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豊穣神イナリの受難  作者: 岬 葉
人間の悪意

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127 いや、できるわけないじゃろ

「……うーむ、とりあえず、今の話は忘れてくれたもれ」


「いや、無理だけど……」


 イナリはアリシアの膝の上から飛び降りて、先ほどの発言を無かったことにしようとしたが、当然のように失敗した。


 イナリの提案を一蹴したアリシアは、深刻な面持ちでエリスを見る。


「エリス、私はどうしたらいい?私は、神を名乗る人の処罰方法は知っているけど、アルト神以外の神をどうしたらいいのかわからない。……エリスは異教徒になったの?」


「いえ、私はアルト教を信仰していますし、イナリさん一筋でもあります」


「申し訳ないけど、今は冗談で笑えるような気分じゃないよ」


「……私は至って真面目ですよ。私はイナリさんの事を神だと思って接していませんから。イナリさんはイナリさんです」


「……もしかして我、今、遠まわしに馬鹿にされておる?我、神じゃぞ?今までは甘んじておったが、相応の態度があっても良いのではないかや?」


 イナリの苦言をよそに、二人の会話は続く。


「どうしてそんな風に割り切れるの?この世界の神は、この世界を創ったアルト神ただ一人のはず。だとしたら、この子の存在は世界の根幹を揺るがしかねない。今からでも遅くないから、アルテミアに送って判断を仰いだほうが良いよ」


「いえ、イナリさんを手放すような事、私は絶対しませんよ」


「なんで!?それだとエリスも危ないよ!」


「私は約束しましたからね」


 部屋の雰囲気が険悪になり、イナリが茶々を入れられるような空気感ではなくなってきた。自分が原因であることも相まって、居心地が悪い。


 なるほど、エリスが言った「大変な事」というのはこういう事であったか。イナリは部屋の中央の台に腰掛けて考える。


 イナリとしてはアリシアの口から放たれた、イナリの存在を否定するような言葉に面食らったが、アルト以外の神が存在しない世界観で生きている者の反応としては妥当なように思える。


 むしろ、普通ならまず、「イナリが本当に神かどうか」という段階で議論がなされるだろうから、そこを飛ばして「神であるイナリをどうしたらいいか」という話になる分、神を偽る者と判定されて処刑台に送られるよりは余程マシだろう。


 そんなことを考えているうちに、イナリの目の前で会話している二人の口論は、落ち着いているように見えて、お互い平行線のような主張をし続けているせいか、徐々に怒気を孕みつつある。二人は親しい間柄であったようだし、イナリのせいでそこに軋轢が生じるというのは、ここにいる三人全員にとって望ましくないことだろう。


 イナリは一旦集中し、何とかこの場を丸く収める方法を考える。ひとまず、アリシアにイナリの存在を認めさせればいいのだ。それならば、博打になるが、一つ考えがすぐに思いついた。


 熟考する時間は無さそうなので、見切り発車でイナリは行動に出ることにした。


 イナリは軽く咳払いして二人の会話を止め、台に両手を付け、できるだけ尊大な感じの印象が出る姿勢をとり、口を開く。


「そこの、聖女といったか。先ほどから黙って聞いておれば、随分と好き勝手言ってくれるではないか。んん?」


 突然態度が豹変したイナリに二人は困惑するが、これでいい。イナリは構わず続ける。


「その、お主が言う、神が一人しか存在してはいけないというのは、誰が決めたのじゃ?答えてみよ」


 イナリの問いに、アリシアが聖女としての言葉遣いに戻り、困惑しつつ答える。


「……誰ということはありませんが、神託の解釈の結果、そのようになっています」


 アリシアの答えは、イナリが以前読んだ「アルト教概論」の記載と一致している。


「解釈。それはつまり、人の手が加わっているという事ではないか?アルト本人がそういったならともかく、どうして人間如きが、勝手に神の存在について決めつけることが出来るのじゃ?」


「……それは……」


 イナリの言葉に、聖女は俯いて言葉を失った。


「時にエリスよ。この聖女が述べた、我をアルテミアに送るというのは、どういった意味を持つのかや」


「え?ええっと……端的に言えば、異端尋問とか、異教徒や神を偽る者を罰するとか、ですかね。恐らくイナリさんの場合は……恐らく処刑などもできないでしょうし、大罪人として地下牢に禁錮とかですかね……?」


「ほう、禁錮とな!」


 イナリはあえて大げさに反応する。


「聖女よ。神である我を地下に閉じ込めようとは、随分なことじゃな。エリス曰く、聖女は人間社会における特権的な立場にあるというが……それは神をも超越するのじゃな?」


「い、いえ、決してそんなことは……」


「聖女よ、良いか。我は、例え地下に埋められようが、強固な牢に閉じ込めようが、我は容易くそこから抜け出すことが出来るのじゃ。そして、我は豊穣神として、人間に繁栄をもたらすことが出来るが、それは逆に破滅をもたらすこともできることを意味するのじゃ。それをゆめゆめ、忘れるでないぞ?……さて、邪魔したのう。議論を続けるが良いのじゃ」


 イナリは右手を差し出し、二人の会話を再開するように促した。


「……ええっと、アリシア様……」


 エリスはどうしたらよいのか途方に暮れ、ひとまずアリシアに声を掛ける。


「ごめんなさい。イナリ様が神様なのは事実だってことは何となくわかったし、そこから目を逸らそうとした私が間違ってた。エリスにとって、イナリ様は大事な人なんだもんね……」


「……アリシア様……」


 二人の間に沈黙が訪れるが、一つ考えが浮かんだイナリは、あえて空気を読まずに口を開いた。


「そうそう、聖女よ。実は我、神器を持っておるのじゃがな?神である我の神器なのじゃから、当然、我が持っていて良いじゃろ?」


「は、はい……結構、です」


「だ、そうじゃ。エリスよ、手間が省けたのう」


「……あの、貴方、本当にイナリさんですか……?」


 イナリはエリスに微笑みかけるが、エリスはイナリに不安げに問いかける。


「我は我じゃ。さて、用は済んだし、我は教会の広間で待っておるとするか。ではの」


 イナリは扉に手をかけ、体全体を使って扉を開き、部屋を出た。不可視術が効いていないのは恐らく聖女だけなので、扉の横に控える神官は何の反応も見せない。


 イナリはそれを確認し、扉が閉まった音が鳴ったことを認めたところで、大きくため息をついてへたり込む。


「ふう。ああ、慣れないことはするもんじゃないのう……」


 イナリの考えというのは、高圧的に、半ば強引に自分が神であることをアリシアに認めさせ、ついでにイナリとエリス対アリシアという構図を崩し、仲が悪くなることを防ぐというものであった。


 何故高圧的な態度を取ったかと言えば、アルトとの繋がりを一切察知されずに、自身が神であるという事実を認識させなくてはならないためである。つまり、とにかく上位者らしく振舞わないと、神であるという事実の信憑性が薄れてしまうだろうからだ。


 少々やりすぎた感は否めないが、とはいえ、これで目標は達成できたはずだ。ついでに、長々と煩雑な交渉を経ることなく神器の所有権も勝ち取れた。成果は上々と言える。


「さて、広間の長椅子で先の睡眠の続きをするとしようかの」


 イナリは教会の広間に戻り、長椅子の一つに横になって目を閉じた。


 しかし、椅子が硬いからだろうか。イナリはなかなか寝付けなかった。




「イナリさん、起きてください。イナリさん?」


「んん……?」


 体が揺すられる感覚に目を開けば、教会の広間は既に暗くなっており、窓から差す月明かりによって照らされたエリスの銀の髪と、青い瞳が目に入った。


「ああ、エリスかや。アリシアとの関係は修復できたかの?」


「……ええ、おかげさまで。ですが……」


 エリスが言い淀むので、イナリはその間に体を起こした。周りに人影は数人程度、神官らしき者しかいなかった。


「……先ほどのイナリさんは、一体どうしてしまったのですか?何というか、私の知っているイナリさんではなかったです」


 エリスはイナリの隣に座り、不安げな表情で問いかけてくる。


「それは良かったのじゃ。あのような高圧的な言動、我も多少頭を使わねばできぬからの」


「……あれは狙ってやっていたのですか?」


「うむ」


「イナリさんの別人格とか、真の姿みたいなものではなく?」


「お主は何を言っておるのじゃ」


「では、牢から容易く抜け出せるとか、人間を破滅させられるという話は?」


「いや、できるわけないじゃろ。牢からの脱出なんて、不可視術を使ったところで扉が開けられなければそこで終わりじゃし、人間を破滅させることによる利益なぞ、たかが知れておる」


「……神器の件については?恐らく、所持は認められるでしょうが、あの時のイナリさんの態度は、その……良くなかったです」


「それについては我も申し訳ないと思っておる。咄嗟の思いつきであったこともあったからの」


「そうですか。……何となく、意図は掴めましたよ」


「我に不信感を抱いたかや?まあ、それも仕方あるまいの……」


 エリスは口をへの字にしてイナリを抱き上げ、力強く抱きしめる。油断していたイナリは口から声が漏れた。


「全く。前も言いましたけど、相談無く変なことはしないでください。私達の仲を気にしてくれたのかもしれませんが、そんな自己犠牲のような形でなんて、私は認めませんよ」


「……はて、何の事か」


「とにかく、少し時間を置いて、後日、聖女様にはちゃんと謝ってください。不可視術を使えば聖女様の私室まで行けるでしょうから」


「う、ううむ、しかしあのような態度を取った手前のう……」


「かなりショックを受けていましたから、謝ってください」


「……しかし」


「謝ってください」


「……はい……」


 イナリがしょんぼりとした態度で返したところで、エリスは満足げに頷く。


「よろしい。では、今日は帰りましょうか。イナリさんには罰として、抱っこの刑です」


「……それは良いがの、今の我、お主にしか見えておらぬぞ?」


「……一旦物影に隠れますので、解除してください……」


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