5.
沖田と別れ、
縁側から、自身の行李を放置したままの部屋へと戻った冬乃は、着替えをその場で行うと、厨房へと戻るべく八木家を出た。
歩みながら。先程の沖田との事が、どうしても冬乃の頬を火照らせる。
網膜に焼きついた彼の肌、
感じた熱。息づかい。
囲われた瞬間に芳った、どこか草木のような爽かな匂いすらも。
ひととおり落ちついた今頃になって、克明に思い起こしてしまい。冬乃は、
とくとく早鐘を打つ鼓動を落ち着かせるべく、むりやり大きく息を吐いた。
(しばらく顔、直視できないかも)
沖田のほうはきっと、先程のことなんて、次会った時には忘れているだろうに。
冬乃はそう嘆息しながら。前川屯所の裏口をくぐり抜けた。
誰もいない厨房で独り、茂吉に指示されていた下ごしらえを行っていた冬乃は、
包丁を握る手が疲れてきたことを感じて、いったん休憩することにした。
外に出て、大きく伸びをした時。
そして、背後に人の気配を感じた。
沖田ほどの超人的な感知はできなくても、冬乃も多少は剣の心得があるおかげでその手の勘はある。
「おい」
はたして、背後から声がした。
「女中、なんで髪を結ってない?」
女中?
(て、私のことしかないよね)
振り向いた冬乃の、
目線のまっすぐ先に、透き通るような色白の綺麗な男が立っていた。
冬乃はおもわず目を瞠った。
綺麗な顔立ちといえど、あの土方同様、決して女性らしいわけではなく、
かといって男くさいわけでもない中性的な、ひどく人目を惹きつけるような美男であり。
それに冬乃より年下ではないだろうか。
(誰あの超絶イケメン君は?)
「冬乃と申します。貴方は・・」
ひとまず名乗ってみた冬乃に、
彼は近づいてきながら、ぴくりと、その優美な曲線を描く眉を持ち上げた。
「俺は、山野という」
山野・・・・まさか山野八十八?
隊中美男五人衆と名高い彼ではないか。
(でも、この人たしか、天保十二年とかそのくらいの生まれだったよね??)
現時点の文久三年では、とうに二十歳は超えている。
(年上にみえない・・・)
まじまじと凝視してしまった冬乃に、
何を思ったか山野がにやりと哂った。
「おまえ、俺の質問に答えろって」
(あ)
「ごめんなさい、ええと?」
「なんで昼間から髪を下ろしてる」
もっともな質問に、冬乃は答えに詰まった。
もっとも、とはいえ、どうでもいいことでもあるので、
(誰かに、あえて面と向かって突っこまれるとは思わなかった・・・)
「・・おろしているのが好きなんです」
としか、答えようがなく。冬乃は苦笑いを添える。
沖田様にイイと言ってもらえたからです、
なんて口が裂けてもいえない。
「変な女だな」
(う)
山野は容赦なかった。
(・・なんでココのイケメン達って、こうなの)
おもわず天敵土方の顔を思い浮かべながら、冬乃は目を瞬かせる。
「まあ、でも」
そんな冬乃の髪をじっと見て山野は、
だが。
「ちょっと、そそるわ」
と呟いた。
(・・・は?)
・・・そそる?
目を丸くした冬乃の前、山野がにっこりと花のほころぶように笑って、冬乃の髪へと手を伸ばしてきて。
その予想外の動きに、更に硬直した冬乃の、
肩先に流れる黒髪を、山野の手が、さらりと撫でていった。
呆然としている冬乃に、
「おまえ、今夜あけとけよ」
山野が当然のような表情で言い放った。
(え、どゆこと?)
最早ついていけないでいる冬乃に、
「俺も、おまえだったら喜んで相手してやる」
さらに追い打ちが来て。
混乱する頭を抱えながら冬乃が、
「相手って・・?」
漸う聞き返すと、
「言わせるのかよ、それ」
山野が哄笑し。
(・・・・。)
なんだか、だんだん解ってきた冬乃は、そして眉間に皺を寄せた。
ここは、庶民の男女交遊なら奔放な江戸時代。
まして、よほど女にもててきた男なのだろう、
すべての過程をすっとばして誘ってくるあたり、これまでそれで問題なかったということなのだろうけども。
冬乃は、溜息をついた。
「女が皆、貴方みたいな美男ばかりを好きになると思わないでください」
つい吐き捨てた冬乃に。山野が目を見開いて、ふてくされたような顔をした。
「だって、さっき俺に見惚れてただろ」
「あれは、」
(あまりにイケメンだからびっくりしただけだし!)
ふてくされている顔すら美しい、その目の前の男に、冬乃はしかめ面を作ってみせる。
「とにかく。私には想う人がすでにいるんです。ですから今夜はあけません」
「なんだよそれ」
つん、と返した冬乃に、だが山野はかえって興味を示してしまったようだった。
「相思か?」
「ちがいますけど」
直球な質問に少々あたまにきた冬乃が、おもわず投げ返すと、
「じゃあ、俺にもまだ機会はあるな」
おもわぬ言葉が打たれてきた。
(・・女たらしイケメン)
冬乃は。もう呆れて笑ってしまい。
冬乃のなかのイイ男の基準は、あくまで沖田なのだが、
山野が女性にもてるだろうことも容易に納得できて。
「ありません」
とはいえ、とりあえず返辞を投げつけ、冬乃はぺこりと頭を下げた。
「では失礼します」
呆気にとられた様子の山野を残して、冬乃は下ごしらえを終えるべく、そそくさと厨房へ戻っていった。




