165 神の話
「美味じゃ……美味じゃ……」
コンビニに行ってきたアルトによって、イナリの前に稲荷寿司三個入りパックとハッシュドポテトが転送されると、イナリは暗いリビングで一人、無我夢中でそれらを貪った。
ちなみに、何故イナリが稲荷寿司を選んだかと言えば、自分の名前を冠するから……ではなく、単に名前を知っていて、かつ米が使用されている美味しい物を考えたとき、一番最初に思い浮かんだのが稲荷寿司であったからだ。勿論ただの米でも良いのだが、どうせならよりおいしく頂きたいのだ。
「私がここまで狐神様を追い詰めてしまっていたなんて……本当に申し訳ございません……」
そしてアルトは、指輪越しに全力でイナリを憐れんでいた。
「いや、良いのじゃ……お主は世界の調整で手いっぱいであったのじゃろ。寧ろ、この程度の事で手を煩わせて、申し訳ないとすら思っておるのじゃ」
「いやいや、そんな……私はもう世界修復を完了していて、後は維持をするだけですから、余力は有り余っています。それに、時空ゲートも、初めてお会いした時に使った狐神様の神社跡の物を利用していますから、大してコストは掛かっていませんよ」
「なるほどのう。それなら今後も食事の調達を頼むのも手か……?」
「ええ、狐神様が大変な立場に居られるのは存じ上げておりますから、それくらいならお安い御用です」
「ふむ。……それは、米を持ちこむことも可能ということかや?この世界におけるオリュザなるものでは物足りぬから、栽培したいのじゃが」
「……可能ではありますが、ちょっと困りますね」
「何か問題があるのかや。……あ、もしかして、外来種問題ってやつかの。一時期、人間がそれで騒いでいた時期があったのじゃ」
「確かにそういう懸念も無いことは無いのですが……それ以上に、世界間問題になるんですよね……」
「……世界間問題、とな?」
「はい。私がこの世界を管理しているように、地球がある世界もまた、地球を管理する神が居ます。狐神様はご存じありませんか?」
「ううむ、知らんのじゃ。我が居た場所を創った、神なる者の伝承を又聞きしたことはあるが……何じゃったか。『アメノナカノオオカミ』、とかだったじゃろうか?」
「うーん、恐らくその方ではないと思いますが……とにかく、地球を管理する神がいる、程度の理解で結構です」
「ふむ」
「そして、ある世界の物を勝手に別の世界に持って行き、あまつさえ栽培するというのは、創造神界隈ではタブーの一つです。理由は色々ですが、要するに、他の神の物を奪うということですからね」
「創造神界隈……??」
かなりスケールの大きい界隈にイナリは目が点になった。
「はい。というわけで、米を私の世界に持ち込むというのは……私たちが今こうしているように、買って食べるだけならまだ良いのですが、栽培となるとちょっと、という感じですね」
「……ん?となると、我がここにいるのはマズいのではないのかや?」
「いえ、狐神様に関する事柄は、創造神間での交渉を経ておりますので、ご心配なく」
「ふむ……。一応お主からの打診を引き受けたとはいえ、我の与り知らぬ場所で我の話をされるのは気に食わぬな」
「その点については申し訳ございません。ただ、地球神様なりの事情と言いますか……地球神様曰く、『天草之穂稲荷は自分とほぼ同期だから、直接、それも今更話しかけたら何を言われるかわからなくて怖い。あと、怒らせたらせっかく育てた文明を全部土に還しそう』だとか。……あれ、これ、あまり言っていい話ではなかったかもしれませんね……」
よくわからないが、イナリは地球神とやらから何故か距離を取られていたらしい。実に遺憾な事である。
それに、イナリは自分の年齢を少なくとも二千歳以上と考えていたが、創造神とほぼ同期となると、何億歳とか、それくらいのスケールになりそうである。尤も、そこまで行くともはや年齢を考えることすらアホらしく思えるし、それだけ長く生きてきた割に、イナリの時間間感覚は人並みだと言える。あるいは、異世界に来たことで麻痺していた時間間隔がリセットされたのかもしれないが。
「……全く、せめて挨拶の一つくらいしてから我について論じるのが筋というものであろうに。我は至極温厚な神じゃ。そうであろう?」
「ええ、それは間違いありません。ずっと交流のない狐神様に接触するのを憚る地球神様の気持ちはわかりますが、世界を創ったとほぼ同時に存在したのに、一切話していないというのは、少々問題があると言わざるを得ないでしょう」
「地球神とは一度くらい話しておきたいものじゃな」
「そうですね、今度時間があったら呼んでみましょうか。私は地球神と仲がいいですから、頑張って交渉してみますよ!」
「うむ、期待しておるのじゃ」
イナリは三つ目の稲荷寿司を口に入れながら返事を返し、ごくりとそれを飲み込んだところで、何気なく思いついた質問をぶつけてみる。
「ところで、この世界にはお主の他に神は居らんのかや」
「人間が作った伝承上の神はいくらかいますが……実体を伴うという意味では私以外に居ませんね。本来は何人か生まれたりするものですが、私が世界の構築を失敗して世界が歪んだせいで歪なマナが生まれ、それと世界生成時の私の力の残滓が融合して集まって歪みが生まれて……という感じです。今は世界の調整が終わっているので、千年くらいすれば、一人くらいは現れるのではないでしょうか」
「ふむ。……それはつまり、地上を荒らす歪みというのは神の出来損ないとか、そういう感じなのじゃろうか」
「大体そんな感じですね。まあ、意志も思考能力もありませんし、出来損ないですらないと言った方がより的確でしょうか」
アルトはイナリの考えをさらに下方修正する。ひとまず、中途半端に神になった何かが苦しんで暴れているとか、そういうわけでは無いようなので何よりだ。
「神の力と歪んだマナが融合すると、己の使命だけを形成して、他の何を犠牲にしてでも使命を全うしようとしてしまうのです。例えば、もし仮に狐神様の力の因子を基に魔王が生まれたら、豊穣神としての役目だけを行動指針として、人間が居ようが動物が居ようが、とにかくそこら中に植物を生やしまくることになるでしょうね」
「……」
「狐神様?どうかしましたか?」
「ん?あ、ああ、いや、ちょっと食べ物がのどに詰まっただけじゃよ?」
「そうですか。お気をつけてくださいね」
訝しむアルトの声にイナリは平静を装って答えた。決して、もう既に丘一つ潰して植物を生やしまくったことを考えて固まっていたとか、そういうわけでは無いのだ。
そんなことより、アルトの話によれば、歪みもとい魔王がが海を荒らしたとか地上を荒らしたとか言うのは、本来海の神や土地神になりうる因子と歪んだマナが融合した結果ということらしい。世界が正常に生成されていれば、今頃この世界にはアルト以外の神も存在したのであろう。
「ところで、歪みの姿はご覧になりましたか?」
「うむ。何というか、空が歪んでいるような印象を受けたのじゃ。あれは大丈夫なのかや」
「ええ、あれは歪みが使命を全うするために、周囲の正常なマナを強引に集める過程で起こる現象です。あれ自体は世界が歪んでいるからとか、穴が空いているからとか、そういうことではありません。先ほども申し上げた通り、世界の修復も終わっているので、歪みが対処されたら立ち消えることでしょう」
「なるほど、それであのような見た目になるのじゃな」
イナリは安堵の声で返した。
「……それにしても、突然連絡して悪かったのう。どうにも必ず誰かが我の近くに居て、なかなか連絡が取れなかったのじゃ。今も夜中に抜け出して連絡しておるのじゃ……」
「なるほど。でしたら、よほどの緊急時以外、私からの連絡はしないでおきましょうか」
「うむ。しかし、緊密な連絡は重要じゃし、稲荷寿司も重要じゃ。隙を見て連絡していきたいところじゃな」
「……まあ、その、狐神様のモチベーションに繋がるのであれば何よりです。では、人間が起きてくるといけないので、一旦通信を終わらせましょうか」
「うむ」
指輪の通信機能が停止し、部屋に静寂が訪れる。
「ふう。寝る前に、ちょっと茶を飲みたいところじゃが……いやいや、ここは我慢じゃ、皆にバレてはいかんしな。さっさと寝るとするかの……いや待て、この容器、どうしたらよいのじゃ……」
イナリは稲荷寿司が入っていたパックと、ハッシュドポテトが包まれていた紙袋を持ってしばし立ち尽くし、迷った挙句、アルトのもとに転移して回収してもらった。アルトもまさか、ゴミ回収のためだけに神界転移機能を使われるとは予想だにしなかったことであろう。
ゴミも処分して、証拠隠滅を完了させたイナリは、今度こそ忍び足で寝室に戻り、エリスが幸せそうに抱き締めている毛布を抜き出し、代わりに己の体を捻じ込んで就寝した。
イナリの食欲も満たされ、実に良い夜を過ごすことができた。




