85.
顔だけ見えている冬乃と、まもなく目が合った彼ら誰もが。
一瞬驚いた顔をして、それから相好を崩して笑い出してしまった。あまりに可笑しかったらしい。
一度は(今ももしかしたら)密偵として疑われている身なのに、これでいいのかと頭の隅を過ぎったものの。
べつに不審気な顔をされなかったから、・・ヨシとしよう。
「おはよう」
そんな輪の中から、沖田が笑いながら声をかけてきた。
そのうえ引っ込めなくなっている冬乃のほうへと歩んでくる。
「お・・おはようゴザイマス」
観念しておとなしく角から出てゆき、頭を下げた冬乃へと、
「早いですね」
そんな言葉が降った。
冬乃は畏まって頭をあげながら、ふと首を傾げる。
(やっぱ早いんですか?)
「今って何時頃でしょうか」
おもわず尋ねる冬乃に、
「今しがた日が出たばかりだから明け六つですよ」
と返事がきた。
(明け六つ)
冬乃は思わず胸内で復唱していた。
江戸時代の時間決めは、
記憶を思い起こすかぎり、日の出と日の入りを元に決めており
日が出る前の明るくなる頃が、その日の明け六つとされて、そこから一日の時刻が定まるという不定時法である。
一秒の単位にまでスケジュールが組まれるような現代では、どうも不便そうな方法だが・・・
(ある意味スゴイ)
一日をそんな始まりから等分できてしまう鐘打ちの人も然ることながら、
その時報と時報の間に、人々はよく時間をさして間違えずに起き出したり集合したりしていると。
それに夏も冬も同じ時間から起き出す現代と違って、不定時法下ならば、朝日に合わせて活動を始めるぶん、体への負担も少ないだろうか。
そんなことを一瞬思い巡らしていると、
「そうだ」
ふと目の前で、沖田が思い出したように呟いた。
「・・ちょうどいい。仕事までまだ時間はありますね?」
少し話がしたい、と彼は言い足した。
心臓の跳ねた音とともに、冬乃は向けられた眼を見上げていた。
(きのうの事)
直感して。
冬乃の、武術について問われるのだろうと。
「はい・・」
ついてくるように、と言い置いて歩み出した沖田の後ろ、
冬乃はべつに悪いことをしたわけでもないのに、何だか尋問でもされるような気分で緊張して、後に続いて歩き出した。




