137 気難しい画家
翌日、昨夜立てた予定通り、イナリ、エリス、リズの三人は職人街に赴いていた。イナリがここに来るのはガルテの鍛冶工房に訪れて以来、二回目である。
「ここも職人がいる場所なのじゃよな?その割には……静かじゃ」
前回はあちこちで鉄を叩く音や魔道具の動く音で賑わっていたのに対し、それと比べればかなり静かな場所である。
「前、リズがイナリちゃんと来た所とは全然違う場所だしね」
「どうやらこの辺は芸術家の方など、静かな環境を好む方が集まっているみたいですね」
「なるほどのう。我はこちらの方が好みじゃ。鍛冶の音も小気味よいし、悪くはないが……一日中聞いていたら耳が捻じ曲がってしまいそうじゃ」
「リズはあの音嫌いじゃないけど。あ、イナリちゃん、耳が良いから聞こえ方もちょっと違うのかな」
「耳が良ければいいって言う話でもないのですね。……イナリさんの耳って捻じ曲がるんですか?」
「比喩じゃ。物理的に捻じ曲がったら痛いじゃろ」
「ふふ、聞いてみただけですよ。……さて、そろそろ目的の場所につくはずなのですが……」
エリスは手に持った紙と周囲の光景を照らし合わせる。
「あてがあると言っておったのに、場所がわからぬのかや?」
「は、はい……面識もないので、交渉もこれからです……」
「エリス姉さん、それであてがあるって言ってたの……?」
エリスの見通しの甘さに、子供二人からの冷たい視線が刺さる。
「で、ですが!不審者の顔を書く仕事なら絶対に受けてくれるはずですから!あ、ここです!ここ!行きますよ!!」
エリスはこれ以上とやかく言われるのを防ぐためか、半ば押し切る形で目的地であるという工房の中に進んでいった。
「大変申し訳ございませんが、うちはそういうのは……」
画家の工房に入り、奥から現れた十八歳前後に見える茶髪の少年に、エリスが用件を伝えた後の第一声である。
「……」
エリスの背中には二人分の、先ほどより冷めた視線が突き刺さる。エリスはどうにか笑顔をつくってそれに耐えながら、理由を問う。
「な、何故でしょうか?」
「元々、うちでは依頼とかは受けていないのですよ」
「し、しかしそれでは調査が……」
「本当に要件を満たすだけなら、他にいくらでも書いてくれる人がいるでしょう。紹介もできます。……というか、ギルドや衛兵に頼めば、似顔絵の一つや二つ用意してくれるでしょうに。とにかく、うちは描きたいものを描いて、それが気に入ったらご購入いただくという形式を取っておりますので」
少年は頑として不審者の似顔絵の作成を断る。
その話を聞いたイナリが部屋をぐるりと見回せば、そこら中に大小様々な、風景、物、人物などの絵が展示されていた。描き方も、ただの線画から水彩画まで様々だ。なるほど、描きたいものを描くという態度がよく反映されていると言えるだろう。
「というわけで、ご理解いただけましたら、お引き取り下さい」
そう言って少年は奥へと戻ろうとする。
「ま、待ってください!」
「……何ですか?」
中々譲らない態度のエリスに少年の眉が僅かに上がった。
「私は、貴方が絶対に描きたいと思う対象を提供できます。それを条件に描いていただくことは出来ませんか?」
「……なるほど、面白いですね。いいでしょう」
エリスによる挑戦的な申し出を、少年は僅かに微笑みつつ承諾する。
エリスはこの少年について知っていたのだろうが、イナリとリズはまさかこの少年が画家本人であったとは思わず、密かに驚いていた。
「では、私は……そうですね、一週間程度お待ちましょう。私が描きたいと思えるものを、楽しみにしています」
「いえ、その必要はありません。私が提供する対象は――」
一体エリスは何を提供するのだろうか?自身が身につけている貴重そうなペンダントか、あるいはリズが持っている杖や魔石だろうか。
イナリがあれこれ考えていると、突然自身の体が地面から浮き上がる。
「――イナリさんです」
「……は?」
一体この神官は何を言っているのだろうか。イナリとリズはそう思った。
「エリスよ、お主は我から溢れる神聖さを買ってくれたのじゃろうが、それは絵に表現できる程度のものでは無いのじゃ。故に、我は適当では無いのと思うのじゃ」
一体この豊穣神は何を言っているのだろうか。エリスとリズはそう思った。ついでに、リズは、頭が痛くなりはじめる前に帰った方が良いかな、などと思い始めていた。
そんな冒険者三人をよそに、少年はまじまじとイナリを見回す。
「……なるほど。そういえば、獣人をまともに描いたことは無いですね」
「こんなに色々と絵を描いておるのにか?」
少年の呟きに、イナリはエリスに持ち上げられたまま問いかける。確かに先ほど展示された作品群を見た際、獣人らしい姿絵は殆ど見受けられなかったように思える。
「ええ、そもそも獣人と出会う機会が少ないのもありますが……彼ら、落ち着きがないので、観察が難しく、どうしても細かい描写を誤魔化すことになってしまうんですよ。だから、納得のいく出来にならないのですよね。……ところで貴方が着ているこの服、どこの物ですか?明らかに特殊ですけども」
「……我も深くは知らんのじゃ。最初から着ておったし」
「すみません、イナリさんの出自は私達もよくわかっていないところがありますので……」
「ああ、何かしらの事情があるのですね。わかりました」
イナリが神であることは共有しているが、もっと前の話は殆どしていないし、説明もできない。多少不自然な事にはなってしまうだろうが、こればかりはどうしようもないことなのだ。
「……いいですね、インスピレーションが沸きます。見たところ、忙しなく動き続けたりすることもなさそうですし。貴方、お名前は?」
「我はイナリじゃ。して、お主は?」
「ああ、これは失礼。私はフィックルという名前で活動している者です。……では改めて、イナリさんの絵を描かせて頂くことを条件に、その不審者の似顔絵の製作もお受けしましょう。こちらにどうぞ」
フィックルは工房の奥へと移動し、イナリ達についてくるよう促した。
「……何か、若いのにちょっと気難しそうな人だね」
「ですが腕前は確かですよ。私、繊細なタッチが好きで、たまにあの方の絵を買っているのです。私たちの家の廊下にも飾ってあるのですが、気づきましたか?」
「へえ、そうなんだ」
「それにしてもお主、うまくやったのう。ただ……フィックルと言ったか。あやつも言っておったが、あやつに描いてもらうことに執着しすぎではないかや。他にいくらでも手立てはあるのじゃろ?」
「確かにそう思われても仕方ありませんが……狙い通りですよ」
「……ふむ?」
「元々、不審者絡みの話を口実にイナリさんの絵を描いてもらうことが狙いだったので」
「……」
エリスに向けて、再び二人の冷めた視線が向けられた。しかし今度のエリスは幸せそうな、あるいは満足気な表情のままであった。
エリスに抱えられたまま奥へと進むと、すぐにフィックルの作業場についた。あちこちに画材やパレット、キャンバスが置かれており、描きかけの絵と思われるものも大量に見受けられる。
「ほほう、散らかっておるが……これはこれで趣があるのう。リズとは違うのじゃ」
「あのさ、リズを引き合いに出さなくてよくない……?」
「さて、イナリさん、こちらにお座りください」
イナリとリズのやりとりをよそに、フィックルが椅子を運んできて窓のそばに配置した。イナリはそれに従ってエリスの腕から解放され、椅子に座る。
「申し訳ありませんが、先にイナリさんの絵を描かせていただきます。イナリさんはそのままじっとしていてください」
「我、座って待つことは得意じゃからな。お安い御用じゃ」
「それはよかったです。では早速作業に入りますね」
「すみません、私たちは絵を描く様子を見ていてもいいですか?」
「ええ、結構ですよ」
フィックルはエリスからの問いかけに返事を返すと、パレットを片手に、イナリをじっと眺めてから、筆を動かして絵を描き始めた。
結論から言えば、そこからが大変であった。イナリは待つことには慣れているが、全く動かずに待つことにはあまり慣れていないのだ。具体的には、ちょっと痒い所を搔くことも、尻尾を動かすことも極力控えるように言われ、想像以上の苦行であった。
そして、エリスとリズはずっとフィックルの絵を描く様子を眺めては、時折感心するような仕草を見せていた。
しかし、向かい合うように座るイナリにその様子を見ることは出来ない。時計の音や筆を動かす音、エリスやリズの服が擦れる音がイナリの耳によく響く。
「ふう、こんな感じですかね」
イナリがどれくらいの時間が経っているのかわからなくなり始めたところで、遂にフィックルが画材を机において呟く。
「お、終わったかや?」
「ええ、一枚目は」
「ほっ、良かったのじゃ。漸く我も動け……一枚目??」
イナリが安堵の声を上げながら立ち上がって伸びをした姿勢で固まり、フィックルの言葉を反芻する。
「お主、今、一枚目と言うたか」
「はい、一枚目です」
聞き間違いであってほしいというイナリの淡い期待は一瞬にして砕け散った。
「では二枚目です。今度は立って頂きましょうか」
「のじゃ……」
イナリは絶望した。彼女の戦いはこれからだ。




