易結界を貼って休むのですが、今はイナリさんが吹き飛んでしまいますからね……」
「ううむ、しかしそうなると、お主の仕事が潰えてしまうよの……」
「いえ、一応定点展開もできますので、万が一の際はそれで囲えば何とかなりますよ。……ものすごい時間と労力ががかかりますので、今はしませんけれど。本職の方ならもっとうまくやれるんですかねえ」
エリスは空を見上げてしみじみと呟いた。
エリスの仕事は回復と結界展開と認識しているが、回復は誰かが怪我をしないと使いようが無いし、結界もまた同様である。しかも、イナリがいる関係上、魔物予防としての簡易結界は実質封じられ、広域結界なる索敵も、概ねディルと役被りである。
イナリはエリスの背を軽く叩き、激励してやることにした。
「いつかお主の出番が来る日が来るのじゃ。強く生きよ」
「……いつか、私が活躍しているところを見せないと……」
「そんじゃ、その辺から枝を集めて来てくれ」
ディルの声を聞いた二人は、慣れた手つきで周辺から枝を収集した。
準備が済んだ一同は、火を囲んで解体した魔物の肉を焼いて食べた。
その間、周りに魔物がいないか気が気でなかったイナリだが、先ほどエリスとディルに言われた通り、襲い掛かってくる魔物は偶然近くに来た二体の魔物だけであった。
そして、移動を再開しようかといったところで、エリックがハイドラに話しかける。
「ハイドラさん、もしかして具合が悪かったりする?主要路を逸れて一時間くらい経った辺りから、少し様子が変な気がしたんだけど」
「え?ああ、そうですね。ちょっと頭がぼーっとするっていうか……?」
「それはいけませんね。ちょっと診せてください」
エリスが立ちあがってハイドラのもとに歩み寄り、彼女の額に手を当てる。
「……うーん、熱は無さそうですが……原因に心当たりはありますか?変なものを食べたとか……」
「いえ、特に心当たりは。それに私は毎日、自家製の『元気百倍ドリンク』を飲んでますから。人間の街に来てからというもの、風邪なんて数えるほどしか罹ったことがありません!」
「なんか、胡散臭え名前の飲み物が出てきたんだが」
「よくわからんが、絶対それのせいじゃろ」
「ハイドラさんの生活にも何やら問題はありそうですが……。ともかく、無理は禁物ですし、一旦引き返すことを提案します。エリックさん、どうしましょうか?」
「ハイドラさんに何かあったらいけないし、大事を取って、ここは一旦戻ろうか」
「いえ、本当に大丈夫ですから!私のせいで皆さんの足並みが乱れるのは不本意ですし、リズちゃん達が私達を待ってるんです!」
「うーん……そうは言ってもなあ……」
「風邪や病の前兆かもしれませんし、深刻化してはいけません」
「それは承知していますが、私だってポーションを作る錬金術師の一人です、それなりの知識はあります。少し荷台で休ませてもらえれば回復すると思いますし、最悪、薬の調合もできますので、皆さんは気にせず進んでください」
「ハイドラさん……」
困り果てた様子で、エリスはエリックに目を向ける。
「ま、良いのではないか?本人が良いと言っておるのじゃ。なら、だいじょーぶじゃろ」
「……流石にイナリの言い方は無いとは思うが、俺もこのまま行った方が良いと思う」
イナリの雑さに苦言を呈しつつ、ディルもまた賛成票を投じる。
「あくまで風邪か何かだという前提で話すが、それの深刻化を懸念するなら、トゥエンツに戻るよか、ナイアについた方が最悪の事態への対処はしやすいんじゃないか」
「……それも一理ある、かな?」
ディルの言葉に、エリックが頷く。
「というか、ずっと思っていたのじゃが、エリスの回復魔法でパーッとやれば終わりではないのか?何をそんなに迷っておるのじゃ」
じれったくなったイナリは、ここまでの議論を一蹴するような問いを投げかけた。
「ええっと……以前イナリさんに言ったことがあるかもしれませんが、聖魔法で治せるのは、物理的な傷や呪い、とり憑いた魔物や霊の除去などで、精神的なものや内的なものはポーションや薬剤等が得意とするものなのです。つまり……」
「風邪などにはあまり効果が無いということじゃな。……そういえばそんな話、しておったのう」
「でも確かに、トゥエンツよりはナイアの方が道具や設備は揃っていそうですし……多少無理してもらわないといけないのでしょうか。私としてはあまり納得できませんが、それをするなら、御者はやめて休養してもらうことが絶対条件ですね」
「それはそうだね。じゃあ、少し辛いかもしれないけれど、このまま行こうか。エリス、何か様子が変だったら、すぐに伝えてね」
「勿論です」
エリックの指示に、エリスは深く頷いた。
そんな一幕がありつつ、エリックとディルを御者と補佐に立てて、一行は移動を再開した。
定期的に剣や弓の音がしては、前評判に違わず、草原を移動していた時よりも魔物の出現頻度が増えているのだろう。
さて、荷台では、毛布を敷き詰めて少しでも馬車の揺れの衝撃を減らせる場所を作り、そこにハイドラを寝かせていた。
「ハイドラさん、大丈夫ですか?」
「はい。……ありがとう……ございます……」
エリスの問いかけに、ハイドラはか細い返事で返す。
「何だか、先より朦朧としているように見えるが……?」
「そうですね……。想定以上に悪化ペースが速い……。でも熱があるわけでは無いし……呪いでもないですよね……?イナリさん、水を取って頂けますか」
「うむ」
流石のエリスも今回ばかりは、荷台でイナリを愛でることはせず、原因を考えながらハイドラの介抱に勤しんでいた。
イナリは、馬車の揺れで跳ねて転がる、二の目が絶対に上になる賽に意識が持っていかれそうになるのを全力でこらえ、エリスの指示に従って荷物が積まれた場所へと移動する。
「……どこじゃっけ」
「ええと、確か手前の左側の箱の辺り……そう、そこです」
エリスの言葉に従って荷物を見て回り、水筒らしき物体が目に留まったので、それを手に取って振り返る。
「これかの?」
「そうです、ありがとうございます。揺れで転ばないように気をつけてくださいね」
イナリは慎重にバランスを取りつつ、エリスの方へと歩み寄り、水筒を手渡した。
「ハイドラさん、水です。少しでもいいので飲んでください」
そう言うと、ハイドラは両手を伸ばして水を飲み込む。ハイドラは目の焦点がだんだんおかしくなってきているし、昨日まで笑顔で話していたような彼女の姿はない。
「ハイドラさんって、実は持病があったりはしますか?あるいは、疾病経験等でも」
「特には。……あの、寝ても……?」
「はい、楽にしていただいて構いません。失礼しました」
エリスはハイドラにやさしく声をかけつつ、頭に手を置いて落ち着かせた。そして、悩まし気に声を上げる。
「……これ、どういうことなのでしょうかね」
「さっぱりじゃな」
「私達もほぼずっと行動を共にしていたわけですし、あるとすれば、別行動していた際に何かされたとか……?しかし、それにしては唐突で、動機も不明ですし……毒物を摂取したとか?いや、それはイナリさんじゃあるまいし……」
「そこで我を絡める必要は無いじゃろ」
イナリはぷんすこと怒りながら、エリスの膝の上に飛び乗った。
「ううむ、それにしても、大丈夫であろうか」
「わかりません。ひとまず、引き続き様子を見ましょう。イナリさん、御者台の方に行って、ハイドラさんの様子が芳しくなさそうだと伝えておいてください」
「む、有事と言うほどではないが、良いのかや?」
「はい、定期的な連絡があるだけでも、何も音沙汰がないよりはいいでしょう」
「わかったのじゃ」
イナリは立ち上がり、転ばないように慎重に御者台へと移動した。現在馬の綱を握っているのはエリックであった。
「イナリちゃん、どうしたの?ハイドラさんに何かあった?」
「うむ。ひとまず、水を飲ませて眠らせたのじゃ。ただ……ちと、旗色が良くないやもしれぬ」
「そっか……。もう戻るわけにもいかないし、少しでも早く着くようにするよ。あるいは、最悪、村に立ち寄ることも視野に入れて――」
「……ハイドラさん?どうしたのですか?……ちょっと、落ち着いてください!」
エリックがイナリの言葉を検討していたところ、突如、馬車の後方からエリスの叫び声が響いた。




