92.
「あの、」
前川邸の裏戸をくぐった時、冬乃はふと思い出して。
「沖田様はどちらでいつもお寝みになられてるのですか」
沖田が振り返る。
「八木さん家ですよ」
(やっぱり)
「離れ・・ですよね?」
何故知っているのか
とは沖田は尋ねてはこなかった。
「そうです」
「広いのですか・・?」
冬乃は気になっていたことを聞いた。
沖田が微笑って。
「いいや、狭いですよ。何故」
と今度は尋ねた。
「屯所のほうがかなり手狭なかんじだったので・・沖田様はもう少し広いところできちんと休めてらっしゃるのかが心配になって」
冬乃は言いながら、これではまたも好きオーラが出てしまっているような台詞だと、気づいたが、遅い。
沖田は、だが気に留めたふうもなく、
「じゃあ見てみますか」
とおもわず冬乃が瞠目するような言葉を返してきた。
「そこで挨拶を済ませてしまいましょう。皆、朝が早いからそろそろ起き出してる頃だ」
「はい・・!」
期せずして、沖田の寝泊まりしている場所を案内してもらえることになった冬乃が、嬉々とした声を挙げてしまったのは仕方がない。
冬乃の寝泊まりしている長い母屋を通り越して、沖田はそれから会話をするでもなく、まっすぐ離れの建物へと冬乃を連れて向かう。
(結構、離れてるんだ・・)
八木家の敷地の広大さに、今更ながら驚かされる想いで、冬乃は朝の眩い光の中を沖田についてゆく。
やがて離れとおぼしき建物の、角を曲がった時。
男が、縁側で正座をしているのを見とめ。
その横顔に、冬乃ははっとした。
涼やかな顔立ちの、その凛とした佇まいは、
高雅な、とさえ形容しえるほどに。
彼を纏う清涼な空間だけが、切りとられたかのように、そこに在った。
「斎藤、帰ってたのか」
冬乃の前で沖田が、表情を見なくともわかるほどに嬉しそうな声をかけて、
冬乃は、その呼びかけから彼が斎藤一であることを知った。
(あの方が)
そして、次の瞬間に、沖田の呼びかけに振り向いた彼の、灯した表情に冬乃はどきりとした。
「沖田か」
よく笑う沖田と対照的で、殆ど笑わない寡黙な剣士として、後世に伝わっている彼が、
今、沖田に対して穏やかに微笑を返したのだ。
「おかえり」
「ああ」
「紹介するよ。彼女は冬乃さん」
「話は聞いている。災難だったようだな」
と、彼の静かな眼差しが、沖田の横まで来た冬乃を向いた。
「いえ、そんな。・・これからよろしくお願いいたします」
「ところで斎藤、疲れてるか?」
話の様子からすると、どこかへ長期の仕事に出ていたのだろうか。
「いや。大丈夫だ」
だが斎藤はなんでもなさそうに返答した。
「そうか。それなら、あとで手合わせ願うよ」
「ああ」
快諾する斎藤に、沖田が微笑った。
「おまえがいないと、なまる」
稽古が。
と言い足した。
冬乃は、あのとき蔵で藤堂にみせたような笑顔と同種の表情を沖田に見とめて。
(そっか・・・)
二人は親友なのだと。
斎藤の、先の沖田へ向けた表情も、親友に対してだからこその。
(それに、お二人は)
好敵手でもあり。
斎藤は沖田と並び、新選組の双璧として後に評される剣豪である。
沖田が気兼ねなく本気を出して稽古ができる唯一の相手、なのではなかろうか。
「で、何故こんなところに座ってんだ?」
と沖田が続いて尋ねたのは尤もだった。
斎藤は今、縁側の板張りにそのまま正座しているのだから。
(脚、痛くないかな・・?)
おもわず心配になる冬乃をよそに、
「朝の空気を吸っていた」
と斎藤がぽつりと返事をして。
「そうか」
と沖田が愉快そうに哂った時、
斎藤の背後の障子が、すらりと開かれた。
「お、斎藤!おまえも帰ってたのか」
冬乃にとってもうひとり初見な男が出てきて。
斎藤が振り返った。
「はい、今朝方に」
「ああ、それで昨夜は会わなかったんだな」
「永倉さん。ちょうどいいや、」
沖田の声に、永倉と呼ばれたその男がすぐに視線をずらし、沖田と隣の冬乃を見やった。
「紹介しますよ。彼女が冬乃さんです」
「例の!」
ぽん、と永倉が手を叩き。
どうも、これまでの初見の人皆が皆して、事前に冬乃の件を聞いている様子に、冬乃は内心苦笑しながら。
「永倉様、冬乃と申します。よろしくお願いいたします」
頭を下げる。
(お会いできて光栄です、永倉様。そして、)
素晴らしい史料を遺してくださり有難うございます。
胸内に呟きながら。
その素晴らしい史料を遺してくれたもう一人の存在が、
そして不意に顔を出したのだった。
「おや、皆さんお揃いで」
と。
頭を上げた冬乃の目に、その大男の姿が映る。
沖田と並ぶ体格のその男は、だが、着痩せしていそうな沖田とは真逆で、
てっぷりと着膨れて肉付きがよく相撲取りのような巨漢である。横に並ぶ永倉がものすごく小さく見えてしまうほど。
「島田さんも、おはようございます」
沖田が声をかけた。
「彼女は、冬乃さんです」
「島田様、冬乃と申します。よろしくお願いいたします」
言いながら、
(ほんとに力さんなんだあ)
嬉しくなって、冬乃はぺこりと再び頭を下げた。
島田魁の、愛称である。力士のように怪力の力さん。その通りに、大関をも投げ飛ばしそうだ。




