167 イナリ vs ゴブリン
イナリ達はしばらく村の方を観察して待つ。それなりに時間が経っているはずだが、目に見える範囲でゴブリンが減っているような様子は見受けられない。
「……これ、本当に大丈夫なのかや」
「やっぱり初めてだと不安になりますよね。私もその経験がありますから、わかりますよ」
「隠密行動だから、僕達からは殆どわからないよね」
「もしディルに何かあったらどうするのじゃ?」
「そこの判断は僕に懸かっているよ。でも大丈夫、ほら、あそこにいたゴブリンが居なくなってるでしょ?ディルが動いているはずだよ」
「む?……どこじゃ……」
イナリはエリックが指さした方向を目を凝らして確認するが、果たして先ほどと何の違いがあったのか、全くもってわからなかった。
「……まあ、お主が言うのだから正しいのやもしれぬが……ディルはどのようにしてこのような事をしておるのじゃ?」
「曰く、足音と気配を消して、素早く動いて不意を突く……らしいです。昔、私も聞いたことがあるのですが、リズさんの魔法談義を聞いている時くらい意味わからなかったです。『死地に放り込まれれば自然と身に付く』とか言い出した時は、頭がおかしくなったのかと思ったぐらいです」
「そういえば、あやつには碌でもない師匠がいると聞いたのじゃ。きっとそれと関係があるのじゃろうな……」
イナリがそう返したところで、村の方から花火が破裂したような音が数回響く。ゴブリンもその音に警戒してか、手に持った粗雑な作りの棒を持って音の鳴る方へ向けて走っていく。
「これはディルが引き付けてくれているはずだ。行こう!」
イナリ達はエリックを先頭に村へと駆けていく。
村に入ると、ゴブリンの騒ぐ声も大きくなっていく。中にはイナリ達に気づいて襲い掛かってくるゴブリンもあったが、皆等しくエリックに切り倒されていく。
このままでは、ディルとエリックの活躍で全部終わりそうな雰囲気である。
「我!我の出番は!?」
「イナリさん、右手に三匹居ますよ!私が守りますから、戦っても大丈夫です!」
「わかったのじゃ!ではまずは……ブラストブルーベリー爆弾を使うのじゃ!気を付けるのじゃぞ!」
イナリは大きな声で警告すると、懐から取り出した金具のピンを抜き、ゴブリンに向けて投擲した。
ゆったりとした軌道を描いて投げられた爆弾がゴブリンの頭にコツリとぶつかる。
「……グギャ?」
ゴブリンは一体なんだとばかりにそれを拾いあげ、仲間と顔を見合わせる。そしてその直後にブラストブルーベリー爆弾が起爆した。
後には塵一つ残らない。
「……ううむ。トレントですら粉砕する爆弾をゴブリンに投げるのは、過剰火力と言わざるを得ないのう……」
「イナリさん、結構平気でえげつないことしますねえ……。これでは討伐した証拠も残らなさそうです……」
「……その辺は後で聞くとしよう。次じゃ!」
イナリは、己に向かって走ってくる一体のゴブリンに向けて短剣を向けた。
「行くのじゃ!我の剣捌きの前にひれ伏すのじゃ!」
イナリはゴブリンに向けて剣を振り降ろし、空を裂いた。戦闘態勢に入っていたゴブリンが困惑している。
「……今のは素振りじゃ」
イナリは気を取り直して剣を構え、一振り、また一振り……しまいには、ぶんぶんと剣を振り始めた。
「……ギェヘヘ!」
「貴様、笑ったな!?この我を!許さんのじゃ!」
「イナリさん、落ち着いてください!」
エリスの制止も聞かず、イナリは引き続き剣をぶん回していく。ゴブリンはもう先ほど仲間が爆発四散したことを忘れているのか、イナリの剣をわざとギリギリで避けたり、手に持った武器でいなして煽り始めている。
それにはイナリの怒りゲージもみるみる上がり、あっという間に限界を迎える。
「……もう知らん!!!!」
イナリは風刃でゴブリンを両断した。
「ふう、ふうッー……」
「イナリさん、どうどう……」
時折背後から攻撃してくるゴブリンや飛来する矢を結界でいなしつつ、エリスは怒り狂うイナリを宥めた。
「良いかエリスよ。我は哀れに思ったゴブリンと遊んでやっただけじゃからな。その点、勘違いするでないぞ。本当はあんな魔物、取るに足らぬ存在じゃからな……」
「そうですね、イナリさんは本当は剣豪ですものね。……その、イナリさんの剣捌きは誰にでも見せて良いものではないでしょう。魔物の対処は風刃を使うのが良いのでは?」
エリスは、既に無に等しいイナリの面子を辛うじて立てつつ、風刃を使うよう促した。
「そうじゃな。この剣は今日で封印じゃ……」
イナリは懐に短剣をしまい、ブラストブルーベリーで体力を維持しつつ、風刃を使ってゴブリンを減らしていった。
二度と剣など使うか。そう誓いながら。
そしてつつがなくゴブリン殲滅は終了した。
「ふう、お疲れさん」
ディルが最後のゴブリンの死体を地面に乱雑に投げて、イナリ達の元へ歩み寄る。
「結界で検知できる魔物は全滅しました、お疲れ様です。怪我は大丈夫ですか?」
「俺は大丈夫だ。イナリは硬えから大丈夫だし……エリックも大丈夫そうだな」
「うん。イナリちゃんも戦えてたみたいだし、よかったよ!」
「うむ、当然じゃな。我の復讐はこれにて完了じゃ」
エリックの言葉にイナリは胸を張る。エリスもイナリの頭を撫でて称える。
「……そうなのか?俺が見たときはゴブリンに煽り散らかされてたように見えて、介入も検討したくらいなんだが」
「ディルさん……」
呆れるエリスをよそに、イナリは無言でディルの隣に歩み寄って脛を蹴った。
「わ、悪かったって。で?結局風刃で戦ったのか」
「うむ。それが一番効率が良かったからの」
「そうか。まあ、使い慣れているので戦うのが一番だわな。じゃ、ゴブリンの耳を回収していくか」
「む、何故じゃ?」
イナリの疑問にエリックが答える。
「ゴブリンの耳が討伐証明になるんだよ。数が多いと面倒だから、ある程度等級が上がった冒険者は耳を回収しないことも多いんだけど……今回はイナリちゃんが居るし、依頼の性質上、討伐証明が必要だからね」
「なるほどのう。それで途中、エリスが討伐した証拠が云々と言っておったのじゃな」
「そういうことですね。魔物によって証明部位は変わりますので、そこだけ注意が必要ですが」
「それに、全部じゃなくてもいいぞ。ある程度数を倒したことがわかれば、そのまま推定してもらえるからな」
「今回は二十五個くらいで十分でしょうね。イナリさんも少しやってみますか?」
「ううむ、まあ、我が活躍した証拠は作っておかねばならぬな」
イナリがエリスの隣にしゃがみ込むと、エリスがゴブリンの死体を指さしてイナリに指示を出してくる。
「右耳を取るのですよ。短剣を使うと……あっ、ごめんなさい」
「……」
何故か謝るエリスをよそに、イナリは懐から短剣を取り出して耳を切断する。
「これで良いのじゃな?」
「はい。それをこちらに」
エリスが革袋を開いて見せてくるので、イナリはそこに耳を放り込む。
「これで完了です。あと八体くらい回収しましょう」
「気が遠くなるのう……」
イナリはエリスの助けを得つつ、討伐証明を回収していった。
その後はゴブリンの死体を集めて焼却し、その傍らで昼食を食べる。今回は軽く休んだらさっさと街に戻るということなので、硬いパンだけである。
「……皆よ、聞いてくれるか」
「はい、聞きますよ」
「何だ、そんな改まって」
「我は、かつて暮らしていた場所での役目を失ってここに来た。エリスには以前話したと思うが、我の家が売られたのじゃ」
「はい。実に非道な行いと言えますね。そのおかげでイナリさんと会えたので、複雑な心境でもありますが」
「我、思ったのじゃ。……いや、思っている、というべきじゃな。これは我が囮として動いていた頃から考えていた事じゃ」
イナリは顔を上げて周囲に目を向ける。
「この村を含む、この魔境に吞まれた村の数々は、遍く、つい最近まで人が暮らしていた場所じゃ。それが今このような閑散とした場所となったのは、我のせいじゃ」
「……まあ、そうだな」
「かつて家を奪われた我が、今度は人の家を奪っている。……そのような我が、お主らの街に居てよい物じゃろうか?以前、エリスは我と共に居たいと言ってくれていたが、それに甘んじてよいのじゃろうか?」
以前イナリが不安になったのは、どうして皆がイナリを保護するのかという点であった。しかし今回イナリが考えているのは、果たして保護されていてよいのか、という点である。
「お主らも知る通り、我は居るだけで一定範囲の植物の成長速度を加速させる。正直、それは際限なく成長し続けるこの世界の植物が悪いと言いたい気持ちもあるが……ともかく、人間の街ではそれで困っている者も多いと見受けられる」
イナリは一つため息をついてから話を続ける。
「今日、魔物に対抗する術もある程度見つけた事じゃし、我は……大人しくこの魔の森に籠って暮らすべきではないじゃろうか」
「それは……難しい問題だね」
「確かに、この村の状態を見たらそういう考えも出るか」
「私としてはイナリさんと一緒に居られればいいので、一緒に森で暮らすのも全然良いですよ」
イナリの言葉に、パーティの面々は各々反応を返す。エリスに関しては完全にイナリに着いていく前提になっているが。
「というか、イナリがそういうことを考えてると思うと違和感があるな。何ていうか……リズにはそんな道徳心無かったからな」
「ディル、イナリちゃんが悩んでるんだから真面目になった方が……」
「いや、そうは言ってもなあ……少なくとも現時点では、誰一人としてイナリが事の発端だなんて思ってもいないんだ。考えるだけ無駄じゃねえか?お前は堂々と居座ってりゃいいだろ」
「し、しかしのう……」
「何だ、罪悪感でもあんのか?……ならこう考えろ。家を失ったお前は今こうして元気にやってるんだから、他の連中だってちゃんと生きている。……まあ、苦労の多少はあるだろうが、お前だってずっと楽してたわけじゃないだろ?」
「……ふむ、それは一理ある。ディルにしては良いことを言うのう。確かにそんな気がしてきたのじゃ」
「だろ?ガキは変に気を遣わなくていいんだ」
「我はガキではないが??齢一億歳を超えておるが??」
「流石にそれは盛りすぎだろ。盛ればいいってもんじゃないんだぞ」
「ディル、折角いい感じだったのに台無しだよ……」
「まあ、これでこそディルさんって感じですけどね、ふふっ」
一同は和やかな雰囲気で休憩を終え、そのまま街へと戻った。相変わらず、魔の森側の街門の警備は、西側と比べると圧倒的にザルであった。
「じゃあ、僕達は依頼の完了手続きをしてくるよ。イナリちゃんの功績はちゃんと記録されるから安心してね」
「うむ」
エリックとディルは冒険者ギルドへ向けて歩いて行った。
「じゃあ、先に家に戻って体を洗いましょうか。ちょっと返り血が残ってしまっていますから、洗ってあげますよ」
「……お主、何もしないよの?」
「………………ええ。しませんよ」
イナリの勘が正しければ、今の一瞬の間に、エリスの中でものすごい葛藤があったように見えた。
二人が家に帰ると、エリスは着替えを用意すると言ってイナリを先に井戸へ行かせた。イナリは自分の服の状態を軽く確認し、袖に血がついていることに気がついた。
「ふう、我の服にも血がついておったか。まあ、あれだけやって血一つないのも変な話かの。この服なら軽く水で洗えば落ちるはずじゃ……」
イナリが袖を軽く引っ張って井戸の水が出る場所に持っていくと、突然周囲の景色が切り替わる。
「狐神様!緊急事態です!!」
「はえ?」
アルトの緊張感に包まれた声がイナリの耳に響く。
どうやらイナリは一瞬にして天界に拉致されたようだ。あまりにも唐突な出来事に、イナリは袖を洗う姿勢のまま固まる他なかった。




